2019年7月30日火曜日

L’éléphant vert: モシ族の昔話~ごちそうにありつけなかったカエルの話

カエルとライオンも描かれた絵本「どうぶつ会議」表紙絵

L’éléphant vert: モシ族の昔話~ごちそうにありつけなかったカエルの話:


これは、ケストナー作の絵本「どうぶつ会議」(岩波)の表紙の絵で、今日の話とは違います。ただ、森の動物の絵が欲しくて、ちょっと拝借しただけです。 絵本「どうぶつ会議」表紙(岩波書店) 森の動物たちが会議を開いている様子の絵の中にも、しっかり、ライオンもカエルも描...

2019年7月29日月曜日

鉄格子にやってくるワガの小鳥たち

わが家の鉄格子にやってくる小鳥たち


昨日の日曜日は一日中、雨が降ったり止んだりの、ちょっと日本の梅雨を思わせるような天気でした。おかげさまで、夜も涼しく、エアコンなしで薄い掛布団カバー(のみ)にくるまって熟睡できました。

今朝も朝からひんやりして、午前中ずっと窓を開け放して室内で涼しく過ごしています。

そんな時、我が家の鉄格子に小鳥たちが憩いにやってきます。
心和む瞬間です。

この鳥は、ちょっと青色がかっています。

ピーチクパーチクさえずらなくて、静かに止まっています。空を飛ぶときは元気にさえずっていますが。

鉄格子取り付け工事の間の1ヵ月はもう心乱されて苦しみましたが、こうやって格子がはまり、安全面でも落ち着いて、小鳥たちまでやって来てくれて、鉄格子さまさまです!


ブルキナファソの周辺国の北から南から、どんどん治安が悪化してきて、とうとう今月中旬にブルキナファソで活躍していた日本人青年海外協力隊員十数名が全員退去しました。
これから先、この国はどういう道を進むのか、普通にここで生きる庶民たちの生活はどうなるのか。
一生懸命働く我が家の使用人たちを見て、車で通り過ぎる人たちを見て思う平和であることの大切さ。
平和であることほど大切なことはないのだなあと、しみじみ思います。

穏やかな週の始まりです。

2019年7月26日金曜日

7月のワガの道端に咲く草花

お耳汚し、じゃなくて”お目汚し”の話が続きました。お許しください。

7月14日へ日付が変わるちょっと前に無事に我が家に帰宅しました。同じ便で荷物は運ばれずに、翌々日の便で到着。破損などなかったけど、紛失荷物の手続きに並んだり、2日後に再度空港まで荷物を探しに行ったりで、最後までいろいろありの旅でした。

その翌朝に感じたワガドゥグの空気はひんやりして、窓を開けると爽やかな風が部屋に入ってきました。
南仏より、涼しい早朝の空気に心地よく起床できました。

キンシャサの乾季の頃の涼しさを思い出します。
キンシャサでは、重たい厚い雲が2層、3層になって空全体を覆い、太陽は完全に隠されて1日中ひんやり涼しい天気が続きます。厚い雲は、大気の水分をパンパンに吸って微妙なところで飽和状態が保たれて決して雨は降りません。乾季なのに、夜露、朝露に濡れた植物たちは緑もきれいでした。
6月半ばから9月半ばまでの3か月間。曇っていても決して雨は降らないから「乾季」です。

ここ、サヘル地帯にあるワガドゥグでは毎日雨が降るということはないけれど、やっぱり厚い雨雲に空全体は覆われています。
晴れると日中は太陽が照って暑いことは暑いですが、それでも、夜中、明け方はひんやり涼しいです。しとしと雨だったり、大嵐が来たと思ったら直後に大雨になったり、しっかり「雨季」です。6月から9月までが雨季だそうです。

赤道を挟んで、雨季と乾季が真逆になると言われますが、まさにその通り!

ここの夜中と明け方は肌寒くてエアコンは消します。

そんな雨季のワガドゥグで、水溜まりのできたがたがた道を走っていたら、あちこちに緑の雑草が伸びていることに気付きます。
そして、こんなかわいい草花を見つけました。


雨季のワガドゥグの道端に咲く薄紫色の草花


友人宅を訪れた時に見つけました。
この可憐な花の写真を撮ろうと水溜まりのできたでこぼこ土道を車から降りて歩いて戻っていたら、友人のご主人から、危ないから気を付けてーと声が掛かりました。
何が危ないんだろう?
と思っていたら、通り過ぎた車の飛び跳ね泥水で、靴がびしゃびしゃになってしまいました。
でも、こんなきれいな草花を見つけたんだもの。
うれしい、雨季のプレゼントでした。

その友人夫婦は明日、ワガドゥグを離れます。
またの再会まで、お元気で。

2019年7月25日木曜日

ちょっと参った6月、7月~逃避行イスタンブール空港ハプニング編

というふうに6月が過ぎて行き、鉄柵取り付け工事もピークを越し、ペンキ塗りを待つだけになった7月初めのことから再び話を始めましょう。

試練その2:
わたしは息苦しさを感じ、もうストレスの限界だと思って、夫に旅に出たいと申し出ました。
夫の提案で、結局、娘たち一家が滞在する南仏に行って、娘たちと合流することにしたのですが、夫から手渡されたチケットは、T航空会社のエコノミー席で、しかも往路のイスタンブール空港での乗り換え時間は1時間5分というタイトなものでした。
わたしは、ワガドゥグ市内のT航空会社のオフィスに行き、乗り換え時間が短い上に新しいイスタンブール空港で不安だということを話して、エコノミー席最前列の通路側に席を変えてもらいました。
そして、7月7日未明にワガドゥグを出発した便は、「イスタンブール空港到着30分の遅延予定」と機内の画面に表示が出ました。そうすると、乗り換えまでにあと35分しかありません。また、到着予定時間30分前にこの画面に乗り換えゲート案内が表示されると出たのでチェックしていましたが、表示は出ずじまいでした。
わたしは不安になって、客室乗務員に乗り換え時間が短いこと、そういう乗客のために用意された空港内のショートコースを教えてほしいことを尋ねましたが、機内から降りたところで地上職員が待機しているのでそっちに訊いてほしいと言われました。
何度か別の乗務員にも訊きましたが、素っ気ない態度で地上職員に訊いてくれの一点張り。
いよいよ着陸し、1分でも早く機内から出ようと通路に立ち、ビジネスクラス側にほんの1歩出て待っていたら、注意されてビジネスクラスのお客様優先です、とピシャーっとカーテンを閉められる始末!

やっと、機内から出ても地上職員なんていやしない!
ともあれ、トランジット出口の矢印に沿って行ったもののショートコースの案内は見当たらず、荷物検査係員からここに並ぶようにと注意され、荷物検査を済ませると一目散にニース行きゲートを目指して疾走(わたしレベルで)しました。途中でT航空会社のカウンター前を通ったのでカウンター内の人にチケットを見せると、ここを真っ直ぐ行ったところだから急ぐようにと言われ、もう全力疾走です。足はもつれ、気圧の調整がうまくいかずに耳はぼわんとしたままで、めまいまでします。
やっとゲートに6分前に着いたときには周囲はひっそり。人っ子一人いません!
奥のエレベーターに係員を発見し呼び止めました。
「5分前に機体のドアは閉じられたので乗れません。」と冷ややかに言われたのでした。
目の前にまだ機体は待機しているのに。

わたしの合点がいかないのは・・・
* 機体から降りた時に乗り換え時間の迫っている客の誘導が地上職員によってなされなかった。
* 乗り換え客がまだ到着していないのに予定よりも5分も早く機体ドアが閉められた。

ワガドゥグからの便の到着遅延で、乗り換え時間の迫っている客がいることはデータで持っているはずなのに、なんの配慮もなされなかったことに怒りがこみ上げてきました。
わたしは、ワガドゥグのT航空会社オフィスでも、客室乗務員にも、そして乗り換え空港のT航空会社カウンターでも乗り換えチケットを提示して乗り換えをPRしている。それなのに、乗り換え客が搭乗していない(搭乗客リストが手元にあると思われる)上に、予定時刻より早くに機体ドアが閉められた。
・・・そんな航空会社の応対に、だからTエアは三流どころか、四流、五流どまりなのだとか独り言で毒づいていました。

搭乗口でT航空会社カウンターに戻るように係員から言われて戻りましたが、カウンターで卒倒寸前になりへたばってしまいました!

カウンターでまず翌日の便を抑えて発券してもらいました。
それから、T航空会社指定の無料ホテルにたどり着くには、空港から一旦出てホテルカウンターまで行き、そこでホテル券を発行してもらい、乗り合いタクシーで30~40分かかるけど、夕食も朝食も全て無料だと係員は事務的に、でも自慢げに説明しました。
謝罪のかけらもない係員の応対に怒り狂うけど、こちらにはもう、そこまでたどり着く体力がもう残っていないっつーの!
自腹で構わないので空港内のホテルに泊まりたい、ここで空港内ホテルの予約を入れてほしいと依頼すると、それはできません、と言ってきました!
もう怒り爆発で、彼らに見切りをつけ、ふらつく足取りでひとり空港内ホテルに向かいました。
そしてラッキーなことに、予約なしでも空室ありと言うことでどうにか部屋に案内されたのでした。

試練その3:
さて。ホテルの部屋まで無事にたどり着きました。
wifiのあることを確認して、ワッツアップとバイバーでワガドゥグの夫に電話しようとしてもメッセージを送信しようとしても繋がりません。
もちろん、フランスの娘や家族の電話にも繋がらず。
ホテルマンがあれこれ試してくれましたが、電話もメッセージ送信も全て繋がりませんでした。おまけに、空港内には国際電話のできる公衆電話がないといいます。
途方に暮れて、わたしは飛行機に乗り遅れて夫や家族が心配していることをホテルマンに言うと、気の毒がって、個人の携帯電話を使わせてもらい、やっと連絡が取れたのでした。
ワガドゥグでわたしの携帯が通話中に突然壊れたのが5月のこと。わたしが以前使っていた携帯電話をどういうわけか夫が保管していて、以来それをワガドゥグで使っていましたが、海外では使用できない旧式のもので、ワッツアップかバイバーであれば海外でも電話ができるように設定した、と夫が言うものだから信じて持って行ったわたしが浅はかでした。
もう地球上に独りポツンと立って冷たい風に吹かれているような心境でした。

翌日は朝早い便だったので、ホテルマンに翌朝6時半のモーニングコールを依頼。
というのも、日本とワガドゥグの時差は9時間。ところが日本に近くなったイスタンブールでは日本との時差が6時間。翌日に向かうフランス(サマータイム実施中)と日本の時差は、7時間。
もう頭が混乱してしまい、翌朝のイスタンブール時間7時が、わたしのワガドゥグ時間の時計では何時になるのか、全く計算できない状態になっていたのです。
T航空会社の人からは、翌日の便は朝8時30分発なのですから8時25分に来ないようご注意ください、出発1時間前にはゲートにいるように、とかものすごい嫌味を言われるし。

でも、自腹を切ってでも空港内のホテルに泊まって正解でした。
もう二度と金輪際、T航空会社は使いません。

イスタンブール空港内ホテルの人たちにはとてもお世話になって、往路で宿泊した時に部屋に忘れた携帯電話の充電コードがあればなと淡い期待を抱いて帰路にホテルに立ち寄ると、客室係に連絡してくれてすぐに忘れ物が手元に戻ってきました。
このホテルの従業員たちの応対には、爽やかな風がさ~っと吹いてくるのを感じました。


そしてついに、わたしは逃避行先のニース空港に無事に到着し、娘一家の出迎えを受けたのでした。

アンティーブ市役所近くののどかな朝市とカフェ風景

ワガドゥグでの3夜扉無し事件、イスタンブール空港での乗り遅れ事件、挙句の携帯電話使用不可事件、と山を3つ飛び越えてやっとたどり着いたからこそ、南仏で過ごした5日間は光り輝く至福の時間となったのでしょう。

また、普段のワガドゥグ生活に戻って10日が経ちました。
心機一転、ここでの生活を楽しむことにしましょう。(完)

2019年7月24日水曜日

ちょっと参った6月、7月~扉無しで過ごした恐怖の3晩編

久しぶりにブログ画面に向かっています。
大きな試練がこの一か月半の間に起こり、わたしの中で昇華するまでに時間が必要だったのでした。

試練その1:
わたしがワガドゥグに来て2度目の風邪症状が出てきた6月8日から始まった我が家の鉄格子取り付け工事。それが延々、1か月以上続きました。
かれらの仕事の遅いことと、それに加えて稚拙な作業に苛立つ工事期間でした。

その恐怖の3晩明かし事件とは・・・。
台所のベランダに出る(もともと設置されていた)ガラス入りアルミ扉を外すことから始まりました。
それを網戸枠に改造して、別に鉄枠にガラスと鉄格子を入れた扉を作って、計二枚の扉を勝手口に設置するという工事でした。
網戸枠にするためにガラスを取り外してアルミ枠だけにしてベランダに置き、そのガラスを持って、鉄扉をアトリエで作成してガラスと鉄格子をはめ込んでから今日中にここに運ぶと言い残して、大ざっぱな計測でしっかりはまる扉ができるのかなという懸念を私に与えつつ、自称職人一行は帰って行きました。
しかし、かれらが鉄扉にガラスと鉄格子をはめて現れたのは何と4日後でした。
連絡すれども、かれらはベランダに出る台所勝手口をスカスカにしたまま、4日間も扉無しで放置したのです!
わたしとボーイのおじさんは(夫は仕事で大忙し)、かれがまず段ボール箱を2つ見つけてきて、それを解体してベランダに残されたアルミ枠にセロテープではめ、足りない部分は週刊誌を破って空間を覆い、そのアルミ枠を勝手口のスカスカ空間に立てかけて、さらに隙間に週刊誌を数枚ずつ丸めて埋め込んでどうにか、空間だけは塞ぎました。
この通りです。

立て掛けただけのアルミ枠に段ボールと週刊誌を貼って勝手口を塞ぐ

わが家のボーイさんは几帳面でしたよ。この空間塞ぎは、彼の機転でできたことです。
もちろん、この段ボール塞ぎ扉は立てかけただけだから、もう恐怖の3晩を明かす羽目に。台所にいろんな障害物を置き、リビングへの木製扉に施錠して、我が家でいちばん重いテーブルを引っ張ってきてドア前に置いてその上に椅子も置いてバリケードを作りました。(もちろん夜だけ)
その間、夫は現場事務所と我が家を往復するのみ、夜はガーガーと高いびきでしたもんね。

そしてついに4日目に鉄扉が運ばれてきたかと思いきや、サイズが大きすぎて扉設置予定の空間に入れられない。そこでかれらは、あろうことか、張ったばかりのタイルと頭上の壁をハンマーでたたいて壊し、無理やり鉄扉をはめ込みました。
「入らずば、入れてみせようホトトギス」精神を垣間見せられました。
そして、網戸を貼ったアルミ扉もどうにかはめ込み、はい、完了です、と言われた時はもう気絶寸前!
アンタが壊したタイルやかべの後始末はどうすんのぉ、鉄扉の周辺、アルミ枠の周辺の隙間はなんなのよー!!!
でも、かれらはきょとんとするばかり。

わたしが指図して、長さや幅を巻き尺で測って見取り図を描いて寸法を書き入れていき、ここにアルミの蓋を作りなさい、このアルミ枠の周りの空間や見苦しいタイル割れの部分にもまずシリコン樹脂で埋めてから同じアルミ素材で枠を加工して覆いなさい、直角部分は鋭角にカットしてこのように直角を作るのですよ・・・。
わたしはこんな指示をかれらに出しました。
自称職人のお兄さん方は神妙にわたしの指図を聞き、この見取り図をもらっていいか、これを見ながら探して加工してくるから、と出かけ、かれらはほぼわたしの(基準を押し下げて)合格点をもらいました。
驚いたことは、ここの人たちは接着剤=シリコンなのですねえ。ボンドなんかない、この白い液体でどんなものでも留められると言うのでした。

どうにか2つの扉が設置された勝手口


他の窓の鉄格子も似たり寄ったりの作業でした。
しっかり、鉄格子作成と溶接職人、左官とタイル貼り職人、ペンキ塗り職人と分業にはなっていましたが、長さ計測に目と指を使う彼らに、これがこの国の文化なら受け入れようという気持ちになっていたら、仏語の先生は、
「それは私たちの文化ではありません。このアパートの管理会社が工事費用を抑えようとして、安い工事職人に依頼し、さらのその下っ端を送り込んだから、技術を持たない連中が送り込まれたのです。」と。
わが家にやって来た若い青年は、見よう見まねで親方の技を習得してきたのでしょうが、学校もろくに終えていないかれらは定規の使い方すら知らなかったのでしょう。
勝手口扉の話に戻りますが、わたしの見取り図を持って探してきて作業を終えた若者二人のうちの一人はフランス語も話せませんでした。それでも一生懸命探して来て設置終了の時に見せたかれらの満足げな笑顔は良かったなあ。
それは、困難な中で吹いてきたそよ風のようでした。
これからも、良い仕事をしてくださいと、水とキャンディと少しのチップを渡すと、とても喜んで帰って行きました。(続く)

2019年7月3日水曜日

ワガの我が家の食卓茶!

ケンケリバのお茶(左のポット)

ワガドゥグの我が家の食卓に毎朝上る、お茶ポット2本。
早寝早起き、早朝ランニングを日課とする夫が、毎朝、自分自身に課している(注;妻は強要したことなし!)仕事がこの二種のお茶作りです。ありがたいことです。
左は近くの中国食材店で購入できる茉莉花茶。
右が、ワガドゥグで再会した健康茶。

その茶葉の名前が分かりました。
”ケンケリバ”というのだそうです。
わが家のボーイ兼コックさんが知らなかっただけで(なんでだ?!)、尋ねたブルキナべ(ブルキナファソ人)は皆知っていました。
あ、ケンケリバだね、体に良いからよく飲んでるよ、もちろん皆知ってるよ。
当たり前じゃん~という反応です。

キンシャサでは”ブルグツゥ”と言っていた茶葉は、ワガドゥグでは、”ケンケリバ”と呼び名が違っているのもおもしろいです。
キンシャサのブルグツゥは、コンゴ南部のバコンゴで採れる茶葉だと、キンシャサ滞在時の家政婦(彼女はバコンゴ出身だった!)が言っていたことも思い出されます。
ここのケンケリバの茶葉も、ワガドゥグ産ではなくて、ガーナやコートジボワールからのものだと聞きました。まあ、ブルキナファソはサヘル地帯だから森林はないですもんね。

さて、夫が、このケンケリバの茶葉に再会したのは、市場ではなくて、夫のプロジェクトと関わる役所の中にある喫茶店の売店部だった、というのもおかしな話です。


ビニル袋詰めで売られるケンケリバの茶葉


高さ30センチくらいのビニル袋に入って、一袋が200F(約40円)。

昨日、わたしのフランス語の先生に尋ねたら、昔は、病気の時だけに飲んでいた薬草茶だったそうです。ケンケリバの茶葉だけでなく、ユーカリやシトロネールなどの茶葉を、個人個人の症状に合わせてここの伝統薬師に調合してもらい、病気を治したという話です。
(調合などは代々の薬師秘伝のものらしく、一般人にはわからないとのこと。)
現在では、ケンケリバのお茶は、健康茶として人々の生活に入り込んでいるようです

ついでにシトロネールのことも訊くと、シトロネールは今でも病気の時だけに飲むお茶だという認識があって、ここではそんなにポピュラーではないとのことです。
家の周りにシトロネールの株を植えて蚊除けにしていたバンギ時代の話をすると、あー聞いたことはあるわねえ~、くらいの反応でした。
やっぱり、シトロネール(レモングラス)のお茶はここでは認知度は低いと感じました。

身土不二。
その土地に暮らす人は、その土地で採れる食物を口にする。体と土は合体している、と説く言い伝え。

なるほどなあ、と改めて思ったのでした。

2019年7月1日月曜日

世界トイレットペーパー考

最近、ワガドゥグのスーパーで、日本のトイレットペーパー製造技術にかなり近づいた代物にありつきました!!!ちょっと感動したので、ご紹介しましょう。



比較ください。この紙量の違い。
もっとよく比較するために下の写真を見ましょう。
右のは芯の直径は大きいけど紙自体は巻きが少量。それに比べて、左のは芯の直径が小さくて巻きが多い!




この二巻きのトイレットペーパー。
小さいのはいつも買っていたトイレットペーパーで、太いのは、最近ワガ2000の町のスーパーで見つけた感動もののトイレットペーパー。
”Lotus”というメーカーのもので、これまた優れもののティッシュペーパー(最後の写真の背後にパッケージが映っている)も作っている、コートジボワールのアビジャン製のものでした、なんと。

思い起こせば35年近く前。
1985年にネパールの首都、カトマンズで出会ったトイレットペーパーは今でも思い出すと笑いが込み上げてくるほど、劣悪な品質のものでした。
まず、トイレットペーパー自体を探すことが難しかったからなあ。
なぜなら、彼らの文化として、トイレの後は左手を水で浸して汚れた部分を洗うという習慣だったのですから。
もう、思い出したくもないのですが、アメリカ(多分)の女性支援団体が運営するちょっとお洒落な手工芸雑貨を扱うお店のトイレに入ったときの汚さに驚きました。
床が水浸しのぬるぬるで、思わず滑って転びそうになって、危うく手で壁を掴んで踏ん張って難を逃れた、という経験があり、もう抜き足差し足で用を済ませ、帰宅して、その布製靴は捨ててしまった!っというくらい酷いトイレでした。
まあ、廃止になったとはいえ、カースト制度が当時はまだしつこく残っていて、トイレ掃除は最下層の人しかしないという考えと、左手でぴしゃぴしゃ水を使って洗うという二重慣習もあってのトイレの汚さだったのでしょう。
飛行機でもカトマンズ便のトイレは水浸しでしたし。

という時代に、やっと見つけたトイレットペーパーは・・・。
インド製のもので、紙の芯がやたらに厚くて黄茶色で、わたしの小さい頃に「ばふんし(馬糞紙、と書くのでしょうか、ぎょっとしますけど。)」と呼ばれていた紙が芯に使われ、トイレットペーパー自体はホンの1m足らず。用心深く二回使ったら、はい終了!、というウルトラ劣悪品でした。

1990年代のバンギもフランス製(?か忘れた)のトイレットペーパーを入手できましたが、インド製に毛が生えたような品質のものでした。
2012年から暮らしたキンシャサでも、日本のトイレットペーパーの品質を越えるものはまずありませんでした。
トイレットペーパーの種類はこんなにありましたけど。

キンシャサのスーパーマーケットのトイレットペーパー売り場(2013.8.8.本人撮影)


カトマンズから始まったトイレットペーパー探しの旅もかれこれ35年です。
そして、これなら許せるというトイレットペーパーにワガドゥグでやっと巡り合ったのでした。これです。(下の写真。メーカーはLotusでコートジボワールのアビジャン産。)

高品質の”Lotus”トイレットペーパー(ワガ2000のスーパーで)

もうひとつ、一昨日、夫が買ってきた”Ultra compact”というメーカーのトイレットペーパーはフランス製で1パック4個入りで3600F(720円、1ロール180円)。
名前の通りぎゅっと紙が巻かれて超コンパクトな超高級品質と言えますが、値段も張ります。(写真下、商品名はUltra compact)

さらにぎゅっと巻かれたトイレットペーパー”Ultra compact”

重量を比べると、Ultra compactは1ロール155g、Lotusのは1ロールが89g。
Ultra compactのは、Lotusの1.7倍以上の重さでした。
ちなみに、従来の我が家のトイレットペーパー1ロールは52g。
ほっほ~。
確かに、Ultra compactのパッケージに”4ロールで従来のトイレットペーパーの12ロール分”といううたい文句が書かれていますが、マジ、真実でした。
(155g×4R=620g:52g×12R=624g !)


左より、Ultra compact品155g/1R, Lotus品89g/1R, 我が家の従来品52g/1R
(背後にLotus社のティッシュぺーパーの箱が)

しかし、日本のエリエール(1パック8個で400円前後、1ロール50円)より3.5倍もの値段だと、ちょっと考えてしまいますねぇ。

ということで、結論!
品質的にも値段的にも日本のエリエールのトイレットペーパーに勝るものは世界中を探してもない。ということです。

日本人は、ウォシュレットも開発したし、トイレットペーパーも高品質だし、これほどお尻に優しい国はありません。