2019年11月26日火曜日

12か月の中の30日までと31日までのこぶし記憶法

我が家のコックさんがこぶしを使って月の日数を確認しています!

なんとびっくり!
ブルキナファソの人たちと日本の人たちの「月日の覚え方~30日までの月と31日までの月の確認法」が同じだったのです!

事の発端は、フランス語の個人レッスンのときに先生がこぶしを出して、今月は30日までね、っと言ったのを見たことからでした。

えー!ブルキナファソの人もそうやって、30日までか31日までかを確かめるの?
えー!日本の人も、同じことをするの?
お互いにびっくりし合いました。

我が家のコックさん(彼は60歳ちょっと前の年代)に訊くと、やっぱり同じ方法を持っていると言うのです。実演してくれました。上の写真がそうです。
かれは、小学校の時に学校の先生から教えてもらったそうです。もう50年以上前のことですね。決して親からではなかったと強調しました。だから、学校に行っていないブルキナファソの人に尋ねてもこのやり方を知らないだろうとも。
Facebookにこのことを載せたら、タヒチ出身の友人からも同じ方法で確かめるよ、と返信が来ました。お父さんが教えてくれたのだそうです。
スコットランド系フランス人の友人は、それはフランスのやり方だというのです。英語では韻を踏んだ詩で覚えるのだそうです。
日本のかたの情報では、コンゴ民主共和国の通訳の男性もそのこぶし法で確かめていたそうです。

ちなみに日本では、「ニシムク サムライ」と言う唱えて確かめる方法もありました。
”ニ”は、2月。”シ”は4月、”ム”は6月、”ク”は9月。
では、”サムライ”ってのはなんだ?
前述の日本人ムッシュの話で、”サムライ”=”士”・・・だから、十一・・11月。
ということで、31日までない短い月は、2,4,6,9,11月なのだそうです。
頓智の効いた覚え方ですなあ~。
サーっと霧が晴れたようで爽快感に浸りました!

ところで、このこぶしの谷間を使って月の長い短いを表す方法を編み出したのは、どこのどなたさんだろう・・・。
そして、世界中のこぶし法分布図を作ってみたいと思うのでした。
情報を求む!!!



2019年11月17日日曜日

すっかり乾季になりました

ここワガドゥグでは、10月下旬からやたらに外でバッタに出くわしましたが、それも一段落です。

思えば、中央アフリカ共和国のバンギでも乾季に入ったとたんに緑色のバッタが大量発生して、現地語でこのバッタを”キンダゴゾウ”と言って、バンギの人たちは夜になると街灯に集まるキンダゴゾウさん(わたしたちは親しみを込めてこう呼んでいました。昔の日本人にいそうな名前ですね)を七輪で焼いて、夜桜見物ならぬ、夜バッタ見物で宴会が繰り広げられていました。タンパク質が焦げる香ばしい匂いが、楽し気な話声とともに我が家のリビングまで入り込んできていました。

ワガドゥグのバッタは、モレ語では”soure”(ソーレ)というのだそうです。
バンギのゴゾウさんより少し小ぶりで茶色だし、ここの人たちは決して食用にはしないと言います。
やはり、ソーレが出てくると乾季が終わった”合図”だと聞きました。

今年の雨季の終わりはちょっと長引いたようですが、ワガドゥグももうすっかり乾季です!

わたしたちがガーナに発つ前は、ここのアパートの踊り場やベランダにもソーレがぴょんぴょん飛び跳ねていて、バッタに無頓着な夫はバッタを踏みつけても平気のヘーサ!
靴の裏にバッタの体液がつくから踏まないでー!、とわたしは注意しまくりましたが効き目なしでした。
ガーナから帰ってくると、我が家のリビングまで忍び込んだバッタが数匹転がっていました。なんだか、他の昆虫まで(わたしの大っ嫌いな・・)までいそうで、わたしは帰宅と同時に疲れも忘れて家具を動かして掃除しまくったのでした。

ワガドゥグのゴルフ場の7ホール目だかの左側に、雨季の間は緑色に広がっていた雑穀畑もいつの間にか枯れて収穫の時期を終えて、また殺風景な姿になっています。

ゴルフ場そばの雑穀畑の収穫物~ソルゴとミル

収穫を終えた雑穀畑でプレイする夫2019.11.9.

乾季になって、心なしか、アパート2階の我が家の床の赤土砂ぼこりが気になるようになりました。
外の空気も砂塵が舞って、バイクを運転する人の中にもマスクを着用する人をちらほら見かけるようになりました。
町なかには、雨季の間に実った野菜や果実が出回っています。

手前からカボチャ、ヤム芋、縞々スイカ 2019.11.8.


2019年11月15日金曜日

ガーナ、アクラへの旅

もう半月前の話になりますが、10月31日から11月3日まで、夫の休みに合わせて駆け足アクラ夫婦の旅に出ました。

あいにく、行きの木曜日も帰りの日曜日もワガドゥグ~アクラ間の直行便はなく、コートジボワールエアのアビジャン(コートジボワール)経由の便を使ったのでちょっと遠回りになりました。
往路は・・・
10月31日16:00ワガドゥグ発
10月31日17:35アビジャン着
10月31日19:05アビジャン発
10月31日20:10アクラ着
直行便だと、ワガドゥグ~アクラを約1時間半で飛ぶところを、乗り換えも含めて4時間ちょっとかかったのです。

復路は・・・
11月3日09:20アクラ発
11月3日10:25アビジャン着
11月3日12:25アビジャン発
11月3日14:00ワガドゥグ着

アクラの空港もアビジャンの空港も新しく、機体もきれいで快適でした。
わたしが初めてアフリカに足を踏み入れた30年近く前とは雲泥の差。
外国資本が入っているのでしょうが、もうアフリカは世界と足並みをそろえて生きているのだと感じました。

このような旅程を組んだので、ガーナ滞在は正味二日間しかありません。アクラ限定観光とし、ウィークディである初日金曜日に、とにかく行きたいところを集約させました。

幸いホテル前で出会った運転手さんが良い人で、まずまずの料金で(夫任せなのでイマイチ料金不明)半日貸し切りにして出発しました。
まずは、野口英世さんの研究室を訪ねることに。
わたしたちは野口英世さんの伝記に感動しまくった世代ですから。また、土日祝日は閉館になると聞いていたので、この金曜日しかない!まずはアクラに着いたら、なにはなくともイの一番に英世さんとこに行くぞー!、の思いが強かったのでした。

研究棟の近くの別の建物内で英世さん記念展示室と庭園入場券を買いましたが、なんと約100円。申し訳ないような金額でした。維持管理代も必要だろうに・・。
わたしたちは、英世さんの功績がずっと伝わりますようにと献金箱に寄付して記帳しました。管理人のおじさんが丁寧に説明してくれて、きれいに管理してくれていることに感謝しました。訪問者はそんなにいないのだろうになあ。
はるばる来た(~ってワガドゥグからだけど!)英世さんの研究室でした。


英世さんたちの記念研究室がある棟(真ん中は英世さんの記念室の管理人)
英世さんたちの記念研究室と隣の展示室
研究棟横の庭園に立つ英世さん像

庭園内の英世さんの石碑近くに咲いていたツユクサに感動

午後からは、これも絶対に実現したかった訪問を果たしました。
アクラにある、子どもの本の出版社を訪問し、代表であるAkossさんに会って話を聴きたいという思いから、事前に絵本の中のかのじょの出版社のメイルアドレスに連絡を入れて、11月1日14時にホテルロビーで会うという約束をもらっていたのです。
かのじょは、軽トラックをボコンボコンと軽快に飛ばしながら、庶民が暮らす地域にある出版社事務所にわたしたちを案内してくれました。
若い社員2人に事務所入り口で迎えられて、Akossさんの事務室に招かれました。
きれいに整理された彼女の部屋にファックス機と、山積みされた新刊絵本と、隅に並んだ受賞トロフィーに目が行きました。
元中学校教員だったかのじょが、アフリカの子どもたちを描いたアフリカの子どもたちの本を出版してアフリカの子どもたちに届けたいという思いから、20年前に出版社を立ち上げたのだそうです。



”Sub-Saharan Publishers”です。
すでに出版書籍は300冊になるとAkossさんから聞きました。

2人の子どもの母親としても、またガーナで子どもたちのための本を作り続ける出版社の経営者としても、さらに文筆家としても生きてきたAkossさんに大きな優しいパワーを感じました。
かのじょの企画する本たちは、画家も作家もアフリカの人たち。Akossさんが編集企画し、かのじょ自身の著書も見つけました。印刷は安価に仕上がるハンガリーに発注するのだそうです。きれいな色刷りの(絵本はほとんどがハードカバー)絵本が並んで圧巻でした。
アクラには港があるからね、と。船便が簡単に使えるのです。
だからなのか~かのじょの愛車が軽トラックである理由が分かりました。

カタログも綺麗な色刷りのもので、価格表示は米英の通貨です。
この国の公用語は英語です。でも、近隣の仏語圏の物語を描いた絵本は仏語訳でも出版されていたし、ハウサ族の伝説物語の絵本はハウサ語でも出版されていました。
そして、カタログの最後は、注文ファックス用紙になっていました。
世界からの注文を受け付けているのでしょう。

受賞トロフィーの中には、日本の講談社の野間文芸賞のものもUNESCOの子ども文学賞のものもありました。また、トヨタ財団から寄付を受けたともAkossさんは話してくれました。

冷たく冷やされたコーラをいただきながらかのじょと話していたらあっという間に2時間が経過していました。お仕事の邪魔をしましたねえというと、いいえ~これも私の仕事の一つですから~と。
最後にここでも本を分けてくれるというので、さっと8冊絵本を選んで支払ったのですが、請求書の合計欄には手書きで”150”と書かれていました。夫が米ドル表示ですかと訊いたら、いいえガーナの通貨表示ですよと。
頭が大混乱して、ガーナ滞在初日のことで現地通貨の価値もよく理解できないまま、表示された値段を支払いました。請求書の絵本価格は7冊が各々”20”、1冊は”10”の表示。あとで、ガーナ通貨に20を掛けたら日本円になることを知りました。と言うことは、8冊合計で3000円だったのです。日本の絵本の2冊分です。
これは、ガーナの子どもたちのための価格だったのでしょうか。

かのじょには、この絵本たちはあなたのプレゼントだと思っていただくことにします、と伝えました。

Akossさんの二人のお子さんは海外に留学してアクラに戻り、すでに独立していると聞きました。わたしとそんなに年齢は変わらないはず。
夫があなたのこの出版に対する熱意はどこから来てるの、と尋ねてもニコニコしてアフリカの子どもたちを主人公にしたアフリカの子どもたちのための本を作りたかったの、と繰り返すだけなのでした。

その日は、夫と運転手さんの希望で、ガーナ国民から今も尊敬され続けるエンクルマ大統領の資料館にも行き、彼の国政にかける熱情を感じました。

エンクルマ大統領の像とお墓(後方)分かりやすく説明してくれた係員と

初日だけでこの3人の熱い生きざまに触れた、すばらしいアクラの旅でした。

ホテル滞在の4日間で何が一番良かったかと言うと、毎夜、毎朝、湯船に浸かれた幸せを持てたことです!!!(まるで温泉旅行でした!)
ワガドゥグより断然大都会で、カフェやハンバーガー屋も点在してたけど、裏通りに入ると、どこも同じアフリカの匂い。現地の人たちの御用達市場、グランマルシェも混とんとしまくっていて、カオスで楽しかったです。
でも、日本のようなおしゃれなショッピングモールがあるアクラがチョッピリうらやましくもありました。