2019年8月19日の新聞”L'Observateur”のトップ記事には、大きな見出しとともにファダ・ングルマ(Fada N'Gourma/ブルキナファソ東部の都市)の王様の写真が一面を独占していました。
Gulmu(Fada N'Gourma)の王様、Kupiendieli,死去
「太陽が東に沈んだ」
続く記事には、"たった2週間の間に、もうひとりのモシ族の王の死去に続いてファダ・ングルマの王が亡くなった"、と書き添えられていました。
そのもう一人のモシ族の王とはBoussouma(ブスマ)の王のことです。
わたしはこの記事を辞書片手に読み終えて、フランス語の先生に一語一語確認をし、夫の事務所の秘書の女性を質問攻めにし、それから、わたしは運転手と我が家のコックに根掘り葉掘り聞きまくりました。しつこく、しつこく追いかけ回して。(ごめんなさい、とそして、ありがとう、です。)
まず、確認したことは、イエネンガ姫までさかのぼって、かのじょの息子のウェドラオゴ(初代モシ族の王様)には3人の息子がいたこと、そしてその3人が父親のウェドラオゴから引き継いだ領地のことからでした。
ウェドラオゴの長男、Zoungrana は、Ouagadougou(ワガドゥグ)へ、
ウェドラオゴの次男、Raoua は、Ouahigouya(ワイグヤ:北部マリのほう)へ、
ウェドラオゴの三男、Diaba は、Fada N'Gourma(ファダ・ングルマ:東部ニジェールのほう)へと移動し、今も子孫が続いているということでした。
ウェドラオゴの三男のDiaba Lompo は、後に馬に乗ったままバオバブの木を駆け上り、天に昇って消えていったという伝説の残る王様です。ディアバ(Diaba)が馬とともに駆け上っていったというバオバブの大木は、今もファダ・ングルマに立っていて、その幹には馬の蹄の跡が残っているのだそうです。(星の王子様っぽいファンタジーの世界ですね。)
次に確認したことは、この3つの領地のモシの王様に加えて、現在、ブルキナファソの国には5つの地域にモシ族の王様が存在する、ということです。
① Ouagadougou(ワガドゥグ)の王様
② Tenkodogo(テンコドゴ)の王様
③ Ouahigouya(ワイグヤ=Yatenga)の王様
④ Fada N'Gourma(ファダ・ングルマ)の王様
⑤ Kaya(カヤ=Boussma)の王様
この5人の王様のうち、カヤ(ブスマ)の王様がこの8月初めに亡くなり、2週間後にはファダ・ングルマの王様が亡くなったというのですから、ブルキナべには悲しみの8月(涙の雨季~実際に雨量が一番多い8月です。)となったことでしょう。
私の周りのブルキナべは皆、モシ族の人たちのせいか、この2人の王様の死のことをよく知っていて、かれらがいかに尊敬を集めた偉大な存在であったかを熱心に話してくれました。彼らが言うには、モシ族の人たちだけでなく他部族の人たちも同様に悲しんでいるということです。
私の周りの人たちの話を聞いていると、この国の部族間には壁も闘争心もなくて共存して暮らしているというイメージを持ちます。我が家のコックは、この国には部族間の争いは全くなく、平和だと言い切りました。本当に穏やかな国民性を感じます。
わたしは、この”部族”というカテゴリーのくくり方がイマイチ理解できません。
ファダ・ングルマの人たちのことをGulmantie(Gourmantche:グルマンシェ)と言ってモシ族と区別し、モレ語(モシ族の言葉)ではなくてグルマンシェマ語(langue Gulmantchima)を話すのだと言います。
では、ファダ・ングルマの人たちはモシ族ではないのなら、上の”モシ族の王様5人”には入れられないのではないの?、と訊くと、ウェドラオゴさんまでさかのぼるとかれらもモシ族だ、というのでした。
ウェドラオゴさんは初代モシ国王で、かれの三男のディアバさんはファダ・ングルマの初代王なのだと言うのです。ちなみに、ウェドラオゴさんが初代モシ王国の王様だけど、母のイエネンガ姫や父のリアレさんはモシ族ではないというブルキナべもいます。ちょっと混乱します。
”部族”というくくり、概念が、この地域一帯ではちょっと日本人の私たちと違うのかなあ~。
王冠である帽子を被り、ファソダンファニの民族衣装姿の第31代ファダ・ングルマ王、クピエンディエリ |
ともあれ、この死去記事の主人公のファダ・ングルマの王様、クピエンディエリ(Kupiendieli)さんは、1935年にファダ・ングルマで生まれ、ゾーゴ(Zorgho,ブルキナファソ国内)に続いてバマコ(マリ共和国)、フランスで勉強し、その後、国会議員に選出されて国会の議長や副大統領を歴任するなど輝かしい経歴を持ち、67歳で31代目のファダ・ングルマの王様となり、2019年8月16日の夜から17日に日付が変わるころ、84歳で亡くなったのだそうです。
”偉大なる賢人(クピエンディエリ王)の死の報を受けて、ブルキナ政府から賢人へのお悔やみの声が満場一致でいたるところから沸き起こった。伝統的なものを守護してきた、信念の人の思い出に別れを告げるためのメッセージであった。”
2019年8月。ブルキナファソのモシの2人の王様~ブスマ(Boussma/Kaya)王とファダ・ングルマ(Fada N'Grourma)王~の死去は、ブルキナファソの人々、ブルキナべにとって、大きな悲しみのニュースだったのでしょう。
今も連綿と続くMogo Naba(モレ語で、モシ族の王)の国、ブルキナファソ。
わたしには、かれらの中に、遠く、ウェドラオゴさんが、そしてイエネンガ姫が見えるように思うのでした。(イエネンガ姫かぶれより)