2020年9月26日土曜日

東京バオバブを室内に入れました!

 今日も東京からの更新です。


「暑さ寒さも彼岸まで」の通り、東京は厳しい残暑も彼岸を過ぎた途端に急に肌寒くなりました。
今週はずっと雨模様だった東京の気温は、9月26日17時現在、21℃です。
最低気温が25℃を下回りましたから、東京の我が家のベランダ育ちのバオバブを今日、室内に移しました。




背丈33㎝。幹も少しずつ木らしく茶色に変化しつつある、かな。
3個植えたバオバブの種は、結局、一つの種からしか発芽しなかったけど、6月17日に種を蒔いて、7月4日に発芽して、3か月半でここまで大きく成長しました。
日本では、これから気温が日々下がっていきますが、東京バオバブがうまく越冬できるか、共に頑張りましょう。

ジブリ映画「となりのトトロ」でわたしの大好きな場面があります。
さつきとめいが、森で拾ったドングリの実を畑に植えたら、満月の夜に発芽して、一晩でドングリの若木がぐーん!、と成長していく場面です。



さつき、めいの姉妹の、そして木の持つ大きな生命力が感じられて、好きだなあ、この場面。
ぐんぐん、ぐんぐん!
ぐんぐん、ぐんぐん!
我が家の東京バオバブも元気に大きくなれー!!!

2020年8月24日月曜日

ブルキナファソ産の健康茶

 5か月前の今日、わたしはワガドゥグから一人、成田に到着しました。
あの時は、まだうすら寒かったのにな。わたしが帰国した途端に東京都のコロナ新規患者数が急増して緊急事態宣言が発表されて、ほとんど外出することのないまま、春が来て、梅雨になって日本中のあちこちで浸水被害が起こって、長い梅雨がやっと終わったかと思ったら猛暑がやってきました。
今度は、コロナ禍対策のためのマスク着用と、熱中症とのせめぎ合いでした。
新規コロナ患者数とともに発表される熱中症患者数の多さにはうんざりしました。

8月も下旬となり、日陰ではいくぶんひんやりとした空気に変わったかな。

今日も、東京から更新します。

帰国してからも、ワガドゥグから持ち帰ってきた各種のお茶とシアバターで癒されました。
夜寝る前に顔や首、手足にシアバターを塗りながらのマッサージで心身がほぐされたようでした。
毎朝煮だして作るブルキナファソ産のお茶は健康にも良いと言われて、体の内側から洗われるようでした。
キンシャサでは、乾燥の健康茶葉(ブルグツゥと言っていました。)は庶民の市場でのみ入手できるということで、家政婦のおばちゃんに買ってきてもらっていましたが、ワガドゥグでは、きれいに包装されてスーパーで売られていました。ティーパックになっているものもあって、成分を選べて楽しめました。

先日から煎じて飲んでいるお茶が、これまたおいしい!!!
Moringa+Kinkeriba(モリンガとケンケリバ)と書かれた茶葉です。確かに2種類の茶葉が入っています。飲んでスーッと感じるのは、ケンケリバからの成分です。モリンガとの調合具合が絶妙です。


パッケージには100%ナチュラル、と記され、防腐剤、添加物、化学物質、興奮剤無添加と表示されています。
煎じたお茶には、消化機能を助けたり、血の巡りを良くしたり、体内の毒素を取り除いたり、心臓血管の疾患の予防になる、と書かれています。
沸騰した湯1/4ℓに茶さじ2,3杯の茶葉を入れて、7~10分煎じ、茶こしで濾してから、砂糖、蜂蜜で、または何も入れないで飲むこと。
朝食の時、食後、そして就寝時に飲むことを勧める。自然そのものの”エクセレントな”味です、ですって。

ブルキナファソ産と書かれていて、パッケージにブルキナアソ国旗がはためいているのがなんだか”、わたしにはうれしいです。

そんなことが書かれて、最後に消費者相談サービスとして、電話、メイルアドレス、生産者までもが、しっかり表記されているのです。
100グラムで1250CF(日本円で300円弱)。
消費期限もしっかり明記されいます。
ビニールコーティングされたような紙パッケージは微生物によって分解されるもので作られているとも書かれていますよ。
しっかり、ごみ箱に捨てましょうマークだって掲示されています。丸ごと、地球環境に配慮されたお茶だと言えます。


すごい!パーフェクト!
あっぱれ!ブルキナファソ!


ワガドゥグには、こんなお茶、パックになったお茶がきれいな包装でお店に並んでいます。
自然食品だけを取り扱うお店も、今年に入ってワガ2000地区に開店しています。
やっぱり、ブルキナファソの人たちはすごい。


なのに、テロ集団が、北の国境、南の国境から入り込み、コロナウィルスの脅威ともダブルで闘わなければならないブルキナファソ。
がんばれー!
わたしは必ずワガドゥグに戻ります。


モリンガとケンケリバミックス茶葉


そのパッケージ裏の能書き





煎じて出来上がったモリンガ・ケンケリバ茶

2020年8月8日土曜日

赤羽育ちのバオバブと、ワガドゥグ育ちのバオバブと

 2020年7月3日、東京は赤羽ベランダ生まれのバオバブです。
6月17日に種を蒔いて、2週間かかってやっと一つだけ発芽しました。
ということで、今のところ一人っ子です。
今日8月8日撮影。身長20cmになりました。双葉がどういうわけか、しっかり残っています。
幹の部分は今のところ、緑色。
見かけは、まだ”草”っぽいです。


 

 変わって、こちらは、2019年11月16日ブルキナファソの首都ワガドゥグ生まれのバオバブ長女です。兄弟姉妹が確かあと5人。
昨日、夫のプロジェクトの秘書のお姉さんが写真に撮って送ってくれました。


先月、より大きな鉢に植え替えてもらってぐんぐん育ち、幹は茶色になって、すっかり”木”の様相です。
それでも、これがバオバブの若木だとは、誰も気づかないでしょう。

どちらのバオバブももっと大きくなって、大地に根を下ろして、百年も二百年も生きるバオバブの大木に育つのを、わたしは夢見ています。

ワガドゥグ育ちと、東京育ちだけど、あなたたちは、ブルキナファソの大きなバオバブの木に生った”Pain de singe”、おサルのパン~と現地の人たちからそう呼ばれるひとつの同じ実から生まれたきょうだいなのですよ。

大きく、大きく育ちますように。

2020年8月4日火曜日

身近なところにイエネンガ姫像!

梅雨がやっと開けた東京の空の下から書きます。

ブルキナファソに伝わるイエネンガ姫の物語は、ブルキナファソやガーナの北のほうの出身であればだれもが知っているはずです。
イエネンガは、ブルキナファソの最大部族・モシ族の初代王であるウェドラオゴの実の母親であり、若い頃は弓槍使いの名人で馬にまたがり果敢に父親を助けて祖国のために戦った美しい姫だったのです。

わたしが持っているガーナの出版社から出たイエネンガ姫の絵本の表紙には、イエネンガが愛馬にまたがって雄々しく戦う姿が描かれています。






イエネンガ姫は、女だてらに馬に乗って弓、槍を自由に操り、父親の片腕として、林立する王国と戦って自国の勢力を伸ばしていったと言われています。
細くて美しい姫だったと言われて、今も、ブルキナファソやガーナ北部で尊敬され続けています。

ワガドゥグ市内の中心地に建つイエネンガ像は、ちょっとデッサンが狂っていていただけません。イメージが下がってしまいますので、代わりにわたしがイメージするイエネンガ姫のイラストを見つけましたのでこれを。





イエネンガは、ちょうど日本の戦国時代と同じ時期に生きた女性だったと思われます。15世紀のころだったのでしょうか。ブルキナファソの学校の歴史の教科書にも載っています。
フランスのジャンヌ・ダルクも15世紀の戦う女性でした。
わたしは、まさにイエネンガはジャンヌ・ダルクのようなイメージでとらえているのかもしれません。

ブルキナファソのナショナルサッカーチームの名前は、”Les Etalons”(エタロン)。
これは、もともと、フランス語で「種牡馬」という意味ですが、勇敢なイエネンガの愛馬から命名されたものだと聞きます。

また、1969年からブルキナファソの首都のワガドゥグで2年に一度、開催される映画祭、”FESPACO”でグランプリを獲得した監督に与えられるトロフィーは、馬にまたがって雄々しく戦う、ゴールドのイエネンガ姫像なのだそうです。




これがフェスパコ映画祭グランプリ賞のゴールドトロフィーです。雄々しいイエネンガ像ですね。

こんな愛馬にまたがるイエネンガ姫の像が欲しくて、日本の我が家にも違和感なく収まる小振りのものを探し回りました。




ワガドゥグのグランマルシェの一角に真鍮の像ばかりを売る店が立ち並ぶコーナーがあると聞き、我が家の運転手についてきてもらって2019年9月に購入して、ずっとワガドゥグの我が家のリビングに飾っていました。

そのアパートも今年5月末で引き上げることになり、夫のプロジェクトの現地スタッフがわたしたちが残してきた荷物をまとめて事務所へ運び入れてくれたので、きっとその荷物の中にこのイエネンガ像はあるはずです。
いつか日本の我が家に持って帰りたい大切な思い出のイエネンガ像です。

わたしが愛してやまないイエネンガ姫。
ワガドゥグから戻ってきて、わたしたちの住む赤羽の住宅地の公園の中にイエネンガ姫が愛馬にまたがる像とそっくりのものを見つけたのです。それは大きな青銅の像でした。
後日、夫を連れて観に行き、二人で感動したのでした。



この像が建立された来歴も作者名も公園内に記されていません。
なぜ、赤羽の公園に愛馬にまたがる女性像が建っているのでしょう。
なぜ女性だと決めつけるのか、って? 
この像、裸体で馬にまたがり、胸が膨らんでいるのです。

わたしはこの公園のそばを通るたびにイエネンガ姫像を見上げて、コロナ禍がおさまって、いつかワガドゥグに帰れますように、と祈るのでした。

2020年7月16日木曜日

東京で買ったブルキナファソからの丸型かご

東京からです。 
まだまだ、ブルキナファソへは戻れません。
東京でも再びコロナ患者が増えていて心も暗くなります。

そんな梅雨の東京でブルキナファソからのかごやアフリカンプリントの服(縫製は日本)を扱う"biga"というブランドの展示会が開催されることを知り、銀座までこっそり行ってきました。
目的は、ブルキナファソの空気を吸いたかったこと。そして、できたら、ブルキナファソの丸型のかごを見つけたかったのです。

そして、イメージ通りのかごを見つけて買ってきました。



それが、これ!
取っ手は、牛革だか羊皮が巻かれ、かごの下のほうは、インディゴ(藍染め)の裂き布を編み込んでいます。はるばる、ワガドゥグから運ばれてきました。
運ぶときは丸い底を内側に凹ませるのだそうです。そうしないとかさばりますからね。
そして、到着したら再度、凹みを膨らませて霧吹きを掛けながら形成するのだそうです。
こういう藍染の裂き布を編み込んだかごにワガドゥグでは出会えませんでしたので,ひとめぼれしました。

3月末にワガドゥグを出るときは5月末にまた戻る予定だったから、愛用のかごもすべてワガドゥグに置いたままにしてきました。




以前にもアップした写真ですが、もう一度。
久しぶりにみたら懐かしいなあ。
大、中、小のかごは、外出の時の持ち物に合わせて選んで持って出かけました。
外出の時は、こんな船形のものを使いました。

かごを選ぶときは、コンパオレさんという恰幅の良いムッシュの経営するかごと藍染布のパーニュの店に行きました。
町の中央を走るタンソバ道路を横に入ったところにある倉庫のような店には掘り出し物が山積みでした。
上の写真のソファ背もたれに掛けている藍染布も、コンパオレさんのところの倉庫の山積みされたものの中から選んだものです。腰に巻くと巻きスカートとしてぴったりのサイズです。

いつか丸型の良い感じのかごを見つけたいと思っていましたから、やったー!、です。

もちろん、色鮮やかなかわいい感じのかごも見つかります。そのかごには、取っ手に赤い革が巻かれたりしています。

bigaは、日本中で展示会を開催しているようです。
"ブルキナファソ・biga"で探してみてください。
ブルキナファソは、こういった工芸品の宝庫です。
                  

2020年7月5日日曜日

東京のベランダのバオバブ双葉

東京からです。
ようやくゆとりが出てきた6月17日に、我が家のベランダの植木鉢にバオバブの種を3つ蒔きました。
毎日、がんばれがんばれと声をかけ続けていたら、2日前に土から緑のようなものが見えてきて、昨日、ちょっとヨレ~っとした芽が出て、今朝はシャキーっとした双葉に対面できました。





あっぱれ! 
ワガドゥグで初めてバオバブが発芽したことを思い出します。
あたりまえだけど、ワガドゥグのバオバブも、日本で生まれたバオバブも同じでした。

3つ蒔いた種のうち、発芽はまだ1つだけど、やっぱりうれしいな。
がんばれがんばれと声援は続きます。

今日は、東京都知事選の選挙の日です。
我が家には選挙用紙は届きませんでした。
とりあえず住民票を日本に移すかと思い立って役所に行ったのが4月半ばでしたから、3か月経たないと選挙の資格は持てないと聞きます。。      
世界中に広まるコロナ禍の中にあって、適切な判断で東京都のかじ取りをしてくれるリーダーが選ばれますように。

2020年6月30日火曜日

帰国してから3か月が過ぎました

 帰国してから早くも3か月が過ぎました。
アフリカへ入る通常運行の商用便はいまだ欠航の状態です。

ワガドゥグの暮らしがどんどんわたしから遠のいていく。
わたしの心境かな。


わたしが昨年10月にプランターに撒いたバオバブの種たち。
初めて発芽したのが2019年11月16日でした。
プランターの右にちびっこい緑が見えるでしょう。
11月16日はわたしの娘と同じ誕生日だから、「バオバブ長女」と呼ぶことになりました。




その3日後にはしっかり双葉が開き、11月23日には本葉が出ました。



2020年1月13日のバオバブ長女が手前の弥生式土器のようなものに植えられています。
他のバオバブたちも次々に芽を出し育っています。



2020年3月22日、わたしがワガドゥグのアパートを最後に出るときに撮ったバオバブ長女の写真です(上)。こんなに大きくなりました。
ずっとずっと、あと2年は一緒にいられると思って疑わなかったのに、わたしはバオバブの我が子たちを残してワガドゥグをあとにしたのです。


我が子たちは元気に育っているかなあと思っていたら、我が家のアパートを引き払う時に、ベランダに並んだ最後のバオバブたちの姿ですよ、と夫の会社の女性スタッフが撮って送ってくれました。
2020年5月31日。下の写真です。


これは、バオバブ長女ですが、他のバオバブたちも大きく育っていて、写真を観たわたしはもう気分ハッピーでした。


(スタッフ女性の足が愛嬌ですか。)
しかし、バオバブ長女の成長にはびっくりです。他のバオバブより群を抜いて大きくなっているのは、弥生式土器というかブルキナファソ式土器の丸さ、土の温度の保たれ具合、土器が余分の水分を吸う加減とかが関係しているのでしょうか。
ちなみに、この土器には底に穴は開いていません。 
謎です。

このあと、アパートから引き揚げたわたしたちの荷物は(悲しいかな、電化製品や家具はすべて処分)事務所に運ばれ、バオバブたちも(わたしの願いで!)事務所の日当たりの良い通路に移されました。 

バオバブの我が子たちはどうしてるかなあ、とまたまた思っていたら、スタッフ女性が昨日、こんな写真を送ってきてくれました。
2020年6月29日のものです。


もう驚きの成長です。
スタッフ女性が、素焼きの土器はすでにバオバブ長女には小さすぎるから、大きいサイズのものに植え替えますよ、と言ってくれています。

前回のブログと写真も内容も重なってしまいましたが、バオバブの存在がわたしとブルキナファソを繋いでくれているように思えるのです。
そして、わたしがワガドゥグから離れた3か月という長さを、特に、わたしのバオバブ長女の成長具合をみて痛感するのです。
長かったなあ。
はるか遠くなった我が町、ワガドゥグだなあ。

5月末にはまたワガドゥグに戻れると思っていたのに、こんな展開になるとは思ってもいなかったことです。

まだまだコロナウィルスの猛威は世界中で吹き荒れています。
アフリカはこれからどうなるのでしょう。
ワガドゥグの仲間たちといつかきっと再会できると信じます。 
東京からでした。

2020年6月4日木曜日

わたしのバオバブの子どもたち

 2019年4月1日に入居したワガドゥグのアパートを先月末で引き上げました。
会社からの突然の命令でした。
コロナ禍でいまだワガドゥグへの商用便が飛ばない中、ワガドゥグに戻る目途がたたない。ワガドゥグに戻っても、コロナ禍のことを考えると、ホテル滞在のほうが安全でいつでも退避できる。
そういう会社の判断でアパートを引き払うことになりました。

5月初めから4週間の帰国休暇を取る予定が一ヶ月半ほど早まっただけで、ワガドゥグへ5月末に帰国する予定は変えないということから、荷物はそのままにして帰国したのでした。
3月の半ばまでは、ワガドゥグの暮らしは、テロ行為の恐怖のほうに比重がおかれるくらいにコロナウイルス騒動は全くありませんでした。
そして、半ば過ぎから瞬く間にブルキナファソの国にもコロナ禍が広がって行ったのでした。

引っ越しは、夫のプロジェクトの現地職員たちにお願いしました。
荷物はそのままにしてきたから、引っ越しは大変だったと思います。
写真を撮ってパソコンに送ってもらって、必要なもの、不要なもの、売りたいもの、そしてアパートの備品、と分けて行き、必要なものだけトランクと段ボール箱に詰めて夫の事務所に運び入れてもらいました。
わたしたち夫婦がいない中での引っ越しを逐一、報告しながら作業を進めてくれた現地の職員たちに感謝です。
本当は、ワガドゥグにいる友人たち、とてもおいしい料理を作ってくれたコックさんにも荷物の中から必要なものを選んでもらいたかったけど、そんな時間の余裕もないままの引っ越しでした。
オーダーした家具、冷凍庫などの電化製品などの大型荷物は職員たちに譲りました。
アパートのわたしたちが大切にした物たちが詰まった空間が消えてしまって、涙が溢れました。

そんな中で、わたしが事務所の秘書の女性にお願いしたことは、わたしのバオバブの子どもたちを2鉢だけでいいから事務所のベランダに運び入れて、わたしの代わりに世話をしてほしいということでした。
そして、かのじょから送られてきた写真たち。
わずか2か月でこんなに大きく育って!!! 
びっくり感動でした。

2020.5.31.”バオバブ長女”と秘書の女性~アパートのベランダにて

このバオバブの木は、2019年11月16日に初めて発芽したものです。
コックのセイドゥおじさんが買ってきたバオバブの果実の中から、種を取り出し乾燥させてプランターに10個の種を植えたのが9月半ばだったでしょうか。
発芽までに2カ月ほど、首を長くして待ち続けました。
発芽の日がわたしの長女の誕生日と同じ日付だったので、”バオバブ長女”と名付けて、格別な思いで育てました。

初顔合わせの時は、こんなかわいい発芽でした。



2019.11.16.プランターのシトロネールの右横にちょこんと発芽した!

わずか3日でバオバブの双葉がしっかりしてきました。

2019.11.19.しっかりしたバオバブの双葉

それから1週間で本葉が出てきました。

2019.11.23.本葉が出てきたバオバブ長女の様子

ある程度大きくなったところで、コックのセイドゥおじさんの助言で、植木鉢に単独で植え替えました。鉢は、実演販売で買ってきたばかりの弥生時代の土器のような土瓶が我が家に転がっていたので、それに土を入れて祈りを込めて植えました。
百年、二百年生きる神木と言われるバオバブの命の始まりでした。

あと二年半しか、バオバブべべたち(バオバブ赤ちゃんたち。次々に発芽して六つ子になっていました)の傍にいてあげられないけど、ワガドゥグを離れるときに、ブルキナファソの大地に植え替えてあげてお別れしよう、と思いながら、大きくなれ~、大きくなれ~、と言いながら、気温が少し下がった夕暮れ時に水やりをしました。

これらは、わたしが突然の帰国となった2020年3月22日のアパートを出る直前に撮った写真です。

2020.3.22.ワガドゥグ出発着前のバオバブ長女
弥生式土器の水はけ具合がよかったのか、長女は特別にぐんぐん育って行きました。
このときにはもう丈は30㎝くらいになっていたでしょうか。まだ枝分かれはしていませんでした。(写真手前には他のバオバブの子どもたちの植木鉢が並んでいます。)

それが2か月ちょっとでこんなに大きくなっていました。
同じ写真ですけど、もう一度見てください。。


2020.5.31.丈が倍以上に育ったバオバブ長女~ワガドゥグのベランダ

おまけに、引っ越し前の最後のアパートのベランダのバオバブのわたしの子どもたちの写真を載せましょう。

2020.5.31.バオバブ長女以外のバオバブの大切な子どもたち

秘書の女性は、あなたの代わりに事務所のベランダでバオバブたちの世話をして待っていますよ、とこれらの写真たちを添えてメイルが送られてきました。
ありがとうジナボさん。 
もう少ししたら必ずワガドゥグに戻って、最後はブルキナファソのサヘルの大地にわたしのバオバブの子どもたちを戻して帰ります。
百年、二百年、大地に根を張って神の木になる姿を想像します。

2020年5月28日木曜日

ビサップジュースとバオバブジュースとtamarinジュースと~東京から

東京の自宅に戻って2か月が過ぎました。
コロナ禍の落ち着かない東京から書きます。

3月半ば過ぎてから急激にワガドゥグにコロナ禍の不安が広がってきた頃、我が家のコックであるセイドゥおじさんが免疫力アップのためにと作ってくれた飲み物たちです。



向かって左から、バオバブジュース、タマランジュース、そしてビサップジュースです。

白いバオバブジュースはバオバブの実の固い殻をかち割って、中身の繊維の多い白い果実部分を煮だして作ったもの。
これだけでは酸っぱいので、セイドゥおじさんは砂糖を通常よりは(わたしたちのために)少なめに入れてよく作ってくれていました。日本のカルピスと甘酒を混ぜ合わせたような味で、わたしの大好物です。
巷の店では、”pain de singe(おサルのパン)”と言われるバオバブの白い果実部分を乾燥粉末にしたものが入手できそれを水で溶いて簡単にジュースを作れますが、セイドゥおじさんの手間暇かけた、果実から作ってくれるジュースは濃厚なまろやかな口当たりで抜群のおいしさでした。
これがバオバブの乾燥果実です。


おじさんが置いた携帯の大きさから、バオバブの果実の大きさがわかるでしょう。日本人の知人が”まるで不発弾のようだ”と言っていましたっけ。


硬いバオバブの殻をかち割ってから、繊維たっぷりの乾燥した白い果実を水を張った鍋に入れて一晩ふやかします。そしてバオバブの種を取り除いてから、果実のみを煮だします。
これは、セイドゥおじさんが果実を水に浸した後、取り出してきれいに洗ってくれたバオバブの種です。 




いちばん上の写真の真ん中のジュースは、tamarinの果実のジュースです。
この日、セイドゥおじさんは初めて作ってくれました。免疫力アップにとてもいいのだと説明しながら。


これは、セイドゥおじさんが長い鞘に入っているtamarinの果実を取り出して丸くまとめたものです。これを水で煮だして、タマランジュースを作ってくれました。このジュースにも砂糖を多く使っています。


ジュース3種の写真の一番右のものが、ビサップジュースです。
一般にはハイビスカスの花のつぼみを煮だして作ると思われていますが、ハイビスカスによく似た”ビサップ”の花の乾燥つぼみだということです。
町なかの店で、乾燥したビサップの花のつぼみがたくさん入ったビニル袋を見つけることができ簡単に入手できます。
これがビサップの花の乾燥つぼみです。


血のように赤いきれいな色のジュースにもやっぱりたくさんの砂糖を使いますが、ミントを入れたてさっぱり感のあるジュースに、あるいはセイドゥおじさんのようにジンジャーを入れて煮だして、さらに体に良いジュースに仕上げます。
よく作ってくれたなあ。
夫の事務所に勤務する秘書のジナボさんも欠かさずにミント入りジュースを自宅で作ってきて事務所の冷蔵庫にいつも入っていました。

ワガドゥグでもコロナ患者がカウントされ始め、セイドゥおじさんにも手洗いとマスク着用をお願いするようになってコロナ禍の不安が広まってきた頃、セイドゥおじさんが食卓に並べて用意してくれた3つのジュースです。

今も毎週火曜日に我が家のアパートに来て掃除管理を続けるセイドゥおじさん。
かれの優しさが表れる、美味しい料理を懐かしく思い出します。                  

2020年4月2日木曜日

3月24日に帰国しました

3月24日にワガドゥグから単独で帰国しました。

ワガドゥグ出発の日に~ベランダのバオバブ長女とシトロネール 2020.3.22.


3月2週目の終わり頃でしたか、ワガドゥグでフランス帰りの牧師夫婦が新型コロナウィルスを発症したというニュースが流れました。病院に隔離、治療が始まり、まもなく快方に向かったということでその話は終了。ブルキナファソで初めての発症者でした。

そうこうするうちに、EUの人が、どこそこの大使が、この国の大臣が・・・。
皆さん、外国人だったり、政府要人だったりの情報ばかりで、庶民の発症の様子は伝わってきません。
我が家のコックさんに訊くと、隣人がブルキナべの医師なのだけど、コロナウィルスは怖くない、手洗いさえしていればいいのだ。この国は暑いから菌は弱くなる。
落ち着いた様子です。
ブルキナファソ政府の対応は早く、学校は休校になり、スーパーなどの入り口にはアルコールジェル消毒液が置かれ、夜7時から朝5時までは外出禁止という措置が取られました。
それでも、急速に新型コロナウィルスの拡散は深刻化していきました。
夫は、わたしにはむやみやたらに買い物に行かないように、コックさんには手洗いを徹底させ、アルコールジェルで除菌、また、マスクをするようにと指示しました。一日マスクをした後、勤務終了後は漂白剤に浸けて帰るようにしてもらいました。

3週目に入り状況はますます深刻化してきているのが分かりました。
あちこちで発症者が出て、発症者と同席した人は2週間の自宅待機をする人も増えてきました。
JICA職員の家族は至急帰国の途に着き、邦人の間もざわつきました。といっても、家族で来ている日本人たちはほんの数家族ですが。
衛生事情も悪く、土埃が舞い散ってくしゃみ連発当然という乾季真っただ中のこの国で新型コロナウィルスが入り込めば、国中で蔓延すること必須だと思われます。

ブルキナべは、乾季になるとマスクは防寒と土埃で喉を守るためにするものという考えが一般的で、日本とは見かけも違う黒系のマスクを着けている人を見かけますが、徐々に白いマスクが目立つようになり、店にはマスクとアルコール除菌ジェルが消えていきました。
マスクの闇価格は7,8倍にもなりました。
そのうち、国境封鎖で食品、日用品も不足するのではないかという情報も入ってきて、日本大使館では、自宅待機に必要な水と食料の確保をという注意喚起メイルが入ってきました。

夫は工事を中断して帰国するわけにはいかないし、わたしは、まだその時点では夫とワガドゥグに残るつもりでした。
が、3週目の末にブルキナファソ政府が国境を閉鎖するという噂が経ちました。
そして、22日のエアフランスの航空券をどうにか入手したのです。

友人が20日の夜便でワガドゥグを発った数時間後の21日午前0時にブルキナファソの国境が閉鎖されたというメイルを受信。
その時点で、出国の手段は断たれたのでしたが、飛行機は飛んだのです。

空港に指定された時間に行ってから12時間近く遅れて、22日の日付が変わった23日午前1時過ぎに特別便はワガドゥグの空港から飛んだのです。
飛んできた機体には大きく”JOON”と書かれていました。機体の下のほうには小さくAir Franceの文字が見えました。
息子情報によると、もともと格安航空会社で今はエアフランスの傘下に入っているとのこと。
そんなこんなで乗り込んだ機内でもCAはゴム手袋したり気遣いは大変なものでした。
わたしが載ったプレミアムエコ(とは名ばかりの)席はいくつか空席はあったものの、おそらくエコ席は満席だったでしょう。
わたしの隣の方は、オランダの方。水のプロジェクトで長くワガドゥグを行き来しているというおじさんは、4月まで滞在予定だったけど、早く切り上げて帰国を決めたと話していました。おじさんはマスクをしていませんでしたが、乗客のほとんどはマスク着用でした。
(降りるときにビジネスクラスを通ったら、エアフランスのフランス人職員と思われる人たちが制服を着て乗っていました。やっぱり。アクラやブルキナファソに残るエアフランス職員を本国に戻すために飛ばした便だと聞いたのは本当なのだと思いました。)

パリのCDG空港では飲み物とパンの売店しか開いていませんでした。
ひっそり静まり返って、まるで眠った空港でした。
ワガドゥグの空港で11時間待ったこともあり、疲れ果てて、ゲート入り口に職員が現れたときにビジネス席に変更したいと申し出たら、今の時期、ガラガラですので大丈夫ですよ、と約4万円を追加してフラットになるビジネス席で東京に戻ることができたのはラッキーでした。

同じ便に、ベナンから引き揚げてきた10名ほどの青年海外協力隊員も乗っていました。
志半ばで帰国することになってさぞ無念だろうと思いましたが、隊員の方たちは気持ちをすでに入れ替えているようにも見えました。

24日に成田空港に到着した時の検疫官のところでは問診票の「いいえ」のところに全部、丸をつけていたし、さっと難なく通過できました。
ただ、帰国客に空港から自宅までの交通手段を確認され、公共交通機関は使えません、と係官はひとりひとりに念を押していました。

あれから、もう1週間以上が過ぎました。
わたしの帰国に合わせたかのように、東京での発症者が急増しています。
わたしは帰国した次の日から2週間の自宅待機を守っています。
息子から2回の食糧、日用品と本の差し入れがあり、友人たちからも嬉しい差し入れが届きました。

ブルキナファソでは、他のアフリカの国々と同じように新型コロナウィルスの発症者が増えていて、わたしの出国より先にアメリカ政府の特別機がブルキナファソに残るアメリカ人を運んでいったと聞きます。
明日には、カナダの特別機がワガドゥグに来てカナダ人を優先に救出すると聞いています。

ブルキナファソの国に外国人たちがいなくなると、現地の人たちの収入源が断たれるのは目に見えています。
病気になっても治療は受けられない、薬も買えない。
国境が封鎖されたのだから、これから食糧物資も不足するでしょう。

わたしたち外国人には、医療水準にも恵まれて、平和な祖国が帰っておいでと言ってくれます。
でも、アフリカの人たちには、自分たちが暮らすそこが祖国なのです。
医療水準が脆弱でも、テロの脅威が存在し、マラリアや結核などの感染症もある衛生面で問題山積みの環境でも、そこにしかかれらが生きる場所はないのです。
ごめんね、元気でね、新型コロナウィルス騒動が落ち着いたら必ず帰ってくるからね。

ブルキナべの友人、我が家で働いてくれる使用人たちにあたふたとあいさつをして、ワガドゥグの空港を発ったのでした。