今日は、FESPACO~ワガドゥグ・アフリカ映画祭~2日目でした。
外国人のわたしたちが普通に過ごした週末は、町なかで特に大騒ぎをしている光景に出会いませんでしたが、夫の事務所の秘書の女性から、そして、ブルキナファソに長く暮らす日本人の女性から聞く一般庶民のFESPACO開催期間の楽しみかたというものがわたしの小さい頃の思い出と重なって、真相が薄らぼんやりと見えてきたように思います。
もちろん上映映画のスケジュール(上映場所、日時)は前もって新聞などで公表されると聞くし、長編映画、短編映画、アニメ映画、ドキュメンタリー映画によって入場料は異なり、当日売り出されるという入場券は1000フラン、1500フラン(日本円に換算すると約200円、300円だけど、ここではもっと高価に感じます)と聞きます。私が買った入場券は1000フランでした。どれも一般庶民にとっては購入するには少し躊躇する金額だと思われます。というのも、庶民が朝食のために町カフェでパンとコーヒーを注文して200フラン、昼食を町なかの大衆食堂で食べると水も含めて500フランでおなかいっぱい食べられるという話ですから。
せいぜい映画を鑑賞するにしても吟味して選んだ一作品、あるいはそれさえもできない庶民のほうが多いように思えます。周囲に人に訊いてみると、FESPACO開催中は庶民たちは一回は映画館に足を運ぶくらいかなということです。でも、FESPACOが終わると、映画館に行くことはないかなあと言っていました。しばらくすると、テレビで観られるからね、とも話していました。
それでも、アフリカ映画祭がワガドゥグの町で誕生して50年を超える歴史を持つ祭典だということを考えたら、そして、市内にいくつもの立派な映画館を抱えていることを考えたら、ブルキナファソ人の映画に対する思いも特別なものがあるのかもしれません。
事務所の秘書の女性は、小さいころ、映画祭開催期間中は学校が昼で終わり(普段は朝7時半から17時くらいまで授業があったのだそうです)、家族で、あるいは友人たちと映画祭会場に行くのを楽しみしていたと言うのです。
子ども向けの映画は15時から、16時からと早い時間帯に上映されていたのだそうです。
もちろん、映画を観るという楽しみもあったけれど、家族や友人たちと、映画館周辺に立ついろんな露店を見て回って、食べたり、買い物をしたり、ただ歩き回って遊ぶだけでも楽しかった、と話していました。
今も、映画祭期間中は学校が半ドンだと聞きました。
そんな話を聞いて、わたしの小さい頃のことと重なって、とても懐かしくなったのでした。
わたしの故郷、北九州市八幡の町は、毎年11月の初めに「起業祭」というお祭りがあって、学校は(確か)土日を挟んで3日間ほど休みになりました。
小学生の頃は、そのお祭りの意味も分からず、漢字でどう書くのかも考えもしないで、キギョウサイ、きぎょうさい、とつぶやきながら胸が高鳴ったものです。
本来の意味は、八幡製鉄所の溶鉱炉の火が点火された起業の日を祝う祭り、だったのです。
その起業の祝いの一環として、鉄が作られていく大規模工場が一般に公開されて見学に行った記憶があります。そして、体育館での記念式典にも足を踏み入れたこともあります。
それはわたしにとって退屈なものでした。
そんなことよりも、工場や式典から出てきた後に、メイン会場の八幡製鉄所体育館周辺に立ち並ぶ露店を見て回って買い食いする楽しみが、わたしたち子どもにとっての(そして多分、大人たちにとっても)楽しいきぎょうさい、きぎょう祭、だったのだなあとしみじみ思い返します。起業のお祝いなのだから、家族総出でメイン会場周辺に繰り出して祝って楽しんで、というのもアリなのでしょう。小さなピンクのプラスティックのままごと道具、セルロイドのお面、ヨーヨー、綿菓子、たこ焼き。11月に入ったとたんに空がどんより曇ってあられ模様になった玄界灘に面する八幡の町に暮らすわたしたちの大きな楽しみのイベントでした。
ここの人たちも、わたしの起業祭に対するのと同じような視点~アフリカ映画作品が上映されて讃えられる映画の祭典、というより、フェスパコ祭りという視点~で、上映会場周辺に立つ露店を回って祭りを楽しむものなのかもしれません。
アフリカ映画がますます注目されるようになり、ワガドゥグというこの地で繰り広げられるであろう映画商談会のほうも盛況でありますように。
皆さんにはコロナ感染対策面もそれからテロのこともしっかり考えて行動していただけたらと思いますが、ワガドゥグでは無理なのかもな。
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