ワガドゥグの町は、びっくりするくらいバイクの多い街です。
夫が言うには、日本のYAMAHAが50年前にノックダウン輸出(部品のままで輸出し、現地で完成品に組み立てて販売する方式)を始めてトヨタの代理店、CEFAOで購入が可能になったということです。
町じゅうにmoto(=バイク)がすばらしい規律を守って走り回っています。バイク専用レーンのある道路もあります。
今では、自転車は少数派になっていますが、15年前までは、自転車の数のほうが多かったそうです。
ブルキナファソほどバイク走行数の多い国はない、と言えると思います。
さらに驚くのは、女性のバイク運転が多いということです。
バイクを運転する女性の写真を並べてみました。
ハイヒールとタイトスカートで、長いアフリカンドレスで、赤ちゃん用マント~Porte bebe~を翻して、あるいは、アフリカン布地に蓑虫よろしくぐるりと(赤ちゃんの顔だけ出して)巻いておんぶして、女性たちが勇ましくバイクを運転しているのです。
2,3人の子どもを前後に載せて運転しているマダムたちさえ見かけます。
ここの女性たちは、仕事をもって働くのが当たり前だという考えを持っています。それは、サンカラ元大統領が女性の社会進出を唱えた政策にも起因するのでしょう。
政府にも普通に仕事をこなす女性がいると見受けます。
そして、絶対に見逃せない影響力を持つ女性が、ブルキナファソにはいるのです。
女性でありながら、愛馬にまたがって弓矢や槍を自由に操って戦闘に活躍したイエネンガさんです。1100年代に実在した、ブルキナファソの建国の母として今も敬愛され続ける女性です。
イエネンガさんの歴史を紐解くと、ブルキナファソの女性がバイクを運転するのが当たり前のことだということが理解できてきます。
イエネンガは、女性でありながら愛馬にまたがって戦いに活躍し続けました。
結婚して、3人の息子を育てた母親でもあります。
そんなイエネンガの姿勢がブルキナファソの女性にも自然に育まれたものだったのでしょう。
自立した女性が多い国、ブルキナファソ。
とはいえ、パーティーなどでは、女性は一歩引いて、男性が着席するのを待ってから、女性が着席するといった気遣いも持っています。まるで、日本の武家の女性のようです。秘書の女性が言うには、小さいころから、男性が先に、ということを母親や祖母から習い身に付いた風習だと言っていました。ちなみに彼女はモシ族の女性で、イエネンガ姫の部族に繋がっています。
これで、ワガドゥグで綴ってきたわたしのブログはおしまいです。
でも、まだまだ、書き残したブルキナファソでの見聞記が山積しています。日本に帰国しても、しばらくは、ワガドゥグで書き残したものを更新していきたいと思っています。
それでは。夫の事務所に毎日通って書いてきたものはこれで終わります。
これから、自宅アパートに戻ってシャワー浴びて、最終準備をして、飛行場に向かいます。
2月9日19:40ワガドゥグ発のフライトで出発します。
足掛け3年のワガドゥグとの交わりにたくさんの感謝を言って。さようなら。
ありがとう!ブルキナファソの人たち。