2022年2月9日水曜日

イエネンガ姫の精神が息づくブルキナファソの女性たち

 ワガドゥグの町は、びっくりするくらいバイクの多い街です。
夫が言うには、日本のYAMAHAが50年前にノックダウン輸出(部品のままで輸出し、現地で完成品に組み立てて販売する方式)を始めてトヨタの代理店、CEFAOで購入が可能になったということです。
町じゅうにmoto(=バイク)がすばらしい規律を守って走り回っています。バイク専用レーンのある道路もあります。
今では、自転車は少数派になっていますが、15年前までは、自転車の数のほうが多かったそうです。
ブルキナファソほどバイク走行数の多い国はない、と言えると思います。






さらに驚くのは、女性のバイク運転が多いということです。
バイクを運転する女性の写真を並べてみました。
ハイヒールとタイトスカートで、長いアフリカンドレスで、赤ちゃん用マント~Porte bebe~を翻して、あるいは、アフリカン布地に蓑虫よろしくぐるりと(赤ちゃんの顔だけ出して)巻いておんぶして、女性たちが勇ましくバイクを運転しているのです。
2,3人の子どもを前後に載せて運転しているマダムたちさえ見かけます。

ここの女性たちは、仕事をもって働くのが当たり前だという考えを持っています。それは、サンカラ元大統領が女性の社会進出を唱えた政策にも起因するのでしょう。
政府にも普通に仕事をこなす女性がいると見受けます。

そして、絶対に見逃せない影響力を持つ女性が、ブルキナファソにはいるのです。
女性でありながら、愛馬にまたがって弓矢や槍を自由に操って戦闘に活躍したイエネンガさんです。1100年代に実在した、ブルキナファソの建国の母として今も敬愛され続ける女性です。
イエネンガさんの歴史を紐解くと、ブルキナファソの女性がバイクを運転するのが当たり前のことだということが理解できてきます。
イエネンガは、女性でありながら愛馬にまたがって戦いに活躍し続けました。
結婚して、3人の息子を育てた母親でもあります。
そんなイエネンガの姿勢がブルキナファソの女性にも自然に育まれたものだったのでしょう。
自立した女性が多い国、ブルキナファソ。

とはいえ、パーティーなどでは、女性は一歩引いて、男性が着席するのを待ってから、女性が着席するといった気遣いも持っています。まるで、日本の武家の女性のようです。秘書の女性が言うには、小さいころから、男性が先に、ということを母親や祖母から習い身に付いた風習だと言っていました。ちなみに彼女はモシ族の女性で、イエネンガ姫の部族に繋がっています。

 これで、ワガドゥグで綴ってきたわたしのブログはおしまいです。
でも、まだまだ、書き残したブルキナファソでの見聞記が山積しています。日本に帰国しても、しばらくは、ワガドゥグで書き残したものを更新していきたいと思っています。

それでは。夫の事務所に毎日通って書いてきたものはこれで終わります。
これから、自宅アパートに戻ってシャワー浴びて、最終準備をして、飛行場に向かいます。
2月9日19:40ワガドゥグ発のフライトで出発します。

足掛け3年のワガドゥグとの交わりにたくさんの感謝を言って。さようなら。
ありがとう!ブルキナファソの人たち。

ワガドゥグのヤモリ

 フランス語でヤモリのことを”ジェッコ”~gecko~と言います。


このgeckoを、ワガドゥグの女性たちは特別に嫌っているように感じます。
特に夫の事務所の秘書の女性は、事務所にヤモリが出たら、もうきゃあきゃあ叫んで、男性たちがヤモリを退治するまで外に出て、決して室内に入ろうとしません。男性たちも、秘書の女性を守らんばかりに机や本箱を移動して、ヤモリを執拗に追いかけまわして息の根を止めるまで格闘するのです。
その女性の自宅を一度訪ねたことがありますが、かのじょの家には一匹たりともヤモリもゴ●●リもいない!、ときっぱり言いました。もし見つけたら、ご主人が退治してくれるのだそうです。とてもきれいなこじんまりした部屋でした。

かのじょに、どうしてそこまでヤモリが嫌いなのか、尋ねてみると・・。
肌が透き通っていて、顔が異様にでかくて、顔に不釣り合いなくらい目が大きくて、手の先っちょが丸くなっていて、ジェッコが這いまわった食べ物には毒があるのだ・・・ときりがないくらいいろいろと並べ立てていました。
わたしも虫は苦手だから、本物のヤモリの画像は出さずに、かのじょがキモチワルイ~といいながら描いたヤモリの絵のほうを載せましょう。




笑いますね~。
かのじょは大真面目にこのヤモリ似顔絵?!を描いていました。ヒェ~~~と言いながら。
確かに、ここのヤモリは日本のヤモリより肌が透けて見えるように(肌が薄い?)ように思います。
日本では、ヤモリは、「家守」とも書いて、家を守る=小さな害虫を食べてくれて家の中の虫を退治してくれる、と言われている。だから、わたしたち日本人は、ヤモリを決してやっつけないし、目の敵ににしないのだと説明したのだけど、きゃー信じられないー!、とまた悲鳴を上げていました。

それと、日本のヤモリは鳴きますか?
わたしは、ヤモリが鳴く、なんて、つい4,5か月前まで知りませんでした。

我が家では、ケッケッケッケッ、と音がすると、夫婦二人で、ああまた電圧が上下して電気が悲鳴を上げているのだな、と話していました。
ある夜、お客さんを囲んで食事会をしていたときのこと。
ケッケッケッケッと音がしました。
やあ、すみませんねえ、最近、特に電圧が不安定で電気が悲鳴を上げるんですよねえ、と夫。
え。今の鳴き声ってヤモリですよ。お客の言い分。
ええっ!ヤモリ?ヤモリが鳴くんですかぁ、とわたし。
そうですよぉ、ヤモリが鳴くって有名じゃないですかぁ。
…知りませんでした、夫もわたしも初耳でした。ヤモリが鳴く!

夫の秘書の女性は、ヤモリのそのケッケッケッケッという鳴き声も気持ち悪い、許せない、と真顔で言うのでした。

わたしのフランス語の先生(ブルキナファソの女性)にその話をすると、かのじょもヤモリが大っ嫌いだと言います。ちょろちょろ~っと視界に何かが動いただけでゾゾ~っとすると言います。やっぱり、鳴き声も不気味だと言っていました。
確かに、素早く動く何か、って怖いです。
わたしは、ゴ●●リが大大大っ嫌いだから、ものすごくその言い分には同感できます!
わたしは、ゴ●●リだんごと防虫シートをアフリカにもいつも持っていきました。日本食を削ってもこの2つはアフリカ生活の必需品だと思って持ってきていました。

キンシャサにいるとき、お寿司の食べられる日本料理レストランがオープンしたのですが、その名も”GEKKO”(フランス語ではgeckoだけど、gekkoとも書く?)。
店のお皿にもついているロゴマークが・・・。



キンシャサの日本料理店、”GEKKO”のマークにヤモリが!

発音がゲッコー、と言っていた(コンゴキンシャサはベルギー領だったから、フランス語もベルギー訛り?)ので、わたしは日本料理店の名前の言われは「月光」、月の光から来ていると勝手に解釈していました。また、ここの店主(レバノン人女性だったかな)は、日本では「家を守ってくれるヤモリ」だということを知っているから、ヤモリの図案を採用したのだとさえ思っていました。
しばらくして、ヤモリのことをゲッコーというのだよとコンゴ人に言われて、今度は、この店は日本語の「月光」と仏語のヤモリ「ゲッコー」を掛けて、日本料理店の名前にしたのだとまで勝手に思い込んでいたのです。ヤモリは家を守るんだもんねえ~と。
まったく良いネーミングだこと、と感心していたのです。

この、キンシャサにある日本料理店のマークを、ワガドゥグの夫の秘書の女性に見せると目を皿のようにして、驚き呆れていました。信じられないー!!!と!
今思い返すと、確かにキンシャサの人は、ヤモリを嫌ってはいなかったように記憶していますが。

ヤモリを苦手とするのはブルキナファソの女性だけでしょうか、それとも、たまたま、わたしの周りの知人女性たちがヤモリ大嫌い人間だったというだけのことでしょうか。

確かに、ワガドゥグのヤモリは肌が薄くて透け感があって、指の先が丸くて、ちょろちょろ動いて不気味ではあります。家の中によく出没するし。
サヘル地帯のヤモリと、熱帯雨林地帯のヤモリは異種なのかもしれません。(はて?)

それでも、わたしが小さいときから大人たちから聞いていた、「ヤモリは家を守る~害虫を食べてくれるのだから殺してはいけないよ」という言葉通り、ヤモリを退治しようとは思いません。
ゴのつく害虫だけは絶対に許せないけど。(と言うより、恐怖!!!)

ワガドゥグのヤモリはケッケッケッケッと不気味に鳴くけど、日本のヤモリは鳴きますか?

サッカー・アフリカカップでブルキナファソ4強入り

 ブルキナファソには、”エタロン”(Etalon)というブルキナファソの人たちから愛され続ける、長い歴史を持つ大人気のサッカー・ナショナルチームがあります。
サッカー熱にあふれるブルキナファソで、ナショナルチームの名前、”Etalon”(フランス語で牡馬、種馬の意味)は、もちろん、ブルキナファソ国民が敬愛するイエネンガ姫の愛馬、ウェドラオゴ(モレ語で牡馬、種馬の意味)から来たものです!
そして、イエネンガ姫の愛馬がサッカーナショナルチームのロゴマークになっているのです!



ブルキナファソのサッカーナショナルチーム”Etalon”のマーク

皆から愛され続けるサッカー・ナショナルチーム”Etalon”ですが、アフリカカップでも優勝は一度もないのだと、ちょっとがっかり気にブルキナベたちは言います。
それでも(それだからこそ?)、かわいがられ愛され続ける国民のサッカーチームです。
ロゴの中の、FBFは、”Football du Faso”からだそうです。

今回のブルキナファソのクーデター騒ぎで首都が混乱しているさ中、カメルーンで開催された今年のアフリカカップ準々決勝でブルキナファソ”Etalon”チームがチュニジアチームに勝利して4強入りしたときは、ワガドゥグ中が沸きました。
そして迎えた2月2日、水曜日夕方の準決勝のブルキナファソ対セネガルの試合時間には、ブルキナファソ国民は家のテレビにかじりついてワガドゥグ中の町に人っ子一人通らず?しーんと静まり返ったと聞きます。

ワガドゥグのチョコレート屋、”Chez Chef Andre”店内

上の写真は、アフリカカップ開催中のChez Chef Andreの店内の様子です。
大きなゴールドのフットボールはプラスティック製ですが、中にチョコレートが入っていると店員が言っていました。ショーケースの手前には、そのフットボールの形のチョコレートが量り売りされていました(上の写真の右下)。

残念ながら、Etalonチームはセネガルに勝つことはできませんでしたが、4強入りを果たしました。
もう一組のエジプト対カメルーンの試合は2月3日に行われてホスト国であるカメルーンを下してエジプトが決勝進出。

結局、2月6日(日)の決勝戦は、セネガル対エジプトとの戦いで、セネガルが優勝。
エジプトが2位になりました。
3位決定戦は2月4日(金)に行われて、ブルキナファソが3-0で先制点を挙げたものの、結局、カメルーンが勝ち、カメルーン3位。
ブルキナファソは、4位に甘んじました。
先制点を取ったのはブルキナファソだったこともあり、ブルキナベたちはものすごい落胆ぶりだったと聞きました。
この時の試合の間も、家での試合観戦に皆が集中して、町なかはものすごい静寂に包まれた夜だったそうです。

セネガルは、アフリカカップで初優勝だったということです。
エジプトは7回の優勝、カメルーンは5回の優勝経験があり、コートジボワールも1回優勝しているのだとか。でも、ブルキナファソの優勝はまだだと聞きました。
どこの国も、祖国のサッカーチームの贔屓ぶりは熱いなあと感じます。

ブルキナファソのサッカーのナショナルチームの名前まで、イエネンガ姫絡みだとは、これにもびっくりです。

来年のアフリカカップ開催国は、コートジボワールでということです。
来年こそ、ブルキナファソチームが優勝しますように。
Etalon、がんばれー!!!(すっかりEtalon贔屓になりました!)

2022年2月4日金曜日

今年3回目の苺

 


昨日、2月3日の夕方に産地直送で届いたバイオ栽培の苺が届きました。


二年前の今ごろ、ワガドゥグ郊外で農業の共同体を組織しているというブルキナファソの青年とフェイスブックで繋がりました。今のこの時期は、苺の収穫ですと紹介されていて、きれいな苺の写真が載っているのを見て、電話したことから、2020年の1月、2月、3月のなかばまで、かれが農作業を終えた日没後にバイクに乗って(1時間ちょっとかかると言っていたかなあ~)新鮮な苺を届けてくれたものです。
町で買うより、苺の傷みが少なくて、よりみずみずしい苺だったのを思い出します。

そして、今年2022年。1月20日頃だったでしょうか。
そろそろ苺の季節が始まるなあと、携帯電話を連絡帳を繰ってみると、なんと”苺屋”と書かれて残っていた番号を見つけました。2年近くぶりに電話すると、すぐにその青年と繋がりました。今も、イチゴ栽培を続けているとわかってうれしかった!
(2021年の苺の季節はコロナ禍で日本に帰国を余儀なくされていました。)

「もうあと1週間待ってください、そうしたら美味しい苺を届けます。配達の前に電話します。」
ちょっと貫禄の出た声での応対でした。
ここの人たちの1週間というのは10日ちょっとを想定すべきかなと待っていたら、2月2日にかれから電話が入りました。電話口で、1パック4000f、配達料1000fだとのこと。2年前より、ちょっと値上がりしていたかな。うろ覚えだけど・・・。
では、2パックお願いね、と言って、翌日の夕方を待ちました。(1パックは2kgほど入っていました。)

わたしはちょうどシャワーを浴びていて夫が対応していましたが、配達人はなんと現地版Uber!になっていました。
もう、かれ本人が農作業を終えた後に届けてくれるということはなくなったのでした。
Teslimさんという名前だったなあ。
2020年の3月13日の日付の残る写真が出てきました。Teslimさんが農作業を終えて自らバイクで届けてくれた時のものです。


我が家アパート玄関ドア前でTeslimさんと苺3パック(2020.3.13.)

Teslimさんは自分の農業の仕事に真摯に取り組む青年でした。やっぱり、かれの苺は甘くておいしかった!
かれの苺栽培の仕事が順調に行って、これからも長く続きますように。

おそらくワガドゥグで最後の苺が届いた2月3日の夜。
夫と二人で、部屋の明かりを消して、大豆の代わりに”ポワ・ド・テール”(ここの人たちの大切なスナック豆です)で豆まきを小声ででやりました。この国の人たちは、豆まき、なんて知らないでしょうから。そ~っと。
♪鬼は~外! 福はあ~内!!!♪


2022年2月3日木曜日

ワガドゥグで出会った小学生たち

 

朝の地元スーパーマーケット前風景

昨日、2022年2月22日と2が並んだ日。
朝8時頃、夫の事務所への途中にある地元のスーパーマーケットでおやつのビスケットを買おうと立ち寄ったときの話です。

レジに並んでいると、わたしたちの後ろに小学校5,6年生くらいの女の子ひとりと男の子二人が私たちを見て、わ~シノワだ~、とひそひそ話しています。アフリカでは、アジア人を見るとよく中国人だと見下げた感じで言われますが、この子たちの言い方にはそんな響きを感じません。多分、アジア人が珍しくって、中国人かなあ、と興味本位で話していたのでしょう。


わたし 「ちがうんだぁ。わたしたちは日本人なのよ~。」
かれら 「え、日本人。ナルト、キメツの国だ。」
わたし 「あら、その物語を知ってるの。」(びっくりもし、うれしくもなる。)
かれら 大きく、ウンウン。(目が輝いている。)
わたし 「日本はここから遠い、遠い国だからねえ。」
かれら はて? と、視界を漂わせる。(日本の国がどこにあるのか想像もつかない?)
わたし 「わたしはねー。あなたたちの姫さま、イエネンガさんのことが大好きなんだあ。」
かれら 「わあ~!」(目がさらに輝く。イエネンガ姫の物語はブルキナベは皆知っていて、敬愛される女性なのだなあと今回も痛感。)

素直なかわいい子どもたち。身なりもしっかりして学校の制服を着ていました。きっと裕福な家の子どもたちなのでしょう。事務所の女性に聞くと、ワガドゥグのテレビでも、ナルトや鬼滅の刃のアニメが放映されているそうです。かれらは、日本の国がどこにあるのかわからなくても、ナルトやキメツの漫画が日本からのものだと知っていたことになんだかうれしくなりました。
勉強がんばんなさいね、はーい、と言って手を振ってお別れしました。
子どもたちは、これから登校なのでしょう。
こんな他愛もないやり取りを楽しめるのもあとわずかです。

10日前にワガドゥグでクーデターが起こって軍が政権を握り、早くもテロリスト討伐に乗り出したと聞きます。国民を守るために、国内にはびこるテロリストたちを全滅させるという目標を持って軍のリーダー、サンダオゴ将校は実行を始めたようです。
その目標を達成したら、かれは身を引いて、政府の長は民主的に選挙で選ばれるだろう、とはわたしの周りのブルキナファソの人たちの見解です。本当にそういうシナリオで進んでいけばいいのですが。


国の将来は、子供たちの手にゆだねられます。
国の健全な発展のために必要なものは、しっかりした学校教育だと思うし、この国人たちも認めるところでしょう。
政権が安定して、国民の暮らしが安定してこそ、子どもたちの精神は落ち着き、良い教育を与えることができます。
昨日出会った子どもたちが、そしてすべてのブルキナファソの子どもたちがしっかりした環境に守られて成長していきますように。
子どもは地球の宝物です。

2022年2月1日火曜日

ワガドゥグの乾季のバオバブの木たち

 


これは、ワガドゥグ中心部幹線道路沿いに立つバオバブの木です。
ブルキナファソのバオバブはどれもこんなタイプのもので、わたしたちがイメージするマダガスカルの巨大バオバブのような異様に太い幹を持っていません。


12月から気温が下がって乾季が進むと、上に載せた写真のバオバブのように葉を落として、どのバオバブの木も裸木だから、すぐに町なかでバオバブの木を見つけることができます。
びっくりするくらい、結構な数のバオバブの木を発見します。

バオバブの葉っぱはブルキナファソの料理によく使われるし、バオバブオイルも肌に良いと聞きます。わたしも愛用しています。「おサルのパン~pain de singe」と言われる硬くて大きな実の果肉をくり抜いてジュースにしたり。粉にして食べたり、ブルキナファソの人たちはバオバブの木を一本丸ごと楽しんでいるなあと痛感します。


ゴルフ場のバオバブの木(2022.1.8.)

道路沿いに立つ大きなバオバブの木(2022.1.26.)

ワガ2000タワー近くの空き地に立つバオバブの木(2022.1.30)

ゴルフ場に向かい途中で見つけたバオバブの木(2021.12.25)



最後の写真のみ、昨年12月に撮った写真です。手前の裸木がバオバブの木です。まだバオバブの実(pain de singe)がいくつか名残惜し気にぶら下がっていました。

わたしが2020年に種から植えたバオバブの木たち。
10粒の種を植えて、芽を出した4本のバオバブの木たち。
わたしが日本に帰っている1年半の間、事務所のベランダで事務所のジナボさんが育ててくれたバオバブ4兄弟たちもブルキナファソで生まれて3年が経ち、わたしたちがこの地を離れるにあたり、それぞれ、ここの友人たちに喜んでもらわれて行きました。
ブルキナファソの地に根を張って大きく大きく育っていくバオバブの姿を、わたしはずっと日本で想像しながら楽しもうと思っています。