ブルキナファソに伝わるイエネンガ姫の物語は、ブルキナファソやガーナの北のほうの出身であればだれもが知っているはずです。
イエネンガは、ブルキナファソの最大部族・モシ族の初代王であるウェドラオゴの実の母親であり、若い頃は弓槍使いの名人で馬にまたがり果敢に父親を助けて祖国のために戦った美しい姫だったのです。
わたしが持っているガーナの出版社から出たイエネンガ姫の絵本の表紙には、イエネンガが愛馬にまたがって雄々しく戦う姿が描かれています。
イエネンガ姫は、女だてらに馬に乗って弓、槍を自由に操り、父親の片腕として、林立する王国と戦って自国の勢力を伸ばしていったと言われています。
細くて美しい姫だったと言われて、今も、ブルキナファソやガーナ北部で尊敬され続けています。
ワガドゥグ市内の中心地に建つイエネンガ像は、ちょっとデッサンが狂っていていただけません。イメージが下がってしまいますので、代わりにわたしがイメージするイエネンガ姫のイラストを見つけましたのでこれを。
イエネンガは、ちょうど日本の戦国時代と同じ時期に生きた女性だったと思われます。15世紀のころだったのでしょうか。ブルキナファソの学校の歴史の教科書にも載っています。
フランスのジャンヌ・ダルクも15世紀の戦う女性でした。
わたしは、まさにイエネンガはジャンヌ・ダルクのようなイメージでとらえているのかもしれません。
ブルキナファソのナショナルサッカーチームの名前は、”Les Etalons”(エタロン)。
これは、もともと、フランス語で「種牡馬」という意味ですが、勇敢なイエネンガの愛馬から命名されたものだと聞きます。
また、1969年からブルキナファソの首都のワガドゥグで2年に一度、開催される映画祭、”FESPACO”でグランプリを獲得した監督に与えられるトロフィーは、馬にまたがって雄々しく戦う、ゴールドのイエネンガ姫像なのだそうです。
これがフェスパコ映画祭グランプリ賞のゴールドトロフィーです。雄々しいイエネンガ像ですね。
ワガドゥグのグランマルシェの一角に真鍮の像ばかりを売る店が立ち並ぶコーナーがあると聞き、我が家の運転手についてきてもらって2019年9月に購入して、ずっとワガドゥグの我が家のリビングに飾っていました。
そのアパートも今年5月末で引き上げることになり、夫のプロジェクトの現地スタッフがわたしたちが残してきた荷物をまとめて事務所へ運び入れてくれたので、きっとその荷物の中にこのイエネンガ像はあるはずです。
いつか日本の我が家に持って帰りたい大切な思い出のイエネンガ像です。
わたしが愛してやまないイエネンガ姫。
ワガドゥグから戻ってきて、わたしたちの住む赤羽の住宅地の公園の中にイエネンガ姫が愛馬にまたがる像とそっくりのものを見つけたのです。それは大きな青銅の像でした。
後日、夫を連れて観に行き、二人で感動したのでした。
この像が建立された来歴も作者名も公園内に記されていません。
なぜ、赤羽の公園に愛馬にまたがる女性像が建っているのでしょう。
なぜ女性だと決めつけるのか、って?
この像、裸体で馬にまたがり、胸が膨らんでいるのです。
わたしはこの公園のそばを通るたびにイエネンガ姫像を見上げて、コロナ禍がおさまって、いつかワガドゥグに帰れますように、と祈るのでした。
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