2019年3月31日日曜日

ついに聴いた、セミの声!

サハラ砂漠南にちょっと引っかかる位置にあるワガドゥグにも何と!ゴルフ場があります。(ちなみに1972年創設なのだそうです。)



これは、ゴルフ場の入場門(!)を内側から撮ったもの。
はい。
はげはげのコースで、グリーンも重油?ミックスの砂地です。




それでも、ブーゲンビリアの花は咲き、木も点在しています。

ゴルフクラブ保護の観点から、フェアウェイの中では、練習用の芝生マットを敷いてプレイ可、という規則もありますし、ボールがスコーン!と気持ちよく飛んでも、着地点に石があれば、びっくりするような動きをみせてくれるボールです。
これもまあ、神のみぞ知る、で実力外の”運”も試されるという醍醐味も味わえるコースだと言えます。

ワガドゥグで、わたしは昨日初めてコースに出ました。
朝7時半にホテルを出て、ゴルフ場に着いたときはもう太陽はギラギラに輝いていました。

やっとコースの半分近くまで行ったぞー、というときに、夫が、
「セミだ!、セミが鳴いているぞー!」
と叫んだのでした。

あれほど、アフリカで探し求めて、出会うことのなかったセミを遂に発見!
というか、プレイ途中だった(その時点で、もう熱中症気味だった)から、セミの姿を探すことはできませんでしたが、確かにしっかり、セミの声を聴いたのでした。

世界三大熱帯雨林に位置する中央アフリカでも、コンゴ民主共和国でも、ケニアでも、南アフリカ共和国でも遂に聴くことのなかったセミの声。
知人に訊ねても、エジプトでも、セネガルでもマダガスカルでも、セミはいなかったのだそうだ。

フランスでも、パリにはいなくて、夏の南仏にだけ棲むセミたち。
南仏では、お土産屋では、セミの声を録音したものをスピーカーで流していたくらいお馴染みだった蝉の声。
日本の夏は、セミの鳴き声の大合唱でした。




これは、日本の我が家のトイレ壁にへばりくっつく陶器のセミたちで、南仏で買い求めた(あるいはプレゼントされた)わたしの宝物です。
南仏では、セミは幸せを運ぶ、と言われているのだそうです。
おっと~。
中国でも、翡翠の石で作ったセミをかばんにしのばせておくと、幸運がおとずれると言われているのだとか、いつかの機内誌(ANAだったな)で読んで納得したこともありました。
・・・と知人に言い振り回していたら、ほい!、っと翡翠のセミをプレゼントしてくれました。はい、もちろん、わたしのポーチに入って、ワガドゥグまで来ています。
それから、茶道をする友人から、木箱入りの古い茶さじをいただきました。セミの形の茶さじでした。
これらも、わたしの宝物。

はて、ワガドゥグのセミはどんなセミだろう。
キャディに訊くと、小さいよ、って。
Miel(はちみつ)を集める虫と同じ虫さ、って。
???
またまた、ご冗談を。
でも、かれは本気で言っていました。
まあ、キンシャサでも同じことがあったな~、と思い出されます。

当時の我が家の家政婦さん曰く・・・。
黒くて羽を持った虫でしょ、ジーンジーンと鳴くでしょ。もちろん、我がキンシャサにもいますよ。食べると美味しんですよお。あ、ちょうど今の季節、市場に行くと売ってますよ、見つけたら買ってきましょう。
雨季の終わった9月のことでした。
日本語の上手なコンゴの女性にも確かめたら同じことを言うので、楽しみに待っていたら、なんと!
持ってきたものは、夜に鳴く、コオロギ、だったという苦い思い出話。
たしかに、日本でも緊急非常食にぴったり、栄養満点、しかも養殖にも向いているということで、コオロギ食がひそかに脚光を浴びてきているようですが。

ちなみに、ここのキャディに、ミーンミーンと鳴くあの虫を食べるのか訊いたら、食べません、と言うことでした。なぜか、安心。

2019年3月28日木曜日

ワガドゥグの郵便局



ワガドゥグに無事入り、ホテルに落ち着いてから、まず夫の初仕事は地元の銀行に口座を、そして郵便局に私書箱を開設したことでした。
さあ最初の難所だと気負い込んで出陣したら、信じられないくらいスムーズに手続き完了!
ここは、ホントにアフリカか!(失礼)と疑うほど、簡単に開設できたのでした。

で、上の写真が、ワガドゥグの郵便局(他にも市内にいくつかあるみたいだけど)です。
局内は理路整然としていて、カウンターには、造花だけど花が飾られ、隅っこにはゴミ箱が置かれて、周囲の人に尋ねると、どこそこのカウンターに行きなさいと親切に教えてくれて。
もう、うぉー!、うぉー!、と夫と二人で声張り上げて感動するばかり。
これこそが銀行だ!、これこそが郵便局のあるべき姿なのだ!、とか叫ばんばかりの勢いなのでした。
変なアジア人二人組だったかもです。

これが、局内の私書箱。



そして、これが私書箱群入口にある、郵便物窓口と郵便ポストです。



投函ポストは、国内の地方向け、ワガドゥグ市内向け、海外向けに分かれていました。

もちろん、きれいな郵便切手も存在し、買うことができます。
これは、別の窓口で買った切手2種です。




どちらの切手にも、”BURKINA FASO”と刻印があります。
(当たり前だけど。当たり前ではなかった国にいた者には、いちいち感動しまくり!)
右の空色のは、690フラン(約130円)でフランスへの手紙・葉書き用に、左の黄緑色のは、830フラン(約165円)で日本への手紙・葉書き用に買い求めた切手です。
値段も妥当なところだ、とこれまた感嘆符モノ!

カウンターのガラス向こうに見える丸いガラス仕様の機械は、郵便物の重さを量る計量器です。このカウンターの背後にも、四角いブルー(?確か・・)の鉄の箱が鍵付きで設置されて、郵便物投函ポストになっていました。

もちろん、ブルキナファソ国内の郵便物は私書箱を設置していないと届かないですが。
(だから、どこのお店の案内カードにも、”どこの郵便局の私書箱何番”というのが住所として明記されています。)
国内宛ての大型封筒郵便物を持ち込んだひとりの男性は、重量を量ってもらって不足分の切手を買って、封筒に貼って(そのとき、なんと!!!局員がさっと切手貼り用水スポンジ容器を差し出したのだっ!!!)、カウンター背後の投函ポストに、日常のことのように入れたのをわたしは目撃した。
ついでに、わたしは、大型封筒に書かれた宛先をチラ見したら、私書箱ナンバーのほかに、電話番号とメイルアドレスも明記されていた!
もう高揚しまくって郵便局を後にしたのでした。

それにしても、フランスの娘のとこと、九州の父のとこに投函した手紙は未着のままらしい。もう2週間前になる。祈ろう~♪

ワガドゥグの今日の朝と、25年前のバンギの朝と

ここ、ワガドゥグは北緯12度ちょっとに位置しています。
中央アフリカ共和国のバンギは北緯4度のところでした。

今、春分の日も過ぎて、このワガドゥグの町の夜明けは朝6時ちょっと過ぎ。
夫が今朝、夜明けとともに外出したら、もう町には車とバイクが走っていたと言います。

ワガドッグはバイク走行の多い町だということにびっくりします。



自転車も目に付きます。
車道両脇を3列走行で行儀よく(と、キンシャサ暮らし経験者には見える!)進みます。
フリフリレースのロングドレスを着たマダムも、エクステでおしゃれするミニスカートのおねえさんも、首が座るか座らないかの赤ちゃんを頭だけ出してぐるっと布地で巻いたり、頭まですっぽりカーテン状の布地を覆いかぶせて背中に背負った母親も、ホントに”猫も杓子も”状態で、ヘルメットもかぶらずバイクにまたがって、ラッタッタ~♪、です。
ワガドゥグで調理に欠かせないプロパンガスボンベを抱え込んでバイクにまたがるムッシュまでいて、わたしはぞぉー、っとしてしまいます。
やっぱり、バイクと車の追突事故を頻繁に見かけますから。

バイクや車が夜明けとともに始動する風景が広がるワガドゥグの町。




ふ~っと、20数年前の中央アフリカ共和国の首都、バンギの夜明け風景を思い出してしまいました。
北緯4度ほどのところにあるバンギも、夜明けは一年を通して朝6時前後でした。
3年間の滞在生活で後半に住んだアパートのすぐ横には、飛行機の旧滑走路を利用した、広い道路が広がっていました。
コンゴ川の支流にあたるウバンギ川が流れるバンギの町は、夜明け前の頃、朝靄がたちこめます。
その道路の両脇を、朝靄の中、ぞろぞろ、ぞろぞろ、と人の波がうねって行くのです。
片方は町の中心地に向かう人たち、もう片方は飛行場方面に向かう人たち。
圧倒的に町の中心に向かう人の波の方が大きいのは言うまでもありません。
車はほとんど走っていません。
バイクなんて全く通りません。
車道はがらがらで、歩道は人の波!
たくさんの人たちが歩いて職場に向かう朝靄の光景をアパート3階のリビングの窓から眺めるのが、わたしは大好きでした。
人々の暮らしの健全な躍動感を垣間見る思いでした。

現在もバンギは無政府状態が続いていると聞きます。
息子が尊敬して憧れていたボーイのフランソワおじさんはもう亡くなりました。
子どもたちを学校やお稽古事や友達の家にと安全に連れて行ってくれた運転手のポールは元気にしていると、バンギに入った日本の方が彼の手紙を私たち家族に届けてくれたことがありました。
今も、彼や彼の家族たちは元気にしていると信じます。


2019年3月23日土曜日

ホテルの庭の七面鳥





わたしたちの滞在するホテルの庭の自由人、七面鳥の子どもたちです。
まるで、人間の存在が目に入らないかのような自由人っぷり。
さらに、親鳥もいますがね。




こんな風に、威風堂々と散歩する七面鳥の親鳥たち。
(かれらの向こうには、鉄製のキリンのオブジェが見えます。)




じっくり見てほしい、七面鳥のあごの赤い部分!
このタルタル感が、なんだか我が身を見ているようで、見かけるたびに哀れを誘うのでした。

わたしも鏡を見るたびに、タルタルなあごのシワが気になってしょうがないのでした。
でも、この貴婦人のように気高く生きる七面鳥の親鳥たちを見習って、生きなければと励まされもします。

そうなんだなあ。
この七面鳥親鳥たちは、あごがタルンタルンでも、姿勢がいいんだなあ。

”姿勢を正す。”
何ごとにも、これでいこう!、と思うワガドゥグの朝なのでした。
(朝7時半くらいまでは、画像も遅めではありますが取り込めてすっきり感あり。)

2019年3月22日金曜日

私たちが滞在するワガドゥグのホテル

今日は、3月9日に到着してからずっと私たちが滞在しているホテルを紹介しましょう。




ホテルの厳重チェックの二重ゲートをくぐってから、私たちの部屋までのルートです。
さらにその奥に、朝食を取るテラスと横にあるプールです。
こう見ると、素敵でしょう。
そう思っておいてください。
いろいろなところに目をつぶれば、開放感のあるとても良いスペースですし。

部屋もゆったり広めですが、難を言えば、狭いトイレ&シャワールームですね。
トイレ便座のすぐそばにシャワーがあって、境界線がないっ!
ということは、シャワーを浴びると便座は濡れ濡れ。
シャワーを浴びているときにもう一人がトイレや洗面台を使いたくても、我慢を強いられる!
シャワーを浴びるのにも、テクニックが必要!
(ここまで書きたくないけど、髪を洗った後の泡は極力、便器に流し込む、とか。)

そこで救われるのが、ホテル敷地内のゆったりスペースです。
よちよち歩きの幼鳥を連れた七面鳥一家の存在、現地の木製オブジェ、鉄製オブジェにも和まされます。
ホントにこのゆったり開放感。いいわあ~。

ワガドゥグの通信状況はキンシャサよりさらに悪いようで、早朝のみ画像を送れますので、これからも早寝早起き(日本との時差が9時間もある!)でやっていこうと思っています。

現在朝7時半。
さあ、朝食をとりにテラスに行きましょう。
朝の空気はヒンヤリ新鮮です。
太陽が昇り始めた途端に灼熱と赤土埃の町になってしまいますので、つかの間のさわやか空気は貴重です。

このホテル滞在も今月いっぱい。
次のステップに移る予定です。

では、良い一日を!っていうか、日本はもう、午後4時半なんだな。


2019年3月20日水曜日

ブルキナファソでドレミファソ~♪、到着しました!

はぁ~るばる来たぜ、ブールキナぁ~♪

わたしのサウルハープを背負ってきましたよ、アフリカ大陸、西に位置するブルキナへ。

"ブルキナへ寄って来な"、とは誰も言わなかったけど。

還暦越えの夫婦は、3年も離れているといつ何どき何が起こって我が人生を後悔をする、というのはいやだし。
悩みに悩んで、やっぱり夫について行くことにしたのでした。

で、キンシャサ滞在の時は留守番していたわたしのケルトハープをどうしても持って行きたくて。でも、サイズがでかすぎる!
これまた苦肉の策で、小型のサウルハープをわたしのちっぽけなヘソクリで購入したのでした。
童話「家なき子」の主人公のレミが、おじいさんや犬やサルたちと旅芸人の一員としてハープを背負って町から町へ移動していく物語を思い出したのでした。
このサイズなら、レミハープ(っとわたしは表現していました。)と一緒だ。膝に置いて弾くタイプだから、どうにか機内持ち込みサイズとして認めてくれるだろう。

夫との交渉にもどうにか成功し、飛行機荷物の追加料金は払わねばならなかった(タオルを巻いてソフトカバーに入れたら、少しだけサイズがオーバー!)ものの、どうにか機内持ち込みにも成功し、3月9日午後3時、ワガドゥグ空港にハープ背負って夫婦で無事着陸しました。

成田からエチオピアエアラインに乗り込み、アジスアベバで乗り換えて、約1日半の旅でした。


レジデンスホテルの部屋にサウルハープ背負って大量の荷物と共に到着


翌朝、時差でぼ~っとした頭の片隅で起こされる声が聞こえて、夫が、言いたくないが、さっき、アジスアベバ発、ナイロビ行きの便が墜落した・・・、と。
わたしたちが乗ったアジスアベバ発のワガドゥグ行きの便のちょうど24時間後の事故でした。
なんだかなあ。
わたしたちは拾った人生のような気もして、あらためて、ここでの生活を楽しもうと思ったのでした。

~というわけで、まだまだ未熟なハープ奏者(いかんせん、アラカンの手習い。)ではありますが、ブルキナファソでドレミファソ~♪と奏でて日常生活を豊かにしようという心意気なのでした。
できるかな?