2019年5月27日月曜日

スイカの季節じゃないのに



5月ももう終わりです。ぽちぽちと、夕方から雨が降るようになりました。夜に雨が降った日の朝は、羽蟻が大量発生するらしく、どこの隙間からか、羽蟻の羽だけがゾワーっと台所に入り込んできてかたまって床に散乱しています。ホントに、ゾワー!、です。
網戸にも内側に羽だけがへばりくっついて、ゾワー!
アパートの階段にも飛び散ってゾワー!

まあ、お陰で、朝、窓から入る風は確かに心地良くて、扇風機だけでしのげます。
はっきりと季節の変わりを感じます。

そんな季節の街中では、先月あたりからスイカが山積みになって売られています。
スイカの季節なのかと聞いてみると、いや違う、今はスイカの季節とは真反対だ、と言い切ります。
スイカの季節というのは、雨季が終わった12月、1月、2月の頃だと我が家の運転手もコックも言うのです。
スイカは育つのに水は要るが、育ってしまうと、スイカに水がかかるとスイカを傷めてしまうから、雨季の後に実を結ぶのが一番なのだと力説するのです。
なんでも7月、8月、9月がワガドゥグの最多雨量の季節なのだそうです。

じゃあ、山積みスイカはどこかよその国からの輸入品なのかと聞くと、いや国内産だと言います。今の季節は畑にスイカを植えて、毎日水をやって育てるのだ。でも、旬の季節には、畑にスイカの種を植えて何もせずに勝手に大きくなるのだよー、って。

ここのスイカは無地の薄緑色です。日本のスイカのように縞模様ではありません。
ということで、無地だけど、日本のと同じくらいのLサイズのスイカが今現在も道端で山積みされて売られています。

25年前のバンギでは熱帯地方なのにスイカはまず見られなかったな。
数年前のキンシャサでは、小さいスイカをたまに見かけて、買ってきて割ってみると果肉はほとんど白みどりでがっくりしたよな。
騙された気分になったものです。

品質改良されたのでしょうか。それとも、ここの土壌に合ってるのでしょうか?
ここのスイカは、日本の夏の風物詩の”スイカ割り”ができるほど、しっかり大きいスイカです。

夫が4月下旬に買ってきたスイカをお見せしましょう。




赤く熟していますね。日本のスイカと同じでしょ!美味しかったです。
だから、てっきり、スイカの季節到来か、と思ったくらいです。
でも、我が家のコックさん兼ボーイさんは、今の季節のスイカには見向きもしません。
かれのデザートには、パイナップルとマンゴがよく登場します。

ここの人たちは、旬のものをしっかり知っていて、それを楽しむことを大切にしてるなと思います。
旬が終わると、はい、また来年までサヨおなら、ぷっ!、とお別れするのでしょう。

2019年5月23日木曜日

ワガドゥグの街角の公衆電話!



五月も下旬となりました。日本では、そろそろ梅雨の声を聞くころでしょうか。
ここ、ワガドゥグでも、雨季が始まるのかな~。火焔樹の木に朱色の花が満開です。
昨夜も、お湿り程度の雨だったようですが、雷の音がごろごろ遠くで鳴っているのが聴こえて、早めのシャワーを浴びておこうと思いました。雷が鳴ると、停電が起こりそうで(おへそも取られそうで!)怖いですし。

さて、この写真。ワガドゥグの中心部でわたしが撮影したものです。
なんと、公衆電話ではありませんか!
でも、皆さん素通りでした。もうずいぶん昔のもので、故障して以来ずっと振り向きもされずに放っておかれているのだそうです。でも、きれいに保存されていると思います。

日本では、昭和40年代に固定電話が一般家庭で普及して行って、赤とクリーム色のツートンカラー(懐かしい言葉!)の公衆電話ボックスが登場し、駅ナカとかで赤や緑(や肌色も?)の公衆電話が設置されて行きました。
当初の公衆電話は、10円玉しか使えませんでしたが、そのうちに100円玉も使えるようになり、テレフォンカードも登場しました。
でも、いつの間にか、「一億皆携帯電話時代」となり、公衆電話も、テレフォンカードも消えて行った、かな。

キンシャサでは、固定電話の時代を持たないまま、一気に飛び越えて、携帯電話が普及したのだそうです。
このワガドゥグでは、一応、固定電話の時代もあったようです。オフィスなどで普及していったと聞きます。だから公衆電話も設置されていたんだなあ、とちょっとびっくりしました。
現在は、まずほとんど皆が携帯電話を持っています。電波状況の不安定もあって、ほとんどの人達が2台、3台と持っています。

ちなみに、キンシャサでは存在しなかったコインがブルキナファソの国には、ちゃんと存在しますからね!
これにも、感動しましたよ!




さて、ブルキナファソ(ワガドゥグ限定?)の公衆電話には、何分でいくらのコインを入れていたのでしょう?

2019年5月21日火曜日

衝撃のファソダンファニ探訪・最終編

さて、4つの疑惑を抱えたまま、いよいよ最終回。

衝撃のファソダンファニ探訪を終え、あのマダムとあの家内工場は何だったんだろうと、幻影のようにも思えてきた、数日後・・・。

というか、昨日の日曜日、朝のゴルフを終えた後、夫のプロジェクトに絡むフランス人が夫婦で世話役をする乗馬クラブの大会があるからどうぞーとお誘いを受けて、行ってきました。
小じゃれたパイヨットの中にカウンターといくつかのテーブルや椅子が置かれていて、憩いのスペースになっています。
馬場では競技会前の練習風景が繰り広げられていました。
今回で見学2回目です。

その会場の入り口に、ワガドゥグのアーティストたち、食品販売の人たちがそれぞれに小さなブースに分かれて店開きをしています。
なかなかセンスの良い商品、高品質のものばかりが並んでいて、きっとフランス人仲間の御用達のブランドブースなんだろうなと思われました。
小物として、ブルキナファソのカゴ製品も鉄や銅の製品や、ベンチやスツールたち。絵やカード、それから楽器(これはちょっといただけなかったかな)も見つけました。
食品として、瓶詰ジュースや、果物の乾物、ナッツ類、ショウガ入り手作りクッキーもあります。瓶詰ジュースの販売会社は1ケース単位で売って運んでくれて、空瓶は回収に来るのだそうですよ。環境問題にも配慮してるなあとひとり感動の渦の中へ。
布製品として、染色されたテーブルクロスや、ベッドカバーも・・・。

~っとワクワクしながら見ていたら、視線を感じました。
くるっと振り向くと、ニッカアーと笑う、あ!あのマダムだ!!!
たくさんのカラフルなファソダンファニの小物を所狭しと並べたテーブルを前に満面の笑顔でわたしを見つめていました。
おお~。マダムじゃないのお。HPを見ると、おしゃれなブティックだとばかり思って行ったら、とんでもない。マダムんとこは工場だったよねえ~、まったくぅ~と言ったら、またまたニッカアーと笑います。


ニカマダム(と呼ぶことにしましょう)んところでは、こんなにきれいなファソダンファニの織布を織っていたのだという感動がまず沸き起こりました。
本当にきれいな色糸を混ぜ合わせて織られています。

わたしが手に持っているのは、カラフルなファソダンファニで作られた大ぶりのピアスたち。もう、ほんっとにオシャレなピアスたち。全部買い占めたかったけど、それは道徳に反すると思い、せめても10個ほど、と思ったら、すごい眼差しで夫が見つめておりました、わたしを。
で、4つに絞り、18000FC!、とニカマダムが言うところを、15000FCを出すと、夫が手に持っていた500FCのお札をさっと取って、これでいいことにしましょう、と言ってまた、ニッカアー。
参りました。

テーブルには、これまたカラフルなファソダンファニで作られたセカンドバッグも並んでいました。
しかし、このセンスの良い小物たちは誰の発案なのだろう?
すると、ボンジュール!、と細身のオシャレな若い女性が現れました。

あ、これはね、わたしの次女。今、コートジボアールにいるのよ~。と自慢げに紹介されました。



もしかしたら、ニカマダムの次女の女性がニカマダムのブランド商品、”Faso Beautex”のHPを立ち上げ、企画も次女さんがやっているのかもなあ、なんて思ったのでした。
ショールかなと思われるものも、もっと厚手で波を打っている織地の足マットもカラフル展開されていました。
なあんだ、あのとき制作中だったファソダンファニの織布は、こうやって小物製品になっているんだ、と合点がいきました。

しかし、このニカマダムさん。ホントにアフリカの大地にドカッ!と立ち、ニカアーっと笑いながらこれからも生きてゆくんだろうな。
家内工場の建物の中の子どもたちの喧騒が、本当に職工さんたちの子どもたちだとしたら、ニカマダムさんを心から尊敬するなあ。まさにあの空間は託児所でした。

あー、かのじょのとこのピアス、全部欲しかった、マジ。
わたしの耳は穴無しだから、ひとつずつペンダントヘッドにしてもかわいいと思う。
日本の代理店になりたいっす。

以上、ブルキナファソの伝統工芸品の一つ、厚手のコットン100%の織布、ファソダンファニを3回にわたって紹介しました。

衝撃のファソダンファニ探訪

 ファソダンファニのオシャレなブティックがあるとの情報を受けてネットで探すと、ホントだ!あった!
これは行くべし!

と、まず電話するとオシャレなブティックにはふさわしくない図太い声のマダムが応対してくれました。庶民的な応対にちょっと疑る。<疑惑①>

運転手にしっかりと道順をきいてもらい出発。どんどん、中心部から離れて庶民の地区に入っていきますが、大丈夫?
と運転手に訊くと、わしも知らんよ、言われたがままに行っとるだけだがね。
で、到着。でもオシャレなブティック街とは全く縁遠い地区。<疑惑②>
もう一度マダムに電話してみる。はいそうそう、白い門扉のとこさ。
わたしがそこまで出るから、ほら。
携帯電話を耳に当てた庶民のでぶっちょマダムがドカーンと、わたしのど真ん前に立っていました。
へ?
オシャレなマダムが開くブティックじゃなかったの?

あ、あそこは引っ越したのさ。今は、ここさ。<疑惑③>
普通の民家じゃあありませんか。

庭で、染色した糸を干してほぐしている人たちと、織機で織っている3人の女性がいるのとで、ファソダンファニの家内工場だと言うことは理解できますが、こりゃ、完全に下町の家内工場。これって、騙された?
暗い民家の中に入ると、赤ちゃんや幼児が数人寝たり遊んでいたりしていて、けたたましい。床の水って、もしかしたら、この子たちのおしっこ、かも。
そんなこんなの疑惑が浮上してくらくらしてきました。全然オシャレじゃないんですもん。

ファソダンファニの布地は、これまでに訪ねて行った店と同じように少ないながらも室内や入口に棚に並んで陳列されてはいます。

せっかくなんだから半反でも買って早いとこ、おいとましましょ。
黄色の縦縞の織布をこれ半反ください!、というと、あ、これはセットで売ってるから半反売りはできないよ。
じゃ、これは? それもセット売りだから、ダメ―。
ほかの織布よりちょっと幅広の縦縞柄の白地に小豆色と黒の縦縞のものに半反買いの許可が下りて買ったら、10000FCだって。ほかんとこより高いじゃん。最初の店は、半反7500FCだったし、次に買ったときは8500FCだったもん。このおばちゃんマダム、ドカンとして、はい10000FCね、と言い切る。

値段の交渉に応じない代わりに、家内工場の写真を撮る許可を取り付けました。
いざ、携帯を持って工場見学へ。




門扉入ってすぐのスペースでは、束になった染色した糸を伸ばして引っ張って、干してるんだか、絡まりをほぐして織り作業の前段階のような作業をしている人たちが2,3人。


  
縦糸は色とりどりカラフルで、横糸は、ご覧の通り藤色の糸一色で織られていきます。


           
織機はどれも鉄製で、職工さんたちは女性ばかりです。もしかしたら、室内の赤ちゃんや幼児たちってこの女性たちの子どもなのかもしれない。良い職場じゃん、と見直します。



こんなきれいな色のファソダンファニの織布は見たことないし、室内のどこにも見かけなかった。これらのカラフルなファソダンファニは果たしてどこに消えるのか。<疑惑④>
さて、続きはまた!

2019年5月20日月曜日

ブルキナファソの伝統織布、”ファソダンファニ”

わたしにとって2店目のファソダンファニの店で

ここは、ファソダンファニというコットン100%の厚手の織布を売る店です。
ブルキナファソの伝統的な織布で、縦縞が基本、とみたのですが。
市内あちこちにこのファソダンファニの店があり、この店はわたしにとっては2軒目でした。
我が家の運転手に、ファソダンファニの店に連れてってー、とお願いして連れて行ってもらった店がここ。

ファソダンファニの幅はほぼ30cm前後、長さ13.5m前後で一巻き、というか一反、かな。8枚重ねにしたものが更に4つ折り?くらいにされて、百科事典のように棚に並べられています。ごらんのとおり、よりどりみどり!柄が見やすいし、選びやすい。
半反でも売ってくれました。(一反約15000FC~20000FC。約三千円~四千円)

かたや、我らが日本の着物の一反を調べてみたら、幅36cm(現在は幅37~8cm)、長さ12mで一反。芯に丸い紙の棒があってそれにくるくるっと巻かれて呉服店に陳列されています。やっぱり、見やすいし、選びやすい。
なんだか、ファソダンファニの中に日本の着物が重なって見えて、親近感がふつふつと湧いてきます。
ただし、ファソダンファニの織布の方が厚手だし、すべてコットン100%です。
(ちなみに、インド、ネパールのサリーは90cm幅の6ヤード、ということは5.4m。これは、アフリカンプリントの布地ワンセットとぴったり同じサイズ!)

ファソダンファニは女性の衣装としても使われると言うことですが、ワガドゥグでは男性がよく民族衣装として外出着に着ているのを今もよく見かけます。
こんな感じ。

ファソダンファニの織布店内に飾られたブルキナファソの民族衣装

(見苦しい女性が邪魔をしております。失礼。)
我が家のアパート管理会社の青年は、初対面の時に、このファソダンファニの紺地に白縦縞の民族衣装上着(短めだった!)にジーンズを合わせて現れましたが、とても素敵でしたよ。

だいたい、上着の前身ごろ左右、後ろ身ごろ左右で各1m×4、袖左右と脇左右に各1m×4で計8m。ズボン前後と左右で各1m×4で計4m。総計12mあれば作れるかなあってとこでしょうか。太ったムッシュでも13.5mあれば、この民族衣装を上下で作れるかなあと思うのですが。
だてに、民族衣装の布地一巻きの幅や長さが決まったわけではない、ちゃんとした意味があるのでしょう。昔の人の知恵ですね。
日本の着物もそうですね。
「御端折り(おはしょり)」という言葉、好きだなあ。
女性は着物を着るとき、腰で丈を合わせて紐で結んで着物を重ね合わせて折ります。帯の下からその折り重なった部分、「御端折り」がしっかり見えるように着るのですよね。御端折りは女性が着物を着るときになくてはならない大切なものです。


わたしが、最初の店で選んだファソダンファニも、次の店で選んだファソダンファニも、シンプルな縦縞でした。

向かって右が最初に入った店で、左は2店目で購入したファソダンファニ織布

さらにもう一つ。
ファソダンファニの厚手コットン100%の布地の縦縞を見た時に、はっと思い出したのが、日本の我が家で活躍する、スウェーデンの王室御用達のリネンのブランド、”Ekelund”の縦縞の細長いサイズのものでした。
Ekelundにはいろいろなサイズのもの、コットン(しかもオーガニック!)100%でもいろいろな織地のものがありますが、この縦縞、細幅、厚手布地のものは、もうぴったり、わたしの中でファソダンファニと重なったのでした。

スウェーデンのEkelundのオーガニック100%布地

ということで、わたしは、せっせとテーブルサイズに合わせて切って、両端を二つ折りにして、まつり縫いで端の始末をして(難しいフリンジはパス!)プレゼント用にしたいなと思っているところです。

3店目のお店の衝撃的な(!!!)出会いは、次回に。

2019年5月14日火曜日

家宝 ブルキナファソの絵



 先日、キンシャサで仲良くなった若い友人が、こんな絵のプレゼントを携えてワガドゥグ出張時に我が家へ遊びに来てくれました!

わーい!!!

建築士である友人がプロジェクトの設計図から書き起こしたラフスケッチをFacebookに載せていました。その絵がとっても素敵で、即、かれにその絵をください!、とお願いしたら、仮面の絵を描いて次の出張の時に持って行きましょうと約束してくれたのでした。

それが、この絵です。
もちろん、友人の手描きです。
最初は縦描きの絵だったと記憶していますが、横描きになってお面の神様たちが存在感たっぷりに描かれた上にもう一つのオマケがプラスされていました!
アクリルの額に入れて、持って来てくれましたよー。

お面を収集する友人は、こんなイメージでこの絵を描いてくれたのだそうです。

・・・ブルキナファソのデドゥグの仮面祭で仲良くなった神さまが、のんびりとブルキナファソ一帯を旅してまわっている・・・。

丸いお面は太陽、四角いのはバッファロー、角のお面はアンテロープで、どれもボボデュラッソ地方からのものだそうです。
ボボデュラッソは、農作物地帯でも有名だし、独特の文化の発信地でもあります。
また、ボボデュラッソといえば、世界遺産登録を目指すモスク寺院で有名ですが、そのモスクもしっかり絵の中に描かれていますよ。(オマケ部分ですね~)

この絵はもちろん、井上家の家宝に登録されました。
うれしいな。
めでたいな。

いつでも、我が家へ観に来られたし!

ちなみに、ボボデュラッソの丸いお面の画像を付けましょう。


2019年5月13日月曜日

ワガドゥグで見つけた本屋



L’éléphant vert: ワガドゥグで見つけた本屋: ワガドゥグの大通りでちょっと大きめの本屋と出会った。 文具屋も兼ねていて、たくさんの本を置いている書店だ。 書店オーナーと思われる白人女性が、わたしにアフリカの子どもの本を数点勧めてくれた。 これは、前回、ブログで書いた”RAFARA”という女の子が主人公の絵本...

2019年5月7日火曜日

闇夜のハッピバースデー・ツーユー♪

ワガドゥグの夕焼け 2019.4.22.撮影

春分の日も1ヵ月半が過ぎ、ここの日暮れも6時過ぎとなりました。
ワガドゥグの正確な緯度は、北緯12度21分26秒。
北回帰線は北緯23.5度だそうで、今年の(このライン上に太陽が直角に照らす)夏至は6月21日なのだそうです。
赤道と北回帰線とのほぼ真ん中にある我がワガの町の真上に太陽が(直角に)来る日は、春分の日と夏至の中間と考えると、5月半ばあたり?(with 理科音痴の人の考え)
とすると、もうすぐじゃん!
その日を過ぎると、太陽は我がワガの町では北側を通過するのですよー!
感動ではありませんか!
陽ざしは、北向きの窓から差し込むということですもん!
その後、秋分の日の一か月半前(よね?)までは太陽は北向きの窓から差し込むということですよ!
日本人の感覚としては考えられないことでしょう。だって、日本は、北回帰線より北にあるのだから、いつも太陽は南を通るのですよ。(よーく考えてみたまえ。)
南中高度、なんてのも懐かしい理科用語です。

さて、わたしはこんなことを言いたくて今日のブログを書き始めたわけではありませんでした。

閑話休題。

このサヘル地帯に位置する、しかも乾季の我がワガの町では、停電が頻繁に起こります。
しかも、太陽が真上を通過するこの時期、気温は40℃を越えます。
エアコンとか、百歩譲っても扇風機がなければヘロヘロです。
それより、大事にストックしている生鮮食料品が解凍されないか心配です。
これが、文明人の弱みと言えるのでしょう。
ここは、キンシャサと違い、調理コンロがプロパンガスなので、その点、停電になっても料理は続行できます。

夜は、電圧が下がって電灯が暗くなってきたぞーっと思うと、突然、真っ暗闇に包まれます。
わたしが幼い頃は、九州でも時々停電になっていましたが、突然の暗闇にドキッとして不安感に襲われたことを思い出します。

ワガドゥグには、日本人家庭でお子さん連れで暮らす方も結構います。
ある日、初めて、夕方からのホームパーティーによばれて喜んで参加した時のことです。
突然、バチッ!と電気が消えました。

間髪入れずに、女性たち(母親たち)が、ハッピバースデーツーユー♪と声高らかに歌い始めたのです。
誕生日ケーキにロウソクを立てて部屋を真っ暗にして、一気にその灯を吹き消すと幸せが来る、とかいう時の“幸せの暗闇”に見立てるのです。

子どもたちは不安がる暇もありません。
ほんとに、バチッ!(電気が消える音)→ハッピバースデー~♪ なのです。
すごい連係プレイに、わたしは大感動しました。
その晩は、何度、このハァッピバースデー♪の大合唱になったかしれません。

ワガドゥグで子育てをするたくましい日本のお母さん方に座布団千枚~!!!

ということを、さださんにお知らせしなくちゃ、とまたまたオセッカイマダムは、昨日、NHK生さんださんへの葉書に「闇夜のハッピバースデー」のことをぎっしり書いて我がワガの郵便局から投函しました。ごくろーさん、わたし。

2019年5月2日木曜日

ワガドゥグの月面ゴルフ場

ワガドゥグのゴルフ場入口を内側から望む

ようこそ、月面ゴルフ場へ。
町の中心地からワガタワー(通称。本当は”勇者の塔”と訳せばいいかな。)のロータリーを左折して、デーン!と構えた米大使館の前を通り過ぎてさらに進むと、はげはげ土むき出しのワガ・ゴルフ場に到着します。

門の開け閉めをするおじさんが深いしわ顔をくしゃ!っとしてお出迎え。
良い顔したおじさんです。
ここのゴルフ場開設以来ずっと働いているんじゃないかと思われるような存在感のあるおじさんが遮断機を上げてノートを持って来て、わたしたちが車内で記帳を済ませると、いよいよ月面のようなゴルフ場入場です。
午前8時でもう、灼熱の地になっていますが、はげはげの場所でゴルフをする、と思うより、月面でゴルフをする、とイメージするほうが断然、夢がありますよね。

ということで、今朝も月面プレイを楽しみました。
こちらではメーデーで祝日ですから、多くの方が早朝から休日ゴルフに繰り出していました。
日本では、令和の元旦ですね。


フェアウェイではマットを敷いてプレイ可

少々、木は生えていますが、これが月面ゴルフ場です。
芝生マットを敷いてプレイしているのが見えますか。友人のアドバイスで、しっかりマットを日本で買って持参しました。

この月面に以前紹介した、白いキラキラ小石が散らばっています。
その小石をチラ見しながら、ゴルフに集中です。






ティーアップのところもセメント台だから、もちろんグリーンマットを敷きます。

40年近く前の大阪万博のアメリカ合衆国館で展示されていた月の石みたいなのも、点在していますよ。






一見すると火山から吹き上げられた穴ぼこだらけの岩石か!、と思われますが、これは、元蟻塚だったものがボロボロに崩れて岩のようになったものらしいです。
蟻が吐き出す?蟻酸で土が固められるとがちんがちんになります。コンゴでも中央アフリカでも巨大な蟻塚をよく見かけました。
これぞ、月の石!、です。

まあ、木も生えてはいるのですよ。
なんせ、セミの鳴き声をアフリカ大陸で初めて耳にしたくらいですから。



と、こんな感じの我がワガドゥグの月面ゴルフ場でした。
毎週、月面でゴルフをする、と考えるほうが数倍楽しめる、ってものです。

ここにはクレーターはないかなあ。
しっかり引力はありますけど。