2019年12月23日月曜日

ワガドゥグの街角で売られる降誕小屋光景

イスラム教徒の多いブルキナファソの国だけど、12月に入ると道端で粘土で作られたクリスマス降誕小屋の小さな置物を売る光景が目に付くようになりました。




そんな光景をカメラに収めたいと我が家の運転手にお願いしたら、ワガドゥグの聖堂横の道路沿いの一角に連れて行ってくれました。

すごいー!
聖堂横だから、規模が違うー!

いろんなバージョンの小屋が並んでいます。





友人にこの写真を送ったら、ガウディ―建築みたいね、ですって。確かに!

飼い葉桶の中の赤ちゃんのイエス様にマリア様にヨゼフ様、そして3人の博士に羊飼いたちの粘土の人形もずらーっと並んでいました。なんだか、南仏で買ったドロ人形のクリスマスの人形を思い出します。もう15年も前のことです。

ブルキナファソはブロンズの置物制作も盛んだから、ブロンズのクリスマス人形も見つけました。
コンゴのキンシャサでは木彫りのクリスマス人形が素敵でした。(これは、日本に持って帰りました。)
更にさかのぼって、中央アフリカのバンギでは、べニア板と藁屋根の素朴な降誕小屋が町角に積み上げられて売られていましたっけ。(素朴過ぎて、またちょっとかさばるものだったので、子どもたちと記念撮影した後、バンギの知人に残して帰りました。)
懐かしい思い出です。

町角のクリスマス降誕小屋を売っている傍で、プラスティック製のモミの木も売られています。

キンシャサみたいに大型のクリスマスツリーの装飾を見かけないなあとちょっとがっかりしていたら、日用雑貨の大型チェーン店(アフリカだけ?)ORCA近くの交差点に電飾の立体の大きなクリスマスツリーがそびえ立っていました。でも昼間だから、明かりが灯るでもなく、危うく見過ごすところでしたが。
ほら!結構大きな電灯クリスマスツリーです。てっぺんには星が付いています。




夜の外出は控えている(治安上)ので、明るく緑に光る(想像・・)イルミネーションを観られず残念!

我が家にはもう子どもがいないから、ワガドゥグの我が家にはクリスマスの飾りはありません。

2019年12月11日水曜日

イエネンガ姫の椅子

ワガドゥグはすっかり乾季で、雨が一滴たりとも落ちてこず、町中が埃だらけで霞んでいます。
我が家の運転手さんは、ダウンジャケットを羽織って襟巻をして首を隠し、マスクをしてやってくるようになりました。日中に外に出ると日差しは相変わらず強く暑いですが、明け方は冷え込むようになりました。この2,3日で就寝時のエアコンが不要になりました。そして、あちこちで埃にやられて感染症で発熱している人の話を聞きます。


さて、明日の12月11日は、ブルキナファソの独立記念日です。
今年は、この国の古都、テンコドゴTenkodogoで(モレ語で”古い土地”と言う意味だそうです。)式典が開催されるのだそうです。
式典では古式ゆかしい戦闘の出陣式が再現されると聞きます。しかも、今年はTenkodogoで見られるのです。
Tenkodogoは、リアレが狩猟をして独りで住み、イエネンガ姫と結婚してからも暮らし続けた場所です。
ワガドゥグから南東に車で3時間ほどの所にあり、ブルキナファソの治安のことを考えると現時点では訪ねることは難しいようです。
来年の独立記念日の式典は、また違う都市で開催されるそうです。
Tenkodogoを訪れてみたかったなあ。

先月、日本から一人の若者がワガドゥグの我が家にやってきました。
神戸で”moja”というアフリカの骨董品を扱うお店、ギャラリー、カフェを経営するかたで、ワガドゥグより南西に車で6時間ほど離れたところに現地の人と買い付けに行くという話でした。
そして、ワガドゥグに戻ったかれからいただいたお土産にわたしはもう天にも昇る思いでした!
それは、イエネンガ姫様式の椅子だったのです!




長さ45cm、幅16cm、高さ13cm。4本足。
ちょっと低めの椅子ですが、イエネンガ時代の様式の椅子だそうです。
お尻二つの山の部分がちょうど椅子の丸い部分の中央にどっかりはまって落ち着きます。
実際にイエネンガ姫が座った椅子と言うわけではありませんが、イエネンガさんの時代はこんな椅子に座っていたのだなと思うと感動です。

わたしの愛してやまないイエネンガ姫!
イエネンガヒメ~、イエネンガヒメ~、と呪文のように唱えていたら、こんな椅子までわたしのところにやってきました。
ありがとう、mojaさん。

今の現状ではTenkodogoに行くことはできないけど、いつか、いつか、きっと行ける日が来ると信じましょう。


2019年12月10日火曜日

自作自家用車に乗るイカした兄さん



12月7日、土曜日の午後も遅い頃、わたしたちは車でサアーバからワガドゥグ中心部に向けて移動していました。

夫の一声で、右の車線に目を移すと、こんなものが!

ブリキを溶接した手作り感いっぱいの4輪車が颯爽と走っているではありませんか。
車体の後ろには四角い黒のバッグがピタッとくっ付いて、そこからアンテナっぽいスティックが突き出ているのは何?
車のボディフロントに取り付けられたPCマイクみたいなのは何のため?
(実用のためなのか?おあそびなのか?)
車のフロントグラスは曇ってて見えないじゃん?
突っ込みどころはいくつかありますが、シンプル極まりない車です。

小さい頃、ポンコツグルマ、という呼び方をしていたのを思い出します。
まるで、工作で、ブリキ板やら車輪やらハンドルやライトに車軸やら、おっと忘れちゃいけないエンジンやらを買い集めて、自分で頭ひねって工夫して出来上がった愛車ですー!
~と体中で幸せ感オーラを発しながら乗っている誇らしげなお兄さん!


夫が、車の窓を開けて、叫びました。
写真、とってもいいかーい!
イカした兄さんは、片手をハンドルから話して、親指を突き立てました!
OK!
これは、夫が撮った写真です。




颯爽と走り去ったお兄さんの笑顔は、元シャネルズのボーカル、鈴木雅之にそっくりのおひげの似合う人でした。

なぜだか、かれのカバー曲CDの中の ♪涙くん、さよなら♪ がわたしの頭の中で流れてきて、夕暮れ間近のワガドゥグがオシャレな街に変わったようでした。


2019年11月26日火曜日

12か月の中の30日までと31日までのこぶし記憶法

我が家のコックさんがこぶしを使って月の日数を確認しています!

なんとびっくり!
ブルキナファソの人たちと日本の人たちの「月日の覚え方~30日までの月と31日までの月の確認法」が同じだったのです!

事の発端は、フランス語の個人レッスンのときに先生がこぶしを出して、今月は30日までね、っと言ったのを見たことからでした。

えー!ブルキナファソの人もそうやって、30日までか31日までかを確かめるの?
えー!日本の人も、同じことをするの?
お互いにびっくりし合いました。

我が家のコックさん(彼は60歳ちょっと前の年代)に訊くと、やっぱり同じ方法を持っていると言うのです。実演してくれました。上の写真がそうです。
かれは、小学校の時に学校の先生から教えてもらったそうです。もう50年以上前のことですね。決して親からではなかったと強調しました。だから、学校に行っていないブルキナファソの人に尋ねてもこのやり方を知らないだろうとも。
Facebookにこのことを載せたら、タヒチ出身の友人からも同じ方法で確かめるよ、と返信が来ました。お父さんが教えてくれたのだそうです。
スコットランド系フランス人の友人は、それはフランスのやり方だというのです。英語では韻を踏んだ詩で覚えるのだそうです。
日本のかたの情報では、コンゴ民主共和国の通訳の男性もそのこぶし法で確かめていたそうです。

ちなみに日本では、「ニシムク サムライ」と言う唱えて確かめる方法もありました。
”ニ”は、2月。”シ”は4月、”ム”は6月、”ク”は9月。
では、”サムライ”ってのはなんだ?
前述の日本人ムッシュの話で、”サムライ”=”士”・・・だから、十一・・11月。
ということで、31日までない短い月は、2,4,6,9,11月なのだそうです。
頓智の効いた覚え方ですなあ~。
サーっと霧が晴れたようで爽快感に浸りました!

ところで、このこぶしの谷間を使って月の長い短いを表す方法を編み出したのは、どこのどなたさんだろう・・・。
そして、世界中のこぶし法分布図を作ってみたいと思うのでした。
情報を求む!!!



2019年11月17日日曜日

すっかり乾季になりました

ここワガドゥグでは、10月下旬からやたらに外でバッタに出くわしましたが、それも一段落です。

思えば、中央アフリカ共和国のバンギでも乾季に入ったとたんに緑色のバッタが大量発生して、現地語でこのバッタを”キンダゴゾウ”と言って、バンギの人たちは夜になると街灯に集まるキンダゴゾウさん(わたしたちは親しみを込めてこう呼んでいました。昔の日本人にいそうな名前ですね)を七輪で焼いて、夜桜見物ならぬ、夜バッタ見物で宴会が繰り広げられていました。タンパク質が焦げる香ばしい匂いが、楽し気な話声とともに我が家のリビングまで入り込んできていました。

ワガドゥグのバッタは、モレ語では”soure”(ソーレ)というのだそうです。
バンギのゴゾウさんより少し小ぶりで茶色だし、ここの人たちは決して食用にはしないと言います。
やはり、ソーレが出てくると乾季が終わった”合図”だと聞きました。

今年の雨季の終わりはちょっと長引いたようですが、ワガドゥグももうすっかり乾季です!

わたしたちがガーナに発つ前は、ここのアパートの踊り場やベランダにもソーレがぴょんぴょん飛び跳ねていて、バッタに無頓着な夫はバッタを踏みつけても平気のヘーサ!
靴の裏にバッタの体液がつくから踏まないでー!、とわたしは注意しまくりましたが効き目なしでした。
ガーナから帰ってくると、我が家のリビングまで忍び込んだバッタが数匹転がっていました。なんだか、他の昆虫まで(わたしの大っ嫌いな・・)までいそうで、わたしは帰宅と同時に疲れも忘れて家具を動かして掃除しまくったのでした。

ワガドゥグのゴルフ場の7ホール目だかの左側に、雨季の間は緑色に広がっていた雑穀畑もいつの間にか枯れて収穫の時期を終えて、また殺風景な姿になっています。

ゴルフ場そばの雑穀畑の収穫物~ソルゴとミル

収穫を終えた雑穀畑でプレイする夫2019.11.9.

乾季になって、心なしか、アパート2階の我が家の床の赤土砂ぼこりが気になるようになりました。
外の空気も砂塵が舞って、バイクを運転する人の中にもマスクを着用する人をちらほら見かけるようになりました。
町なかには、雨季の間に実った野菜や果実が出回っています。

手前からカボチャ、ヤム芋、縞々スイカ 2019.11.8.


2019年11月15日金曜日

ガーナ、アクラへの旅

もう半月前の話になりますが、10月31日から11月3日まで、夫の休みに合わせて駆け足アクラ夫婦の旅に出ました。

あいにく、行きの木曜日も帰りの日曜日もワガドゥグ~アクラ間の直行便はなく、コートジボワールエアのアビジャン(コートジボワール)経由の便を使ったのでちょっと遠回りになりました。
往路は・・・
10月31日16:00ワガドゥグ発
10月31日17:35アビジャン着
10月31日19:05アビジャン発
10月31日20:10アクラ着
直行便だと、ワガドゥグ~アクラを約1時間半で飛ぶところを、乗り換えも含めて4時間ちょっとかかったのです。

復路は・・・
11月3日09:20アクラ発
11月3日10:25アビジャン着
11月3日12:25アビジャン発
11月3日14:00ワガドゥグ着

アクラの空港もアビジャンの空港も新しく、機体もきれいで快適でした。
わたしが初めてアフリカに足を踏み入れた30年近く前とは雲泥の差。
外国資本が入っているのでしょうが、もうアフリカは世界と足並みをそろえて生きているのだと感じました。

このような旅程を組んだので、ガーナ滞在は正味二日間しかありません。アクラ限定観光とし、ウィークディである初日金曜日に、とにかく行きたいところを集約させました。

幸いホテル前で出会った運転手さんが良い人で、まずまずの料金で(夫任せなのでイマイチ料金不明)半日貸し切りにして出発しました。
まずは、野口英世さんの研究室を訪ねることに。
わたしたちは野口英世さんの伝記に感動しまくった世代ですから。また、土日祝日は閉館になると聞いていたので、この金曜日しかない!まずはアクラに着いたら、なにはなくともイの一番に英世さんとこに行くぞー!、の思いが強かったのでした。

研究棟の近くの別の建物内で英世さん記念展示室と庭園入場券を買いましたが、なんと約100円。申し訳ないような金額でした。維持管理代も必要だろうに・・。
わたしたちは、英世さんの功績がずっと伝わりますようにと献金箱に寄付して記帳しました。管理人のおじさんが丁寧に説明してくれて、きれいに管理してくれていることに感謝しました。訪問者はそんなにいないのだろうになあ。
はるばる来た(~ってワガドゥグからだけど!)英世さんの研究室でした。


英世さんたちの記念研究室がある棟(真ん中は英世さんの記念室の管理人)
英世さんたちの記念研究室と隣の展示室
研究棟横の庭園に立つ英世さん像

庭園内の英世さんの石碑近くに咲いていたツユクサに感動

午後からは、これも絶対に実現したかった訪問を果たしました。
アクラにある、子どもの本の出版社を訪問し、代表であるAkossさんに会って話を聴きたいという思いから、事前に絵本の中のかのじょの出版社のメイルアドレスに連絡を入れて、11月1日14時にホテルロビーで会うという約束をもらっていたのです。
かのじょは、軽トラックをボコンボコンと軽快に飛ばしながら、庶民が暮らす地域にある出版社事務所にわたしたちを案内してくれました。
若い社員2人に事務所入り口で迎えられて、Akossさんの事務室に招かれました。
きれいに整理された彼女の部屋にファックス機と、山積みされた新刊絵本と、隅に並んだ受賞トロフィーに目が行きました。
元中学校教員だったかのじょが、アフリカの子どもたちを描いたアフリカの子どもたちの本を出版してアフリカの子どもたちに届けたいという思いから、20年前に出版社を立ち上げたのだそうです。



”Sub-Saharan Publishers”です。
すでに出版書籍は300冊になるとAkossさんから聞きました。

2人の子どもの母親としても、またガーナで子どもたちのための本を作り続ける出版社の経営者としても、さらに文筆家としても生きてきたAkossさんに大きな優しいパワーを感じました。
かのじょの企画する本たちは、画家も作家もアフリカの人たち。Akossさんが編集企画し、かのじょ自身の著書も見つけました。印刷は安価に仕上がるハンガリーに発注するのだそうです。きれいな色刷りの(絵本はほとんどがハードカバー)絵本が並んで圧巻でした。
アクラには港があるからね、と。船便が簡単に使えるのです。
だからなのか~かのじょの愛車が軽トラックである理由が分かりました。

カタログも綺麗な色刷りのもので、価格表示は米英の通貨です。
この国の公用語は英語です。でも、近隣の仏語圏の物語を描いた絵本は仏語訳でも出版されていたし、ハウサ族の伝説物語の絵本はハウサ語でも出版されていました。
そして、カタログの最後は、注文ファックス用紙になっていました。
世界からの注文を受け付けているのでしょう。

受賞トロフィーの中には、日本の講談社の野間文芸賞のものもUNESCOの子ども文学賞のものもありました。また、トヨタ財団から寄付を受けたともAkossさんは話してくれました。

冷たく冷やされたコーラをいただきながらかのじょと話していたらあっという間に2時間が経過していました。お仕事の邪魔をしましたねえというと、いいえ~これも私の仕事の一つですから~と。
最後にここでも本を分けてくれるというので、さっと8冊絵本を選んで支払ったのですが、請求書の合計欄には手書きで”150”と書かれていました。夫が米ドル表示ですかと訊いたら、いいえガーナの通貨表示ですよと。
頭が大混乱して、ガーナ滞在初日のことで現地通貨の価値もよく理解できないまま、表示された値段を支払いました。請求書の絵本価格は7冊が各々”20”、1冊は”10”の表示。あとで、ガーナ通貨に20を掛けたら日本円になることを知りました。と言うことは、8冊合計で3000円だったのです。日本の絵本の2冊分です。
これは、ガーナの子どもたちのための価格だったのでしょうか。

かのじょには、この絵本たちはあなたのプレゼントだと思っていただくことにします、と伝えました。

Akossさんの二人のお子さんは海外に留学してアクラに戻り、すでに独立していると聞きました。わたしとそんなに年齢は変わらないはず。
夫があなたのこの出版に対する熱意はどこから来てるの、と尋ねてもニコニコしてアフリカの子どもたちを主人公にしたアフリカの子どもたちのための本を作りたかったの、と繰り返すだけなのでした。

その日は、夫と運転手さんの希望で、ガーナ国民から今も尊敬され続けるエンクルマ大統領の資料館にも行き、彼の国政にかける熱情を感じました。

エンクルマ大統領の像とお墓(後方)分かりやすく説明してくれた係員と

初日だけでこの3人の熱い生きざまに触れた、すばらしいアクラの旅でした。

ホテル滞在の4日間で何が一番良かったかと言うと、毎夜、毎朝、湯船に浸かれた幸せを持てたことです!!!(まるで温泉旅行でした!)
ワガドゥグより断然大都会で、カフェやハンバーガー屋も点在してたけど、裏通りに入ると、どこも同じアフリカの匂い。現地の人たちの御用達市場、グランマルシェも混とんとしまくっていて、カオスで楽しかったです。
でも、日本のようなおしゃれなショッピングモールがあるアクラがチョッピリうらやましくもありました。

2019年10月25日金曜日

ワガドゥグの落花生もどきのさや入り豆~ポワ・ド・テール

”落花生”は、土の中で実を結びます。なんでも、花がしぼむと子房の下が伸び、地中で豆果を実らせるのだそうです。花を落として地中で実が生る(なる)から、”落花生”?

そんな落花生によく似た、地中で豆果を実らせる植物と、この国で出会いました。

夫の事務所の秘書さんが、土だらけの、丸い殻が根っこに絡んだ状態のものをわたしに見せてくれました。殻は、落花生のようだけど、その中に入っている実はほとんど1個。ときどき2個のものがあるくらいです。
これをよく洗って、塩ゆでするとすごくおいしいのよー、と言ってプレゼントしてくれました。それを、我が家のコックさんにお願いして洗って塩ゆでしてもらうと、まあ、なんとおいしいこと!
ゆで落花生と同じ食感です。

名前は、”pois de terre”。
仏和辞書で調べると、ピーナッツ、ナンキンマメ。
なんだ、落花生じゃん、と思って、今度は逆に和仏辞典で”落花生”を引いてみると、”cacahouete”,”arachide”と出ます。確かに、夫は外食の時には「アラシッド(ピーナッツ)、ください!」と言っているなぁ。

”pois de terre”を直訳すると「土の豆」ということですが。
ちなみに、”pomme de terre”を直訳すると「土のリンゴ」。
でも実際は、「じゃがいも」のことです。まあ、じゃがいもは確かに生のままだとリンゴっぽい感触ではあるし、土の中のリンゴ、というのも的を得た表現だとも言えなくもない、かなあ。

ということで、これが、ブルキナファソの人たちが愛食する、おやつのような滋養たっぷりの、”pois de terre”を塩ゆでしたものです。


きれいに洗って塩ゆでした”pois de terre”


コロッとして、一見、梅干しっぽいですが、”塩ゆでポワ・ド・テール”です。
確かに、落花生の塩ゆでと似ています。茹でているから、外殻もしっとり柔らかい。

中身には、落花生のような薄皮は付いていません。




左端の2個が殻を真っ二つに割ったもの(両サイドを押すときれいにパカっと割れる!)です。
こうやって見ると、銀杏のようにも見えますが、確かに土まみれだったから、土の中で豆果に育つ、落花生のきょうだいみたいなものなのでしょう。

「その土地、その土地で育まれる身近な植物を食糧にして豊かに生きる」ことの知恵を今回もまた、教わったように思います。

2019年10月24日木曜日

かぼちゃは、もちろん、ポチロン!

♪カボチャは、もちろん、ポチロン♪

このフレーズで覚えた、”ポチロン”というフランス語の単語。
もちろん、カボチャの意味です。

そのカボチャがワガドゥグでも出回り始めた、と言うので、我が家のコックさんがさっそく、小ぶりの(とかれは言っていました。)カボチャを買ってきました。



バンギでも、キンシャサでも黄色いカボチャを見かけましたが、日本のカボチャのように水っぽいだけでほくほくさが全くなくて、煮ても!似つかない!カボチャの甘煮でがっかりしたのを覚えています。

さて、かれはどのように料理をするのだろう。

興味津々で見ていたら、かれは、このカボチャの半分で、それはおいしいパンプキンスープを作ってくれました。
もう、絶品でした!!!

かれが言うには、スープ、グラタンにするのが美味しい食べ方なのだそうです。

そうなんだ・・・。その土地、その土地で、美味しい野菜の食べ方があるんだなあ。
わたしは、バンギでもキンシャサでも、そこのカボチャの素材を生かしきれないままで、みずっぽい、だの、何だの言って嘆いていただけだったのかもしれない、と思い至ったのでした。

現地で採れる野菜の調理法は、そこの土地の人に教えてもらう、作ってもらうのが一番なのだな。

さて、かれは残り半分のカボチャで何を作るのだろう。

次は、このカボチャで美味しいお菓子を作るよ、と愛しそうにカボチャを両掌に載せてセイドゥおじさんは言うのでした。


ゴルフ場で見つけたスイカの赤ちゃん

ワガドゥグゴルフ場でプレイ中に見つけたスイカの赤ちゃん(2019.10.11)


10月に入ろうかとするあたりから毎日雨が降った10月も11日目のことです。
今まで見たこともなかったスイカがゴルフ場にゴロン!、と現れていました。
ゴルフボールより二回りほど大きくて、直径7,8cmはあったでしょうか。
縞々もしっかり見えました。
小人のスイカのようで、かわいかった!

その日はゴルフ場で合計4つのスイカに出会いました。
上の写真は土むき出しだけど、こちらでは立派にフェアウェイです。
フェアウェイにもスイカたちは堂々と蔓を伸ばしていました。

そして、2日後にはちょこっと大きくなったスイカがやっぱりゴロンゴロン!



コース標識板のところにも赤ちゃんスイカがごろん!(2019.10.13.)


雨季の間は、水をまかなくても雨水で自然に育つというスイカ。
ワガドゥグのスイカは無地の中にも縞模様のスイカも売られていて、とてもおいしいのです。
このまま、誰にも邪魔されずにすくすくと大きく育てー、っと祈っていたら。

次の週の20日には、影も形もさっぱり無くなっていました。

赤ちゃんスイカたち、どこに消えたのだろう。
動物たち、小鳥たちの餌になったのかな。

2019年10月7日月曜日

こんなもの、見つけた

これ、なーんだ!?



先週、ワガドゥグの中でも、わたしの住む街とは違う、もう一つの昔からの落ち着いた住宅街に住む友人が案内してくれた店で、友人から同じ質問をされました。

え?なになに?
柔らかいレース生地を直径18センチに丸く切って、周囲は二重にして大小のボタンが留まっています。レースの色は、黒のほかに赤、緑もあります。
ボタンの色も何種類かあって、かわいい!




さて。
なーんだ?!
宗教のお祈りの時の、頭を覆う帽子?
手にふわっと掛ける手の甲のための日よけ?

まるでわからない。

店内の陳列棚を見回しました。
ここは、ワガドゥグ市内のいくつかの支援団体が現地の女性たち(男性もかな)に指導して商品化したものを集めて販売するブティックだということです。手芸品のほかに、石鹸、オイルやアクセサリー類も展開していました。
手作りの商品であふれていて、オシャレで、温かみを感じる商品たちばかりです。

むむ?????
どう考えても発想が浮かんでこない。

・・・・・。

正解は、こちら。




屋外でビールを飲むと、やたらに寄ってたかってくるハエたち。
しかも、ビールのプールに飛び込む輩もいます。

そんなハエたちのビール飛び込み防止ネット、というわけでした。

すごいアイディア商品です。
* 網の素材がレースだから、柔らかい。
* 周囲にぐるりと小さなボタンを縫い留めているから、適度なおもりになっている。

だから、コップの上に掛けると均等に垂れ下がって隙間もできずにコップの口を覆ってくれます。
大きめのジョッキにも対応できて、適度なサイズ。これもしっかり計算済みだと思われます。

発明者に大拍手!!!

わたしは思わず、黒いレースの、ボタンが赤&ゴールド、オレンジ&ゴールド、白&ゴールドのものを3枚、買ってしまいました。

2019年9月30日月曜日

ワガの街に翻るべべマントのモトマダム

べべマントにモトマダム???
わたしの造語ですが、おいおい説明していきましょう。

モトマダム(バイクを運転するマダム)の続編です。

おぶい布に赤ちゃんを背負って颯爽とモト”moto”で走行するマダムたちの間で、ひときわ目立つファッション(と言ってよいのか?)があります!
それが、「べべマント」です。
私が勝手にネーミングしたものですが、"bebe"、赤ちゃんをおぶい布で背負って、その上にふわりと布地(多分、正方形)をかぶせて赤ちゃんを保護するものです。

だいたい、マダムたちはべべマントを片方の肩に掛けて、もう片方は脇の下にくぐらせて黄金バット(古い表現にどれだけの方が理解してくれるか・・)のようにマント風にして赤ちゃんを覆います。
布地の下部は母親のお尻に敷く人が多いですが、風をはらんでふっくら膨らませて、あるいは、お尻に敷きこまなくて、マントをはためかせて走行しています。







どれも綺麗な色のマントです。
しかも、赤ちゃんの体を象徴するかのようにフリル付きだったり、毛糸のモチーフ編みを当てていたりします。
マントの大きさは150cm四方くらいでしょうか。化繊入りだと思われます。
3枚目の写真は、夫たちが担当する道路拡幅補修工事のタンソバ道路です。



助手席に座る女性もべべマント!
フリル付きだし、鮮やかです。



べべマントのベロ(自転車)マダムだっています。



赤ちゃんの保護のためのべべマント。
フリルを付けたり、刺しゅうをしたり、毛糸のモチーフ編みを付けたり。
色合いだってきれいです。
きっと、モトにまたがるべべマダムたちの自慢のマントなのではないかなあと思うのです。母親たちのひそかな楽しみだと感じるのですが。

で、何に対する保護かというと。
我が家の博学運転手の話では、

① 太陽の光を遮る。(ごもっとも!)
② 埃から守る。(承知!)
③ 風からの防御!(??!)

風、が来ました!
なるほど。
ブルキナファソの人は、風がいろんな病気を運んでくると考えるのだなあと言うことは、昔話の聴き取りをしていても感じることです。
ウィルスを運んでくる、というより、悪い魔物(悪運)を運んでくる、と考えられているように思われます。
赤ちゃんを外の木陰に出して昼寝をさせた後、原因不明の熱が出たりすると、ああ、風が悪いものを運んできたのだ、と言って、顔や腕に傷をつけて、そこに煮詰めた薬などの生薬を塗り込んで病気を治した(悪霊を退治した?)という話をここの人から聞いたことがあります。
だから、エアコンの風も体に良くないのだと運転手は言うのです。
確かに。日本でも昔の人たちはそう言っていましたっけ。
96歳のわが父も、扇風機はもちろん、エアコンも体に良くないのだ、お前たちのためだ、と言って、エアコンを取り付けてくれなかったことを思い出します。

ということで、ファッショナブルな赤ちゃん防御マントでワガドゥグの町は、今日も華やかです。

ワガの街にあふれる赤ちゃん連れのモトマダム



ワガドゥグの街には本当にたくさんのモト、”moto”が走っています。
フランス語でバイクのことを、”moto”と言います。
大きな道路にはモト走行専用レーンが取り付けられていますから。

こんなふうに赤ん坊を背負ったモトマダムの雄姿も当たり前のごとく見られます。




ふつうは、おぶい布地から赤ちゃんの頭と足の先だけ出して、あとはすっぽり布地にくるみます。
両足は広げて母親の腰上左右に固定させ、頭だけ出してくるりと包むのです。
この姿勢に文句を言って泣き叫ぶ赤ちゃんなんて見たことがありません。
それくらい居心地がいいのでしょう。

こんな、家族総出のバイクにも出くわします。




赤ちゃんのおぶい布は少々垂れ気味で可哀そうになりますが、赤ちゃんは平和そのものです。パワフルですねー!
一家4人でお出かけです。

路線バスを見かけないし、モトは庶民の必需品なのでしょう。

我が家の運転手もコックさんも、夫の事務所に勤務する人たちもモト通勤です。夫の運転手は、ベロ("velo"。フランス語で自転車のことです。)で通勤してきますが、彼が真っ先に実現したい夢は貯金してモトを買うことだそうです。
ベロ”velo”を持って、次にモト”moto”を手に入れて、そして、いつかは自家用車を持ちたいと思っているのでしょう。

しかし、ヘルメットをかぶっている人は皆無!!!
せめても、子どもたちには防空頭巾みたいなものをかぶせてやってほしいものです。

2019年9月24日火曜日

ガーナからのイエネンガ姫の絵本






"Yennenga  La Princesse de Dagomba"

「イエネンガ  ダゴンバのお姫様」

ガーナの出版社から出された、ガーナ人の作、絵の絵本をこちらで見つけました。
この絵本をワガドゥグ在住の友人からプレゼントされたのです。

そのあと、地元の人たちのグランバザールへ行き、ブロンズ像を売る店が集まる区画まで行って、こんなブロンズ像まで入手しました。
20cmちょっとの高さのイエネンガ姫像です。




絵本屋ブログにつづったイエネンガ姫の絵本についての紹介記事は、こちらです。

ブログ: L’éléphant vert
投稿: イエネンガ姫の絵本を見つける
リンク: https://lelephantvert.blogspot.com/2019/09/blog-post_23.html

2019年9月21日土曜日

満月の中に見えるもの~アフリカ編

9月13日は、日本では”中秋の名月”でした。
今でも日本で、お団子やすすきを供えてお月見を楽しむ家庭がどのくらいあるのでしょうか。

今月半ばに、絵本屋ブログのほうに、世界の「満月の中に見えるもの」について書きましたが、この前、30年近く前に私たち家族が滞在した中央アフリカ出身の30歳代の男性が、代々伝わる、祖父母から聴いたというお月さまの話を披露してくれましたので、こちらのブルキナ通信のほうで、「満月の中に見えるもの~アフリカ編」としてまとめてみようと思います。




わたしは毎週水曜日に夫の事務所を訪ねて秘書の女性にブルキナファソに伝わる話を聴いています。

あるとき、この国の一番大きな部族、モシ族に属するこの女性に、月の中に何が見えると思ってるのかと尋ねました。
かのじょは、満月の中に我が子におっぱいを含ませる母親がいると言い伝えられているのだとこたえました。

以前暮らしたコンゴ民主共和国のキンシャサで、当時、法学部に在籍して日本語も学んでいた男子学生に訊いたところ、かれは、満月の中に子どもを肩に載せている母親がいると言いました。

また、トアレグ族でマリ共和国出身の女性からは、満月の中におばあさんが繕い物をしている姿を見ると言うのです。
遊牧民族のかれらの住居であるテントの破れを繕っているのでしょうか。かれらの生活背景を感じました。

そんな月にまつわる話をわたしたちがワガドゥグの事務所でしていたことを、一人の技術者の男性が聞いていたのでしょう。かれは、学生としてブルキナファソに渡るまで、中央アフリカで生まれ育ってきた30代の男性で、2人の子どもの父親でもあります。わたしは、今週の水曜日に事務所を訪ねたときに、中央アフリカでは満月の中に何が見えると言い伝えられているのかとかれに尋ねました。
かれは、満を持したようににっこり笑って話し始めました。

ある日、一人の女性が背中に赤ん坊を背負い、頭に畑からの収穫物の入った籠を載せて、犬を引っ張って、夕暮れ時に畑仕事を終えて家に帰っていました。彼女は、畑で収穫作業をする間、作物を他の家畜から守るために犬をいつも連れて行くのでした。
この日も、夫は、いつものように畑から帰ってくる妻と子どもを家で待っていましたが、妻も子どもも犬も帰ってきませんでした。
夫は、あちこち探しまわりましたが、とうとう見つけることができず、長い時間が過ぎていきました。
そうして、ある晩、ふっと満月を見上げると、夫はそこに行方の分からなくなっていた妻の姿を見つけたのです。子どもを背負って、頭に籠を載せて、犬を連れた妻がまさしく月にいたのです。
夫には、妻も子どもも月に行ってしまったのだと思えました。
それから、中央アフリカの人たちは、月の中に、頭に籠を載せ、背中に赤ん坊を背負い、犬を連れた一人の女性の姿を見るようになった、ということです。


わたしがアフリカで月の話を聞いたのは、まだ4地域でしかありませんが、どの話も女性が中心となっています。
どれも興味深い話です。
アフリカにはいったい、どんな月の話が存在するのでしょう。

ふっと思い出したのが、日本の昔話「竹取物語」です。
月に戻って行ったかぐや姫の話をもう一度読んでみたくなりました。


続編~1個のバオバブの実からの贈り物

前回のブログ、”1個のバオバブの古い実”の続編です。

昨日午後、仕事を終えた我が家のコックさんが、鍋に”お猿のパン”(バオバブの実)の中身だけを取り出して鍋に入れているからそのままにしておくように、と言い残して帰っていきました。

そして、今日の午前中。
かれは、一晩水に漬けて柔らかくなったお猿のパンの果実からバオバブの種を取り出したあと、薄茶色に変色して繊維張った中身だけを千切って、水としょうがの粉末(ワガドゥグで売られている)と砂糖1匙を混ぜて火にかけました。そして、沸騰するまで混ぜ、沸騰したら直ぐに火から下ろし、ざるで濾してなめらかなジュースにして、冷蔵庫で冷やし、午後になってごちそうしてくれたのです。




古い果実だからジュースの色は茶色になったけど、新しいのだったら白いジュースになるよ、ということです。
ちょっと乳酸飲料のようで、とってもおいしかった!

ここの人たちは、ショウガジュース、ビサップジュースをよく飲みますが、ショウガジュースでなくても、必ずショウガと砂糖をたっぷり入れてジュースを作ります。バオバブの果実はすでに甘いので、今日は果実1個につき砂糖1匙だけを入れたと、コックさんは言いまいた。
ショウガは喉にいいし、体を温める効果があると聞きますが、本当にここの人たちはショウガの摂取量が半端ないです。ショウガの粉末が売られているくらいですから。

余談ですが。我が家の子どもたちも、幼い頃からショウガ湯が大好きで、”しょうがない子の飲むショウガ湯”と我が家で言っていて、年中、ショウガ湯粉末パックを常備していましたっけ。


で。バオバブの種はどうなったかというと。



コックのおじさんは、種をきれいに洗って、干してくれていました。
ざっと数えても、200個はくだらない!とびっくり仰天。
想像したより、2倍の数の種が入っていたのです。
(ところが後でじっくり数えてみると、なんと400個弱も!想像の4倍でした!)
あの、長さ17cmの手のひらサイズのラグビーボールの実が打出の小槌に見えてきました。

種は生き物だから、火にかけたら死んでしまうからね。
はい、知っとります。
でも、お日さまに当てて十分乾燥させるのだよ、とコックさんからの注意事項です。

小豆というより、大ぶりの大豆ですね。というより、モリっとしてるから小ぶりのそら豆に近いかも。色は茶色ですが。
表面はざらざらしてつやつや感ゼロです。
ほら、この通り。




夢にまで見た、バオバブの種子。
こんなにザクザク手に入りましたー!!!

乳酸飲料のような栄養たっぷりのバオバブジュースに、バオバブの種子。
今日は思いもかけず、あの1個のバオバブの実からこんな贈り物をもらったのです。

2019年9月20日金曜日

バオバブの実~Pain de Singe~から種を採る




一見、ほっかほかの石焼き芋のように見えますね。

これは、”Pain de singe ”。
お猿のパン、といわれる、バオバブの実です。
長さ17cmほど。まさに手のひらサイズのラグビーボールです。

昨日、夫の事務所を訪ねると、昨季に採れた古いバオバブの実を持ってきたよ、と秘書の女性が見せてくれました。
わたしが、バオバブ、バオバブ~バオバブの種が欲しい~と言い続けていたからでしょう。きっと、バオバブの種を採るために持ってきてくれたのです!

乾燥しているので、殻はとても硬くて、ハンマーみたいなものでぽんと叩いて割ってくれました。ちょっと古いから、こんな風に果実にひびが入って変色しているけど、新しい果実は白いのよ、と説明してくれました。
皆で味見をしてみましたが、乾燥しきっていて、繊維があって硬いだけでしたが、ほんのり甘みが残っていました。




今は雨季もほとんど終わりかな。
バオバブの黄色の花(・・と書いてはいますが、実際わたしはまだ花を見たことがない・・)も終わりに近づき、木に繁った葉っぱは少しずつ落ちていき、緑色の実が結実し始めている頃だと、我が家のコックさんから聞きました。
12月頃まで待って実が茶色く色づいたものから順に採って、殻を割って白い実を食べるのだそうです。2月頃までがバオバブの果実の旬のようです。次のバオバブの果実の時季が来るのが楽しみです。

その茶色く色づいたバオバブの殻を割って出てきた中身の白い果実を粉末にしたのが、これです。




この黄色い蓋の容器に入っているのが、”Poudre de Pain de Singe”(お猿のパンの粉末)で、下に”健康のために”、ともつけ添えられています。
(上に載っている容器は、モリンガの葉っぱの粉が入ったものです。バオバブの葉っぱの粉末も売られていて、健康食品オンパレードのブルキナファソです。)
粉を匙に少量取ってパフっと口に入れると、甘酸っぱい味が口に広がります。ビタミンたっぷりと言った感じです。
さらに、果実の粉を小麦粉と混ぜて固めた、ちょっと硬い落雁(らくがん)のような、”お猿のパン干菓子”が町の小さなお店あちこちで安く買えるようです。子どもや年寄りのおやつにぴったりです。
この”お猿のパン”は、胃腸をきれいにする働きがあるのだそうです。もちろん、いろいろなビタミン、ミネラル成分も豊富そうです。


さて、冒頭の、昨季の乾燥し切ったバオバブの果実を少しずつ噛んでいたら硬いのが歯に当たりました。
それがバオバブの黒い種です。一個の果実の中に一体何個の種が入っているのでしょう。
何十個とあるように思います。




バオバブの種は、スイカの種より一回りほど大きくて、小豆のように丸っとしています。
これを土に埋めると雨季のころだと、1,2週間で発芽するのだそうです。

ワガドゥグで植木鉢を見つけて、土を入れて、バオバブの木を育ててみようと思います。
1年間でどのくらい大きくなるのでしょう。


2019年9月9日月曜日

続・雨季の月面ゴルフ場に咲く花たち

ワガドゥグのゴルフ場は、わたしたち年代には紛れもなく、”月面ゴルフ場”ですが、ちょっと若い世代の間では、”火星ゴルフ場”なのだそうですよ。
月面着陸の話題で盛り上がり、大阪万博で”月の石”見たさで行列を作った世代と、火星探査機により火星がより身近になった世代の差ですかね。

さて、草木も育たない(セミが鳴いているのを聴いた木に、乾季でも緑の葉を見ることはできましたが)と思っていたゴルフ場にも雨が降り、バンカーは池と化し、いたるところに緑が吹き出しています。そのバンカー池に、自転車で水汲みに来ているおばちゃんたちの姿も見かけます。
それに、5番ホールの空き地(OBスペース)だったところは、なんと数か月でとうもろこし畑に変わっていてとうもろこしの穂がたわわに実っているではありませんか!
となりのトトロで、一晩にしてドングリの芽がぐんぐん伸びて感動するさつきとメイの場面を思い出します。


ここで、わたしが苦心してプレイ中に撮ったゴルフ場の草花の写真を数枚載せましょう。


ワガドゥグのオオイヌノフグリもどき(勝手に、ブルキナフグリと命名)はさらにこんもり、大きくなってあちらこちらに出現しています。













少々見えにくいですが。
ついに見つけました!
キンシャサゴルフ場にもあった、ツユクサです!
日本の紫の花より、ちょこっとだけ小ぶりですが、しっかりツユクサです。










前回でもお見せしました、白い十字架のような草にぽつりと咲く十字架型の花。
そして、ピンクの花。ちょっと、カラスノエンドウのようなマメ科の花に形は似ていますが、葉を見るとマメ科ではありませんね。
と考えると、ホウセンカの花に似てるのでした!葉っぱもそんな感じです。

そして、ワガドゥグの蜂にも出会いましたよ。
真ん中の左端です。
この国でも、良質の蜂蜜が取れます。

それに、白い蝶々と黄色い蝶々もよく飛んでいます。






これまた、見えづらいですが、日本のツバメノムギ、です!
ちょっと細身ですが、小さい頃にお馴染みだった、飛ぶ燕の形をした麦の穂。絶対に、ツバメノムギだ、と嬉しくなりました。
キンシャサのゴルフ場では決してお目にかかれませんでしたから。










こんな可憐な白い花も咲いていました。
これは5弁の花びらがあり、先ほどの十字架白花とは明らかに違いますね。葉も十字架型ではありません。













これは上のピンクの花と同じ花です。でも、ちょっと大ぶりな花でした。こうやってみると、カラスノエンドウと言うより、小型のホタルノフクロウっぽく見えます。
かわいい薄紫色がかったピンクの花です。











これまた、可憐な少し薄紫色がかった白い小さな花でした。
中央に大きめの丸い部分が出っ張っていて、その周りに花弁が10枚ほど付いています。
わたしには初めて見る、洋服に付いているボタンのような花でした。












これは、夏の海辺に向かう時によく見た砂地に咲くハマヒルガオのような花です。
小さな花ですが、ラッパ型で、朝顔のような葉のついた蔓が伸びて地面を這っています。













最後に、こんなスイートピーのような、月見草のような大ぶりの黄色い花も見つけました。
日本の月見草は、朝になるとしぼんでいましたっけ。
この花はどうなのでしょう。

日本では、夏の夕方から明け方にかけて咲く黄色い月見草。
家族で行った夏の近所の散歩を思い出します。










葉っぱがオジギソウのようにギザギザに分かれています。
ノコギリソウ?
黄色い花が目を引きました。















白い金平糖のような花も見つけました。
丸くかわいい花です。
これも、地面に這うように葉を広げていました。
今まで見た来たように、茎を地面にくっ付けて広がる植物が多いように感じます。

水が貴重な環境に生きるかれらなりの順応する姿にちょっと感動します。


それから、こんなまん丸いキノコもあちこちに顔を見せています。
おまけです。






大きいので直径5cmくらいでしょうか。
こんな三つ巴のキノコもにょっきり生えていました。
キンシャサのゴルフ場で雨季のころに見かけたキノコと同じです。
ただ、ここのは、石鎚が見えないから、鳥の卵のようにも見えます。












先週9月1日と、昨日9月8日、毎日雨が降る時期に、月面(あるいは火星)ゴルフ場で撮った写真です。(もちろん、先週も昨日もせっせと白い石をポケットに入れてお持ち帰りしました。)

サヘル地帯に入るワガドゥグでも、毎日、ジメーっとして湿度の高さを感じます。


2019年9月6日金曜日

L’éléphant vert: 一族に伝わる森鳩への恩返しの話





ワガドゥグに到着後、家探しの間に滞在したホテルの中庭に、毎朝、何羽かの鳩が集まってきていました。
日本の鳩より一回り小ぶりで、明るいグレー色をしていました。

その鳩への恩返しを続ける、あるモシ族一族の女性の話を聴き取りましたので、こちら、ワガ通信にも転載します。

日本の恩返しの昔話は、動物から人間への恩返しの話です。善い行いをすると、きっと良いお返しが来るよ、みたいな勧善懲悪っぽい面も感じられます。

ここ、アフリカの人々に伝わる話は、助けてくれた動物たちに、人間たちが孫の孫の孫…の代まで恩返しをし続ける、という真逆のような話の筋になっているところが興味深いところです。
しかも、森の動物たちを食べる習慣を持つアフリカの人々らしい恩返しの方法も興味をそそられます。

その動物たちへの恩返し話の第一弾として、どうぞ読んでみてください。
アフリカの人たちのことをまた一つ知ったように思います。
では・・・。


L’éléphant vert: 一族に伝わる森鳩への恩返しの話: ワガドゥグ暮らし初期に滞在したホテルの庭によく鳩が来ていた。(2019年3月) これもまた、夫の事務所に勤務する、モシ族のジナボさんから聴き取った話です。 この国の人たちは、鶏肉を食べるのと同じように、鳩の肉も好んで食べると聞きますが、ジナボさんの一族の女性たちは...

2019年8月31日土曜日

「ファダ・ングルマの王、死去」の新聞記事に寄せて

イエネンガ姫をこよなく愛する私を知っている、我が家のもの知り運転手が、ファダ・ングルマ(Fada N'Gourma)の王様が亡くなったことを教えてくれました。

2019年8月19日の新聞”L'Observateur”のトップ記事には、大きな見出しとともにファダ・ングルマ(Fada N'Gourma/ブルキナファソ東部の都市)の王様の写真が一面を独占していました。


 Gulmu(Fada N'Gourma)の王様、Kupiendieli,死去

   「太陽が東に沈んだ」





 続く記事には、"たった2週間の間に、もうひとりのモシ族の王の死去に続いてファダ・ングルマの王が亡くなった"、と書き添えられていました。
そのもう一人のモシ族の王とはBoussouma(ブスマ)の王のことです。

わたしはこの記事を辞書片手に読み終えて、フランス語の先生に一語一語確認をし、夫の事務所の秘書の女性を質問攻めにし、それから、わたしは運転手と我が家のコックに根掘り葉掘り聞きまくりました。しつこく、しつこく追いかけ回して。(ごめんなさい、とそして、ありがとう、です。)


まず、確認したことは、イエネンガ姫までさかのぼって、かのじょの息子のウェドラオゴ(初代モシ族の王様)には3人の息子がいたこと、そしてその3人が父親のウェドラオゴから引き継いだ領地のことからでした。

ウェドラオゴの長男、Zoungrana は、Ouagadougou(ワガドゥグ)へ、
ウェドラオゴの次男、Raoua は、Ouahigouya(ワイグヤ:北部マリのほう)へ、
ウェドラオゴの三男、Diaba は、Fada N'Gourma(ファダ・ングルマ:東部ニジェールのほう)へと移動し、今も子孫が続いているということでした。

ウェドラオゴの三男のDiaba Lompo は、後に馬に乗ったままバオバブの木を駆け上り、天に昇って消えていったという伝説の残る王様です。ディアバ(Diaba)が馬とともに駆け上っていったというバオバブの大木は、今もファダ・ングルマに立っていて、その幹には馬の蹄の跡が残っているのだそうです。(星の王子様っぽいファンタジーの世界ですね。)


次に確認したことは、この3つの領地のモシの王様に加えて、現在、ブルキナファソの国には5つの地域にモシ族の王様が存在する、ということです。

① Ouagadougou(ワガドゥグ)の王様
② Tenkodogo(テンコドゴ)の王様
③ Ouahigouya(ワイグヤ=Yatenga)の王様
④ Fada N'Gourma(ファダ・ングルマ)の王様
⑤ Kaya(カヤ=Boussma)の王様

この5人の王様のうち、カヤ(ブスマ)の王様がこの8月初めに亡くなり、2週間後にはファダ・ングルマの王様が亡くなったというのですから、ブルキナべには悲しみの8月(涙の雨季~実際に雨量が一番多い8月です。)となったことでしょう。

私の周りのブルキナべは皆、モシ族の人たちのせいか、この2人の王様の死のことをよく知っていて、かれらがいかに尊敬を集めた偉大な存在であったかを熱心に話してくれました。彼らが言うには、モシ族の人たちだけでなく他部族の人たちも同様に悲しんでいるということです。
私の周りの人たちの話を聞いていると、この国の部族間には壁も闘争心もなくて共存して暮らしているというイメージを持ちます。我が家のコックは、この国には部族間の争いは全くなく、平和だと言い切りました。本当に穏やかな国民性を感じます。

わたしは、この”部族”というカテゴリーのくくり方がイマイチ理解できません。
ファダ・ングルマの人たちのことをGulmantie(Gourmantche:グルマンシェ)と言ってモシ族と区別し、モレ語(モシ族の言葉)ではなくてグルマンシェマ語(langue Gulmantchima)を話すのだと言います。
では、ファダ・ングルマの人たちはモシ族ではないのなら、上の”モシ族の王様5人”には入れられないのではないの?、と訊くと、ウェドラオゴさんまでさかのぼるとかれらもモシ族だ、というのでした。
ウェドラオゴさんは初代モシ国王で、かれの三男のディアバさんはファダ・ングルマの初代王なのだと言うのです。ちなみに、ウェドラオゴさんが初代モシ王国の王様だけど、母のイエネンガ姫や父のリアレさんはモシ族ではないというブルキナべもいます。ちょっと混乱します。
”部族”というくくり、概念が、この地域一帯ではちょっと日本人の私たちと違うのかなあ~。


王冠である帽子を被り、ファソダンファニの民族衣装姿の第31代ファダ・ングルマ王、クピエンディエリ


ともあれ、この死去記事の主人公のファダ・ングルマの王様、クピエンディエリ(Kupiendieli)さんは、1935年にファダ・ングルマで生まれ、ゾーゴ(Zorgho,ブルキナファソ国内)に続いてバマコ(マリ共和国)、フランスで勉強し、その後、国会議員に選出されて国会の議長や副大統領を歴任するなど輝かしい経歴を持ち、67歳で31代目のファダ・ングルマの王様となり、2019年8月16日の夜から17日に日付が変わるころ、84歳で亡くなったのだそうです。

”偉大なる賢人(クピエンディエリ王)の死の報を受けて、ブルキナ政府から賢人へのお悔やみの声が満場一致でいたるところから沸き起こった。伝統的なものを守護してきた、信念の人の思い出に別れを告げるためのメッセージであった。”

2019年8月。ブルキナファソのモシの2人の王様~ブスマ(Boussma/Kaya)王とファダ・ングルマ(Fada N'Grourma)王~の死去は、ブルキナファソの人々、ブルキナべにとって、大きな悲しみのニュースだったのでしょう。

今も連綿と続くMogo Naba(モレ語で、モシ族の王)の国、ブルキナファソ。

わたしには、かれらの中に、遠く、ウェドラオゴさんが、そしてイエネンガ姫が見えるように思うのでした。(イエネンガ姫かぶれより)