2019年7月25日木曜日

ちょっと参った6月、7月~逃避行イスタンブール空港ハプニング編

というふうに6月が過ぎて行き、鉄柵取り付け工事もピークを越し、ペンキ塗りを待つだけになった7月初めのことから再び話を始めましょう。

試練その2:
わたしは息苦しさを感じ、もうストレスの限界だと思って、夫に旅に出たいと申し出ました。
夫の提案で、結局、娘たち一家が滞在する南仏に行って、娘たちと合流することにしたのですが、夫から手渡されたチケットは、T航空会社のエコノミー席で、しかも往路のイスタンブール空港での乗り換え時間は1時間5分というタイトなものでした。
わたしは、ワガドゥグ市内のT航空会社のオフィスに行き、乗り換え時間が短い上に新しいイスタンブール空港で不安だということを話して、エコノミー席最前列の通路側に席を変えてもらいました。
そして、7月7日未明にワガドゥグを出発した便は、「イスタンブール空港到着30分の遅延予定」と機内の画面に表示が出ました。そうすると、乗り換えまでにあと35分しかありません。また、到着予定時間30分前にこの画面に乗り換えゲート案内が表示されると出たのでチェックしていましたが、表示は出ずじまいでした。
わたしは不安になって、客室乗務員に乗り換え時間が短いこと、そういう乗客のために用意された空港内のショートコースを教えてほしいことを尋ねましたが、機内から降りたところで地上職員が待機しているのでそっちに訊いてほしいと言われました。
何度か別の乗務員にも訊きましたが、素っ気ない態度で地上職員に訊いてくれの一点張り。
いよいよ着陸し、1分でも早く機内から出ようと通路に立ち、ビジネスクラス側にほんの1歩出て待っていたら、注意されてビジネスクラスのお客様優先です、とピシャーっとカーテンを閉められる始末!

やっと、機内から出ても地上職員なんていやしない!
ともあれ、トランジット出口の矢印に沿って行ったもののショートコースの案内は見当たらず、荷物検査係員からここに並ぶようにと注意され、荷物検査を済ませると一目散にニース行きゲートを目指して疾走(わたしレベルで)しました。途中でT航空会社のカウンター前を通ったのでカウンター内の人にチケットを見せると、ここを真っ直ぐ行ったところだから急ぐようにと言われ、もう全力疾走です。足はもつれ、気圧の調整がうまくいかずに耳はぼわんとしたままで、めまいまでします。
やっとゲートに6分前に着いたときには周囲はひっそり。人っ子一人いません!
奥のエレベーターに係員を発見し呼び止めました。
「5分前に機体のドアは閉じられたので乗れません。」と冷ややかに言われたのでした。
目の前にまだ機体は待機しているのに。

わたしの合点がいかないのは・・・
* 機体から降りた時に乗り換え時間の迫っている客の誘導が地上職員によってなされなかった。
* 乗り換え客がまだ到着していないのに予定よりも5分も早く機体ドアが閉められた。

ワガドゥグからの便の到着遅延で、乗り換え時間の迫っている客がいることはデータで持っているはずなのに、なんの配慮もなされなかったことに怒りがこみ上げてきました。
わたしは、ワガドゥグのT航空会社オフィスでも、客室乗務員にも、そして乗り換え空港のT航空会社カウンターでも乗り換えチケットを提示して乗り換えをPRしている。それなのに、乗り換え客が搭乗していない(搭乗客リストが手元にあると思われる)上に、予定時刻より早くに機体ドアが閉められた。
・・・そんな航空会社の応対に、だからTエアは三流どころか、四流、五流どまりなのだとか独り言で毒づいていました。

搭乗口でT航空会社カウンターに戻るように係員から言われて戻りましたが、カウンターで卒倒寸前になりへたばってしまいました!

カウンターでまず翌日の便を抑えて発券してもらいました。
それから、T航空会社指定の無料ホテルにたどり着くには、空港から一旦出てホテルカウンターまで行き、そこでホテル券を発行してもらい、乗り合いタクシーで30~40分かかるけど、夕食も朝食も全て無料だと係員は事務的に、でも自慢げに説明しました。
謝罪のかけらもない係員の応対に怒り狂うけど、こちらにはもう、そこまでたどり着く体力がもう残っていないっつーの!
自腹で構わないので空港内のホテルに泊まりたい、ここで空港内ホテルの予約を入れてほしいと依頼すると、それはできません、と言ってきました!
もう怒り爆発で、彼らに見切りをつけ、ふらつく足取りでひとり空港内ホテルに向かいました。
そしてラッキーなことに、予約なしでも空室ありと言うことでどうにか部屋に案内されたのでした。

試練その3:
さて。ホテルの部屋まで無事にたどり着きました。
wifiのあることを確認して、ワッツアップとバイバーでワガドゥグの夫に電話しようとしてもメッセージを送信しようとしても繋がりません。
もちろん、フランスの娘や家族の電話にも繋がらず。
ホテルマンがあれこれ試してくれましたが、電話もメッセージ送信も全て繋がりませんでした。おまけに、空港内には国際電話のできる公衆電話がないといいます。
途方に暮れて、わたしは飛行機に乗り遅れて夫や家族が心配していることをホテルマンに言うと、気の毒がって、個人の携帯電話を使わせてもらい、やっと連絡が取れたのでした。
ワガドゥグでわたしの携帯が通話中に突然壊れたのが5月のこと。わたしが以前使っていた携帯電話をどういうわけか夫が保管していて、以来それをワガドゥグで使っていましたが、海外では使用できない旧式のもので、ワッツアップかバイバーであれば海外でも電話ができるように設定した、と夫が言うものだから信じて持って行ったわたしが浅はかでした。
もう地球上に独りポツンと立って冷たい風に吹かれているような心境でした。

翌日は朝早い便だったので、ホテルマンに翌朝6時半のモーニングコールを依頼。
というのも、日本とワガドゥグの時差は9時間。ところが日本に近くなったイスタンブールでは日本との時差が6時間。翌日に向かうフランス(サマータイム実施中)と日本の時差は、7時間。
もう頭が混乱してしまい、翌朝のイスタンブール時間7時が、わたしのワガドゥグ時間の時計では何時になるのか、全く計算できない状態になっていたのです。
T航空会社の人からは、翌日の便は朝8時30分発なのですから8時25分に来ないようご注意ください、出発1時間前にはゲートにいるように、とかものすごい嫌味を言われるし。

でも、自腹を切ってでも空港内のホテルに泊まって正解でした。
もう二度と金輪際、T航空会社は使いません。

イスタンブール空港内ホテルの人たちにはとてもお世話になって、往路で宿泊した時に部屋に忘れた携帯電話の充電コードがあればなと淡い期待を抱いて帰路にホテルに立ち寄ると、客室係に連絡してくれてすぐに忘れ物が手元に戻ってきました。
このホテルの従業員たちの応対には、爽やかな風がさ~っと吹いてくるのを感じました。


そしてついに、わたしは逃避行先のニース空港に無事に到着し、娘一家の出迎えを受けたのでした。

アンティーブ市役所近くののどかな朝市とカフェ風景

ワガドゥグでの3夜扉無し事件、イスタンブール空港での乗り遅れ事件、挙句の携帯電話使用不可事件、と山を3つ飛び越えてやっとたどり着いたからこそ、南仏で過ごした5日間は光り輝く至福の時間となったのでしょう。

また、普段のワガドゥグ生活に戻って10日が経ちました。
心機一転、ここでの生活を楽しむことにしましょう。(完)

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