2020年1月29日水曜日

埃舞うワガドゥグで 和やかに ”A vos souhaits"

空が霞んで太陽が見えないワガドゥグ 我が家の2階のベランダから 2020.1.28.

昨年11月の初めから全く雨が降らず、赤っぽい土埃の舞うワガドゥグです。
もう3か月ほど雨が降っていません。
朝と夜の2回、家の中の床の拭き掃除をしても毎回バケツの水は泥水になります。
町なかのバイクに乗るブルキナべたちもそろそろマスクを着用する人が目に付くようになりました。

わたしも4,5日前から、水のような鼻水が出て、くしゃみ連発です。
埃アレルギーかな。
くしゃみをすると、そばにいる人は、わたしに「A vos souhaits!」と声を掛けます。
あなたの願いが叶うね、って感じかな。
今あなたの頭の中で願っていることが実現するよー。
なんと温かみのある言葉掛けだろう。

くしゃみが出ることが日常化している人たちの、優しい生活の知恵、かな。
くしゃみが出ることも悪くないかな、と思えてきます。

町じゅうが埃っぽくなると同時に、少しずつ気温も上がってきているように感じます。
とはいえ、午前11時前の今も部屋にひんやり心地よいそよ風が入ってきます。
(多分、埃も一緒に・・・)

小鳥たちも、我が家のベランダをよく訪れます。
今朝は、コビト小鳥、とでも言いたくなるような小さな小さな小鳥がリビングの格子にしばらく留まって、かわいい声でさえずっていました。
見えるかな。

リビング格子に留まってさえずるコビト小鳥 1.29.朝


2020年1月15日水曜日

今朝もブルブル

1月15日、今日も肌寒い朝を迎えているワガドゥグです。

インターネットの天気情報によると、朝6時の時点で気温18℃だそうです。体感的にはもっと低く感じますが。
今朝、台所勝手口のドアからリビングの窓へそよそよと風が吹き抜けていました。網戸は赤土で汚れまくりです。毎夕、勝手口のドアを閉めて、鉄扉の隙間からの虫侵入防止のために厚紙で隙間を埋めてから扉の網戸をぞうきんで拭くのですが、もう水はそれだけで赤土色になります。

勝手口からリビングへ風が吹き抜ける、ということは北からの風。
言いかえると、サハラ砂漠方向からの風と言うことです。
ハルマッタンですね。
昨夜も、マスクをして飴玉をなめながら寝ましたが、咳込んでばかりで寝られなかった。

昨年の11月半ばだったかなあ。
まだ空き地の目立つ、ワガドゥグ郊外サアバに住む在京ブルキナファソ大使を6年務めた御夫妻宅を訪問した時に大使が、今朝は今年一番のハルマッタンが吹きました、と言われたのを聞いて、ああ日本人も”春一番が吹いた”と言う表現をするなあと、共通する歳時記を感じました。

空は明るく晴れているのに、太陽は姿を現さず、空全体が霞んでいます。





上の三枚の写真は、どれも、街路樹として植えられた木たちです。
まだ小さくて、動物たちからの保護のために鉄枠で囲われています。
サヘル地帯のこの町に木を育てようという機運が高まり、こうやって、道路端に鉄柵で囲われた幼木をよく見かけます。
木を一本切ったら、代わりに木を一本植えよう、と言う運動があるのだと聞きました。

この街路樹たちが大きく育って枝葉を伸ばす光景を想像すると心なごみます。
この町じゅうの埃っぽさもずいぶん改善されるのだろうなあ。

そんなことに思いを馳せる乾季の肌寒い朝なのでした。

肌寒いと初めて感じた1月14日の朝

今日、1月14日の朝、薄い掛布団から出たとき、ワガドゥグに来て初めて”ウッ、サブッ!”と感じました。
レストランのテラスで友人たちと昼食を取っているときも、ひんやり冷えてきて、長袖のコットンカーディガンを羽織ったり。こんなことも初めてのことです。

12月に入ってから、現地の人たちは皆、朝からダウンジャケットもどきの厚手のものを羽織ってバイクにまたがり、毛糸の帽子をかぶっている人も見かけます。
確かに今日は肌寒かった!昼間の日陰も冷えました。

先ほど、14日のワガドゥグの気温を調べてみると、最高気温31℃、最低気温17℃。
やっぱり。寒さを感じるはずです。
乾季真っただ中だから、もちろん降水確率0%。風0.5m/s。湿度20%。
湿度がないから室内はひんやり。
雨季のころは、エアコン室外機のホースからは、一日でバケツ一杯になるほどの水がしたたり落ちていたのに、今では、一滴たりとも落ちてきません。

最後にパラパラっと降った小雨は11月初めでした。
以来、2か月半も町はカラカラ状態で埃だらけ。窓からはさわやかな風が入ってきますが、おかげで朝に室内を水拭きしたのに、夕方に水拭きするとバケツの水はもう泥水状態です。
わたしはさっそく喉をやられて、咳がひどくてお腹の筋肉痛です。これで腹筋が鍛えられてすっきりすればいいのでしょうが、そうはいかないでしょう。
とにかく、一日中、間断なく全身で咳をするから、疲労困憊です!

そんな中、友人から、バオバブの実、”Pain de singe”(おサルのパン)の季節が始まりましたよー!、苺が初お目見えしましたよー!、と季節の巡りの知らせる便りが届き始めました。




11月中旬に種から植えた我が家のベランダのバオバブの芽もスクスク、とまではいきませんがゆっくりと育っています。
20個ほどのバオバブの種をプランターにばらまいて、6個から発芽し、植木鉢に植え替えたものもあります。草、というよりもイッパシの”木”と呼んでもいいものまで出てきました。

プランターの中の長い葉っぱは、シトロネール(レモングラス)。家の周りに植えると蚊除けになるし、葉っぱを煎じて飲むと体から毒素が排出される効果があると言われている植物です。

毎日、時間があれば、大きくなれよー、元気でいるんだよーと全員に声をかけています。
こんなことも、毎日の小さな幸せです。

ブルキナファソではテロ攻撃があちこちの地域で起こり、少しずつ治安が悪化しているようです。
現地の庶民の生活は、厚手のジャケットやカーディガンを羽織って、乾季の季節の中で普通に穏やかに過ぎて行っているというのに。
イスラム教徒もキリスト教徒も、土着宗教を信じる人たちも不思議なくらいとても仲が良いと感じます。部族の差別も、仕事の差別も関係ないときっぱり言うブルキナファソの人たちに感動すら覚えます。

どうぞ庶民の生活の日々の平和が続きますように。

2020年1月8日水曜日

幸せな新年のご挨拶




新年明けましておめでとうございます。

わたしたち夫婦は、昨年27日の夜便でワガドゥグを発ち、新年をフランスの娘一家のところで迎えました。真夏からいっきに真冬の世界へ突入してきました。
寒かったー!
最後は古い、織物の街として栄えたリヨンで2泊し、夫のパスポート置き忘れ事件勃発で危うくワガドゥグに戻れない危機に直面するも、リヨンのたくさんの人たちのお陰でパスポートは無事に戻ってきて、1日ちょっと遅れはしましたが、無事に1月5日夜遅くにワガドゥグ空港に戻りました。
それにしても、リヨンの人たちの親切心には感動しまくりでした。
本当に奇跡的な親切を受けました。
それに、最後のパリのホテルでは、念願の湯船に浸かれて至福の時を持てたし。
ありがとうございました。


そして、今日、日本の友人からのメイルで、NHK「年の初めはさだまさし」でわたしの葉書が読まれたことを知り、夫とYouTubeで発見して観ることができました。
さださんに、葉書採用の人だけに送られる生さださん特製絵葉書がワガドゥグの我が家の私書箱に無事に届きました~というお礼の葉書を書いたまでの簡単な内容だったし、投函した絵葉書というのもワニの背中に寝そべるブルキナべ(=ブルキナファソの人)のちょっとグロテスクな写真(しか手元になかった!)だったのですが。
さださんが、「この番組を観ている方はもうどこにブルキナファソの国があるのか分かりますね。」、と声高らかに(そう聴こえた!)言ったとき、夫婦で手を取らんばかりに喜び合いました。
何と幸せな単純夫婦だこと~です。

ブルキナファソからの葉書をさださんが読んでくれたのはニ度目。
一度目の時は、さださんたち3人は、ブルキナファソって初めて聞く国名だな、とか、アフリカ大陸を頭に見立てると後頭部辺りに位置するのかな、などとあやふやな感じでしたが、もうすっかりブルキナファソの位置を覚えてくれたようです。
ブルキナファソの人たちに代わってお礼を言います。
さださん、井上さん、住吉さん、どうもありがとうございました。

~というわけで、新年早々から感謝の気持ちでいっぱいになっています。
良い年になるぞー。
信じられます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2019年12月23日月曜日

ワガドゥグの街角で売られる降誕小屋光景

イスラム教徒の多いブルキナファソの国だけど、12月に入ると道端で粘土で作られたクリスマス降誕小屋の小さな置物を売る光景が目に付くようになりました。




そんな光景をカメラに収めたいと我が家の運転手にお願いしたら、ワガドゥグの聖堂横の道路沿いの一角に連れて行ってくれました。

すごいー!
聖堂横だから、規模が違うー!

いろんなバージョンの小屋が並んでいます。





友人にこの写真を送ったら、ガウディ―建築みたいね、ですって。確かに!

飼い葉桶の中の赤ちゃんのイエス様にマリア様にヨゼフ様、そして3人の博士に羊飼いたちの粘土の人形もずらーっと並んでいました。なんだか、南仏で買ったドロ人形のクリスマスの人形を思い出します。もう15年も前のことです。

ブルキナファソはブロンズの置物制作も盛んだから、ブロンズのクリスマス人形も見つけました。
コンゴのキンシャサでは木彫りのクリスマス人形が素敵でした。(これは、日本に持って帰りました。)
更にさかのぼって、中央アフリカのバンギでは、べニア板と藁屋根の素朴な降誕小屋が町角に積み上げられて売られていましたっけ。(素朴過ぎて、またちょっとかさばるものだったので、子どもたちと記念撮影した後、バンギの知人に残して帰りました。)
懐かしい思い出です。

町角のクリスマス降誕小屋を売っている傍で、プラスティック製のモミの木も売られています。

キンシャサみたいに大型のクリスマスツリーの装飾を見かけないなあとちょっとがっかりしていたら、日用雑貨の大型チェーン店(アフリカだけ?)ORCA近くの交差点に電飾の立体の大きなクリスマスツリーがそびえ立っていました。でも昼間だから、明かりが灯るでもなく、危うく見過ごすところでしたが。
ほら!結構大きな電灯クリスマスツリーです。てっぺんには星が付いています。




夜の外出は控えている(治安上)ので、明るく緑に光る(想像・・)イルミネーションを観られず残念!

我が家にはもう子どもがいないから、ワガドゥグの我が家にはクリスマスの飾りはありません。

2019年12月11日水曜日

イエネンガ姫の椅子

ワガドゥグはすっかり乾季で、雨が一滴たりとも落ちてこず、町中が埃だらけで霞んでいます。
我が家の運転手さんは、ダウンジャケットを羽織って襟巻をして首を隠し、マスクをしてやってくるようになりました。日中に外に出ると日差しは相変わらず強く暑いですが、明け方は冷え込むようになりました。この2,3日で就寝時のエアコンが不要になりました。そして、あちこちで埃にやられて感染症で発熱している人の話を聞きます。


さて、明日の12月11日は、ブルキナファソの独立記念日です。
今年は、この国の古都、テンコドゴTenkodogoで(モレ語で”古い土地”と言う意味だそうです。)式典が開催されるのだそうです。
式典では古式ゆかしい戦闘の出陣式が再現されると聞きます。しかも、今年はTenkodogoで見られるのです。
Tenkodogoは、リアレが狩猟をして独りで住み、イエネンガ姫と結婚してからも暮らし続けた場所です。
ワガドゥグから南東に車で3時間ほどの所にあり、ブルキナファソの治安のことを考えると現時点では訪ねることは難しいようです。
来年の独立記念日の式典は、また違う都市で開催されるそうです。
Tenkodogoを訪れてみたかったなあ。

先月、日本から一人の若者がワガドゥグの我が家にやってきました。
神戸で”moja”というアフリカの骨董品を扱うお店、ギャラリー、カフェを経営するかたで、ワガドゥグより南西に車で6時間ほど離れたところに現地の人と買い付けに行くという話でした。
そして、ワガドゥグに戻ったかれからいただいたお土産にわたしはもう天にも昇る思いでした!
それは、イエネンガ姫様式の椅子だったのです!




長さ45cm、幅16cm、高さ13cm。4本足。
ちょっと低めの椅子ですが、イエネンガ時代の様式の椅子だそうです。
お尻二つの山の部分がちょうど椅子の丸い部分の中央にどっかりはまって落ち着きます。
実際にイエネンガ姫が座った椅子と言うわけではありませんが、イエネンガさんの時代はこんな椅子に座っていたのだなと思うと感動です。

わたしの愛してやまないイエネンガ姫!
イエネンガヒメ~、イエネンガヒメ~、と呪文のように唱えていたら、こんな椅子までわたしのところにやってきました。
ありがとう、mojaさん。

今の現状ではTenkodogoに行くことはできないけど、いつか、いつか、きっと行ける日が来ると信じましょう。


2019年12月10日火曜日

自作自家用車に乗るイカした兄さん



12月7日、土曜日の午後も遅い頃、わたしたちは車でサアーバからワガドゥグ中心部に向けて移動していました。

夫の一声で、右の車線に目を移すと、こんなものが!

ブリキを溶接した手作り感いっぱいの4輪車が颯爽と走っているではありませんか。
車体の後ろには四角い黒のバッグがピタッとくっ付いて、そこからアンテナっぽいスティックが突き出ているのは何?
車のボディフロントに取り付けられたPCマイクみたいなのは何のため?
(実用のためなのか?おあそびなのか?)
車のフロントグラスは曇ってて見えないじゃん?
突っ込みどころはいくつかありますが、シンプル極まりない車です。

小さい頃、ポンコツグルマ、という呼び方をしていたのを思い出します。
まるで、工作で、ブリキ板やら車輪やらハンドルやライトに車軸やら、おっと忘れちゃいけないエンジンやらを買い集めて、自分で頭ひねって工夫して出来上がった愛車ですー!
~と体中で幸せ感オーラを発しながら乗っている誇らしげなお兄さん!


夫が、車の窓を開けて、叫びました。
写真、とってもいいかーい!
イカした兄さんは、片手をハンドルから話して、親指を突き立てました!
OK!
これは、夫が撮った写真です。




颯爽と走り去ったお兄さんの笑顔は、元シャネルズのボーカル、鈴木雅之にそっくりのおひげの似合う人でした。

なぜだか、かれのカバー曲CDの中の ♪涙くん、さよなら♪ がわたしの頭の中で流れてきて、夕暮れ間近のワガドゥグがオシャレな街に変わったようでした。


2019年11月26日火曜日

12か月の中の30日までと31日までのこぶし記憶法

我が家のコックさんがこぶしを使って月の日数を確認しています!

なんとびっくり!
ブルキナファソの人たちと日本の人たちの「月日の覚え方~30日までの月と31日までの月の確認法」が同じだったのです!

事の発端は、フランス語の個人レッスンのときに先生がこぶしを出して、今月は30日までね、っと言ったのを見たことからでした。

えー!ブルキナファソの人もそうやって、30日までか31日までかを確かめるの?
えー!日本の人も、同じことをするの?
お互いにびっくりし合いました。

我が家のコックさん(彼は60歳ちょっと前の年代)に訊くと、やっぱり同じ方法を持っていると言うのです。実演してくれました。上の写真がそうです。
かれは、小学校の時に学校の先生から教えてもらったそうです。もう50年以上前のことですね。決して親からではなかったと強調しました。だから、学校に行っていないブルキナファソの人に尋ねてもこのやり方を知らないだろうとも。
Facebookにこのことを載せたら、タヒチ出身の友人からも同じ方法で確かめるよ、と返信が来ました。お父さんが教えてくれたのだそうです。
スコットランド系フランス人の友人は、それはフランスのやり方だというのです。英語では韻を踏んだ詩で覚えるのだそうです。
日本のかたの情報では、コンゴ民主共和国の通訳の男性もそのこぶし法で確かめていたそうです。

ちなみに日本では、「ニシムク サムライ」と言う唱えて確かめる方法もありました。
”ニ”は、2月。”シ”は4月、”ム”は6月、”ク”は9月。
では、”サムライ”ってのはなんだ?
前述の日本人ムッシュの話で、”サムライ”=”士”・・・だから、十一・・11月。
ということで、31日までない短い月は、2,4,6,9,11月なのだそうです。
頓智の効いた覚え方ですなあ~。
サーっと霧が晴れたようで爽快感に浸りました!

ところで、このこぶしの谷間を使って月の長い短いを表す方法を編み出したのは、どこのどなたさんだろう・・・。
そして、世界中のこぶし法分布図を作ってみたいと思うのでした。
情報を求む!!!



2019年11月17日日曜日

すっかり乾季になりました

ここワガドゥグでは、10月下旬からやたらに外でバッタに出くわしましたが、それも一段落です。

思えば、中央アフリカ共和国のバンギでも乾季に入ったとたんに緑色のバッタが大量発生して、現地語でこのバッタを”キンダゴゾウ”と言って、バンギの人たちは夜になると街灯に集まるキンダゴゾウさん(わたしたちは親しみを込めてこう呼んでいました。昔の日本人にいそうな名前ですね)を七輪で焼いて、夜桜見物ならぬ、夜バッタ見物で宴会が繰り広げられていました。タンパク質が焦げる香ばしい匂いが、楽し気な話声とともに我が家のリビングまで入り込んできていました。

ワガドゥグのバッタは、モレ語では”soure”(ソーレ)というのだそうです。
バンギのゴゾウさんより少し小ぶりで茶色だし、ここの人たちは決して食用にはしないと言います。
やはり、ソーレが出てくると乾季が終わった”合図”だと聞きました。

今年の雨季の終わりはちょっと長引いたようですが、ワガドゥグももうすっかり乾季です!

わたしたちがガーナに発つ前は、ここのアパートの踊り場やベランダにもソーレがぴょんぴょん飛び跳ねていて、バッタに無頓着な夫はバッタを踏みつけても平気のヘーサ!
靴の裏にバッタの体液がつくから踏まないでー!、とわたしは注意しまくりましたが効き目なしでした。
ガーナから帰ってくると、我が家のリビングまで忍び込んだバッタが数匹転がっていました。なんだか、他の昆虫まで(わたしの大っ嫌いな・・)までいそうで、わたしは帰宅と同時に疲れも忘れて家具を動かして掃除しまくったのでした。

ワガドゥグのゴルフ場の7ホール目だかの左側に、雨季の間は緑色に広がっていた雑穀畑もいつの間にか枯れて収穫の時期を終えて、また殺風景な姿になっています。

ゴルフ場そばの雑穀畑の収穫物~ソルゴとミル

収穫を終えた雑穀畑でプレイする夫2019.11.9.

乾季になって、心なしか、アパート2階の我が家の床の赤土砂ぼこりが気になるようになりました。
外の空気も砂塵が舞って、バイクを運転する人の中にもマスクを着用する人をちらほら見かけるようになりました。
町なかには、雨季の間に実った野菜や果実が出回っています。

手前からカボチャ、ヤム芋、縞々スイカ 2019.11.8.


2019年11月15日金曜日

ガーナ、アクラへの旅

もう半月前の話になりますが、10月31日から11月3日まで、夫の休みに合わせて駆け足アクラ夫婦の旅に出ました。

あいにく、行きの木曜日も帰りの日曜日もワガドゥグ~アクラ間の直行便はなく、コートジボワールエアのアビジャン(コートジボワール)経由の便を使ったのでちょっと遠回りになりました。
往路は・・・
10月31日16:00ワガドゥグ発
10月31日17:35アビジャン着
10月31日19:05アビジャン発
10月31日20:10アクラ着
直行便だと、ワガドゥグ~アクラを約1時間半で飛ぶところを、乗り換えも含めて4時間ちょっとかかったのです。

復路は・・・
11月3日09:20アクラ発
11月3日10:25アビジャン着
11月3日12:25アビジャン発
11月3日14:00ワガドゥグ着

アクラの空港もアビジャンの空港も新しく、機体もきれいで快適でした。
わたしが初めてアフリカに足を踏み入れた30年近く前とは雲泥の差。
外国資本が入っているのでしょうが、もうアフリカは世界と足並みをそろえて生きているのだと感じました。

このような旅程を組んだので、ガーナ滞在は正味二日間しかありません。アクラ限定観光とし、ウィークディである初日金曜日に、とにかく行きたいところを集約させました。

幸いホテル前で出会った運転手さんが良い人で、まずまずの料金で(夫任せなのでイマイチ料金不明)半日貸し切りにして出発しました。
まずは、野口英世さんの研究室を訪ねることに。
わたしたちは野口英世さんの伝記に感動しまくった世代ですから。また、土日祝日は閉館になると聞いていたので、この金曜日しかない!まずはアクラに着いたら、なにはなくともイの一番に英世さんとこに行くぞー!、の思いが強かったのでした。

研究棟の近くの別の建物内で英世さん記念展示室と庭園入場券を買いましたが、なんと約100円。申し訳ないような金額でした。維持管理代も必要だろうに・・。
わたしたちは、英世さんの功績がずっと伝わりますようにと献金箱に寄付して記帳しました。管理人のおじさんが丁寧に説明してくれて、きれいに管理してくれていることに感謝しました。訪問者はそんなにいないのだろうになあ。
はるばる来た(~ってワガドゥグからだけど!)英世さんの研究室でした。


英世さんたちの記念研究室がある棟(真ん中は英世さんの記念室の管理人)
英世さんたちの記念研究室と隣の展示室
研究棟横の庭園に立つ英世さん像

庭園内の英世さんの石碑近くに咲いていたツユクサに感動

午後からは、これも絶対に実現したかった訪問を果たしました。
アクラにある、子どもの本の出版社を訪問し、代表であるAkossさんに会って話を聴きたいという思いから、事前に絵本の中のかのじょの出版社のメイルアドレスに連絡を入れて、11月1日14時にホテルロビーで会うという約束をもらっていたのです。
かのじょは、軽トラックをボコンボコンと軽快に飛ばしながら、庶民が暮らす地域にある出版社事務所にわたしたちを案内してくれました。
若い社員2人に事務所入り口で迎えられて、Akossさんの事務室に招かれました。
きれいに整理された彼女の部屋にファックス機と、山積みされた新刊絵本と、隅に並んだ受賞トロフィーに目が行きました。
元中学校教員だったかのじょが、アフリカの子どもたちを描いたアフリカの子どもたちの本を出版してアフリカの子どもたちに届けたいという思いから、20年前に出版社を立ち上げたのだそうです。



”Sub-Saharan Publishers”です。
すでに出版書籍は300冊になるとAkossさんから聞きました。

2人の子どもの母親としても、またガーナで子どもたちのための本を作り続ける出版社の経営者としても、さらに文筆家としても生きてきたAkossさんに大きな優しいパワーを感じました。
かのじょの企画する本たちは、画家も作家もアフリカの人たち。Akossさんが編集企画し、かのじょ自身の著書も見つけました。印刷は安価に仕上がるハンガリーに発注するのだそうです。きれいな色刷りの(絵本はほとんどがハードカバー)絵本が並んで圧巻でした。
アクラには港があるからね、と。船便が簡単に使えるのです。
だからなのか~かのじょの愛車が軽トラックである理由が分かりました。

カタログも綺麗な色刷りのもので、価格表示は米英の通貨です。
この国の公用語は英語です。でも、近隣の仏語圏の物語を描いた絵本は仏語訳でも出版されていたし、ハウサ族の伝説物語の絵本はハウサ語でも出版されていました。
そして、カタログの最後は、注文ファックス用紙になっていました。
世界からの注文を受け付けているのでしょう。

受賞トロフィーの中には、日本の講談社の野間文芸賞のものもUNESCOの子ども文学賞のものもありました。また、トヨタ財団から寄付を受けたともAkossさんは話してくれました。

冷たく冷やされたコーラをいただきながらかのじょと話していたらあっという間に2時間が経過していました。お仕事の邪魔をしましたねえというと、いいえ~これも私の仕事の一つですから~と。
最後にここでも本を分けてくれるというので、さっと8冊絵本を選んで支払ったのですが、請求書の合計欄には手書きで”150”と書かれていました。夫が米ドル表示ですかと訊いたら、いいえガーナの通貨表示ですよと。
頭が大混乱して、ガーナ滞在初日のことで現地通貨の価値もよく理解できないまま、表示された値段を支払いました。請求書の絵本価格は7冊が各々”20”、1冊は”10”の表示。あとで、ガーナ通貨に20を掛けたら日本円になることを知りました。と言うことは、8冊合計で3000円だったのです。日本の絵本の2冊分です。
これは、ガーナの子どもたちのための価格だったのでしょうか。

かのじょには、この絵本たちはあなたのプレゼントだと思っていただくことにします、と伝えました。

Akossさんの二人のお子さんは海外に留学してアクラに戻り、すでに独立していると聞きました。わたしとそんなに年齢は変わらないはず。
夫があなたのこの出版に対する熱意はどこから来てるの、と尋ねてもニコニコしてアフリカの子どもたちを主人公にしたアフリカの子どもたちのための本を作りたかったの、と繰り返すだけなのでした。

その日は、夫と運転手さんの希望で、ガーナ国民から今も尊敬され続けるエンクルマ大統領の資料館にも行き、彼の国政にかける熱情を感じました。

エンクルマ大統領の像とお墓(後方)分かりやすく説明してくれた係員と

初日だけでこの3人の熱い生きざまに触れた、すばらしいアクラの旅でした。

ホテル滞在の4日間で何が一番良かったかと言うと、毎夜、毎朝、湯船に浸かれた幸せを持てたことです!!!(まるで温泉旅行でした!)
ワガドゥグより断然大都会で、カフェやハンバーガー屋も点在してたけど、裏通りに入ると、どこも同じアフリカの匂い。現地の人たちの御用達市場、グランマルシェも混とんとしまくっていて、カオスで楽しかったです。
でも、日本のようなおしゃれなショッピングモールがあるアクラがチョッピリうらやましくもありました。