2019年9月21日土曜日

続編~1個のバオバブの実からの贈り物

前回のブログ、”1個のバオバブの古い実”の続編です。

昨日午後、仕事を終えた我が家のコックさんが、鍋に”お猿のパン”(バオバブの実)の中身だけを取り出して鍋に入れているからそのままにしておくように、と言い残して帰っていきました。

そして、今日の午前中。
かれは、一晩水に漬けて柔らかくなったお猿のパンの果実からバオバブの種を取り出したあと、薄茶色に変色して繊維張った中身だけを千切って、水としょうがの粉末(ワガドゥグで売られている)と砂糖1匙を混ぜて火にかけました。そして、沸騰するまで混ぜ、沸騰したら直ぐに火から下ろし、ざるで濾してなめらかなジュースにして、冷蔵庫で冷やし、午後になってごちそうしてくれたのです。




古い果実だからジュースの色は茶色になったけど、新しいのだったら白いジュースになるよ、ということです。
ちょっと乳酸飲料のようで、とってもおいしかった!

ここの人たちは、ショウガジュース、ビサップジュースをよく飲みますが、ショウガジュースでなくても、必ずショウガと砂糖をたっぷり入れてジュースを作ります。バオバブの果実はすでに甘いので、今日は果実1個につき砂糖1匙だけを入れたと、コックさんは言いまいた。
ショウガは喉にいいし、体を温める効果があると聞きますが、本当にここの人たちはショウガの摂取量が半端ないです。ショウガの粉末が売られているくらいですから。

余談ですが。我が家の子どもたちも、幼い頃からショウガ湯が大好きで、”しょうがない子の飲むショウガ湯”と我が家で言っていて、年中、ショウガ湯粉末パックを常備していましたっけ。


で。バオバブの種はどうなったかというと。



コックのおじさんは、種をきれいに洗って、干してくれていました。
ざっと数えても、200個はくだらない!とびっくり仰天。
想像したより、2倍の数の種が入っていたのです。
(ところが後でじっくり数えてみると、なんと400個弱も!想像の4倍でした!)
あの、長さ17cmの手のひらサイズのラグビーボールの実が打出の小槌に見えてきました。

種は生き物だから、火にかけたら死んでしまうからね。
はい、知っとります。
でも、お日さまに当てて十分乾燥させるのだよ、とコックさんからの注意事項です。

小豆というより、大ぶりの大豆ですね。というより、モリっとしてるから小ぶりのそら豆に近いかも。色は茶色ですが。
表面はざらざらしてつやつや感ゼロです。
ほら、この通り。




夢にまで見た、バオバブの種子。
こんなにザクザク手に入りましたー!!!

乳酸飲料のような栄養たっぷりのバオバブジュースに、バオバブの種子。
今日は思いもかけず、あの1個のバオバブの実からこんな贈り物をもらったのです。

2019年9月20日金曜日

バオバブの実~Pain de Singe~から種を採る




一見、ほっかほかの石焼き芋のように見えますね。

これは、”Pain de singe ”。
お猿のパン、といわれる、バオバブの実です。
長さ17cmほど。まさに手のひらサイズのラグビーボールです。

昨日、夫の事務所を訪ねると、昨季に採れた古いバオバブの実を持ってきたよ、と秘書の女性が見せてくれました。
わたしが、バオバブ、バオバブ~バオバブの種が欲しい~と言い続けていたからでしょう。きっと、バオバブの種を採るために持ってきてくれたのです!

乾燥しているので、殻はとても硬くて、ハンマーみたいなものでぽんと叩いて割ってくれました。ちょっと古いから、こんな風に果実にひびが入って変色しているけど、新しい果実は白いのよ、と説明してくれました。
皆で味見をしてみましたが、乾燥しきっていて、繊維があって硬いだけでしたが、ほんのり甘みが残っていました。




今は雨季もほとんど終わりかな。
バオバブの黄色の花(・・と書いてはいますが、実際わたしはまだ花を見たことがない・・)も終わりに近づき、木に繁った葉っぱは少しずつ落ちていき、緑色の実が結実し始めている頃だと、我が家のコックさんから聞きました。
12月頃まで待って実が茶色く色づいたものから順に採って、殻を割って白い実を食べるのだそうです。2月頃までがバオバブの果実の旬のようです。次のバオバブの果実の時季が来るのが楽しみです。

その茶色く色づいたバオバブの殻を割って出てきた中身の白い果実を粉末にしたのが、これです。




この黄色い蓋の容器に入っているのが、”Poudre de Pain de Singe”(お猿のパンの粉末)で、下に”健康のために”、ともつけ添えられています。
(上に載っている容器は、モリンガの葉っぱの粉が入ったものです。バオバブの葉っぱの粉末も売られていて、健康食品オンパレードのブルキナファソです。)
粉を匙に少量取ってパフっと口に入れると、甘酸っぱい味が口に広がります。ビタミンたっぷりと言った感じです。
さらに、果実の粉を小麦粉と混ぜて固めた、ちょっと硬い落雁(らくがん)のような、”お猿のパン干菓子”が町の小さなお店あちこちで安く買えるようです。子どもや年寄りのおやつにぴったりです。
この”お猿のパン”は、胃腸をきれいにする働きがあるのだそうです。もちろん、いろいろなビタミン、ミネラル成分も豊富そうです。


さて、冒頭の、昨季の乾燥し切ったバオバブの果実を少しずつ噛んでいたら硬いのが歯に当たりました。
それがバオバブの黒い種です。一個の果実の中に一体何個の種が入っているのでしょう。
何十個とあるように思います。




バオバブの種は、スイカの種より一回りほど大きくて、小豆のように丸っとしています。
これを土に埋めると雨季のころだと、1,2週間で発芽するのだそうです。

ワガドゥグで植木鉢を見つけて、土を入れて、バオバブの木を育ててみようと思います。
1年間でどのくらい大きくなるのでしょう。


2019年9月9日月曜日

続・雨季の月面ゴルフ場に咲く花たち

ワガドゥグのゴルフ場は、わたしたち年代には紛れもなく、”月面ゴルフ場”ですが、ちょっと若い世代の間では、”火星ゴルフ場”なのだそうですよ。
月面着陸の話題で盛り上がり、大阪万博で”月の石”見たさで行列を作った世代と、火星探査機により火星がより身近になった世代の差ですかね。

さて、草木も育たない(セミが鳴いているのを聴いた木に、乾季でも緑の葉を見ることはできましたが)と思っていたゴルフ場にも雨が降り、バンカーは池と化し、いたるところに緑が吹き出しています。そのバンカー池に、自転車で水汲みに来ているおばちゃんたちの姿も見かけます。
それに、5番ホールの空き地(OBスペース)だったところは、なんと数か月でとうもろこし畑に変わっていてとうもろこしの穂がたわわに実っているではありませんか!
となりのトトロで、一晩にしてドングリの芽がぐんぐん伸びて感動するさつきとメイの場面を思い出します。


ここで、わたしが苦心してプレイ中に撮ったゴルフ場の草花の写真を数枚載せましょう。


ワガドゥグのオオイヌノフグリもどき(勝手に、ブルキナフグリと命名)はさらにこんもり、大きくなってあちらこちらに出現しています。













少々見えにくいですが。
ついに見つけました!
キンシャサゴルフ場にもあった、ツユクサです!
日本の紫の花より、ちょこっとだけ小ぶりですが、しっかりツユクサです。










前回でもお見せしました、白い十字架のような草にぽつりと咲く十字架型の花。
そして、ピンクの花。ちょっと、カラスノエンドウのようなマメ科の花に形は似ていますが、葉を見るとマメ科ではありませんね。
と考えると、ホウセンカの花に似てるのでした!葉っぱもそんな感じです。

そして、ワガドゥグの蜂にも出会いましたよ。
真ん中の左端です。
この国でも、良質の蜂蜜が取れます。

それに、白い蝶々と黄色い蝶々もよく飛んでいます。






これまた、見えづらいですが、日本のツバメノムギ、です!
ちょっと細身ですが、小さい頃にお馴染みだった、飛ぶ燕の形をした麦の穂。絶対に、ツバメノムギだ、と嬉しくなりました。
キンシャサのゴルフ場では決してお目にかかれませんでしたから。










こんな可憐な白い花も咲いていました。
これは5弁の花びらがあり、先ほどの十字架白花とは明らかに違いますね。葉も十字架型ではありません。













これは上のピンクの花と同じ花です。でも、ちょっと大ぶりな花でした。こうやってみると、カラスノエンドウと言うより、小型のホタルノフクロウっぽく見えます。
かわいい薄紫色がかったピンクの花です。











これまた、可憐な少し薄紫色がかった白い小さな花でした。
中央に大きめの丸い部分が出っ張っていて、その周りに花弁が10枚ほど付いています。
わたしには初めて見る、洋服に付いているボタンのような花でした。












これは、夏の海辺に向かう時によく見た砂地に咲くハマヒルガオのような花です。
小さな花ですが、ラッパ型で、朝顔のような葉のついた蔓が伸びて地面を這っています。













最後に、こんなスイートピーのような、月見草のような大ぶりの黄色い花も見つけました。
日本の月見草は、朝になるとしぼんでいましたっけ。
この花はどうなのでしょう。

日本では、夏の夕方から明け方にかけて咲く黄色い月見草。
家族で行った夏の近所の散歩を思い出します。










葉っぱがオジギソウのようにギザギザに分かれています。
ノコギリソウ?
黄色い花が目を引きました。















白い金平糖のような花も見つけました。
丸くかわいい花です。
これも、地面に這うように葉を広げていました。
今まで見た来たように、茎を地面にくっ付けて広がる植物が多いように感じます。

水が貴重な環境に生きるかれらなりの順応する姿にちょっと感動します。


それから、こんなまん丸いキノコもあちこちに顔を見せています。
おまけです。






大きいので直径5cmくらいでしょうか。
こんな三つ巴のキノコもにょっきり生えていました。
キンシャサのゴルフ場で雨季のころに見かけたキノコと同じです。
ただ、ここのは、石鎚が見えないから、鳥の卵のようにも見えます。












先週9月1日と、昨日9月8日、毎日雨が降る時期に、月面(あるいは火星)ゴルフ場で撮った写真です。(もちろん、先週も昨日もせっせと白い石をポケットに入れてお持ち帰りしました。)

サヘル地帯に入るワガドゥグでも、毎日、ジメーっとして湿度の高さを感じます。


2019年9月6日金曜日

L’éléphant vert: 一族に伝わる森鳩への恩返しの話





ワガドゥグに到着後、家探しの間に滞在したホテルの中庭に、毎朝、何羽かの鳩が集まってきていました。
日本の鳩より一回り小ぶりで、明るいグレー色をしていました。

その鳩への恩返しを続ける、あるモシ族一族の女性の話を聴き取りましたので、こちら、ワガ通信にも転載します。

日本の恩返しの昔話は、動物から人間への恩返しの話です。善い行いをすると、きっと良いお返しが来るよ、みたいな勧善懲悪っぽい面も感じられます。

ここ、アフリカの人々に伝わる話は、助けてくれた動物たちに、人間たちが孫の孫の孫…の代まで恩返しをし続ける、という真逆のような話の筋になっているところが興味深いところです。
しかも、森の動物たちを食べる習慣を持つアフリカの人々らしい恩返しの方法も興味をそそられます。

その動物たちへの恩返し話の第一弾として、どうぞ読んでみてください。
アフリカの人たちのことをまた一つ知ったように思います。
では・・・。


L’éléphant vert: 一族に伝わる森鳩への恩返しの話: ワガドゥグ暮らし初期に滞在したホテルの庭によく鳩が来ていた。(2019年3月) これもまた、夫の事務所に勤務する、モシ族のジナボさんから聴き取った話です。 この国の人たちは、鶏肉を食べるのと同じように、鳩の肉も好んで食べると聞きますが、ジナボさんの一族の女性たちは...

2019年8月31日土曜日

「ファダ・ングルマの王、死去」の新聞記事に寄せて

イエネンガ姫をこよなく愛する私を知っている、我が家のもの知り運転手が、ファダ・ングルマ(Fada N'Gourma)の王様が亡くなったことを教えてくれました。

2019年8月19日の新聞”L'Observateur”のトップ記事には、大きな見出しとともにファダ・ングルマ(Fada N'Gourma/ブルキナファソ東部の都市)の王様の写真が一面を独占していました。


 Gulmu(Fada N'Gourma)の王様、Kupiendieli,死去

   「太陽が東に沈んだ」





 続く記事には、"たった2週間の間に、もうひとりのモシ族の王の死去に続いてファダ・ングルマの王が亡くなった"、と書き添えられていました。
そのもう一人のモシ族の王とはBoussouma(ブスマ)の王のことです。

わたしはこの記事を辞書片手に読み終えて、フランス語の先生に一語一語確認をし、夫の事務所の秘書の女性を質問攻めにし、それから、わたしは運転手と我が家のコックに根掘り葉掘り聞きまくりました。しつこく、しつこく追いかけ回して。(ごめんなさい、とそして、ありがとう、です。)


まず、確認したことは、イエネンガ姫までさかのぼって、かのじょの息子のウェドラオゴ(初代モシ族の王様)には3人の息子がいたこと、そしてその3人が父親のウェドラオゴから引き継いだ領地のことからでした。

ウェドラオゴの長男、Zoungrana は、Ouagadougou(ワガドゥグ)へ、
ウェドラオゴの次男、Raoua は、Ouahigouya(ワイグヤ:北部マリのほう)へ、
ウェドラオゴの三男、Diaba は、Fada N'Gourma(ファダ・ングルマ:東部ニジェールのほう)へと移動し、今も子孫が続いているということでした。

ウェドラオゴの三男のDiaba Lompo は、後に馬に乗ったままバオバブの木を駆け上り、天に昇って消えていったという伝説の残る王様です。ディアバ(Diaba)が馬とともに駆け上っていったというバオバブの大木は、今もファダ・ングルマに立っていて、その幹には馬の蹄の跡が残っているのだそうです。(星の王子様っぽいファンタジーの世界ですね。)


次に確認したことは、この3つの領地のモシの王様に加えて、現在、ブルキナファソの国には5つの地域にモシ族の王様が存在する、ということです。

① Ouagadougou(ワガドゥグ)の王様
② Tenkodogo(テンコドゴ)の王様
③ Ouahigouya(ワイグヤ=Yatenga)の王様
④ Fada N'Gourma(ファダ・ングルマ)の王様
⑤ Kaya(カヤ=Boussma)の王様

この5人の王様のうち、カヤ(ブスマ)の王様がこの8月初めに亡くなり、2週間後にはファダ・ングルマの王様が亡くなったというのですから、ブルキナべには悲しみの8月(涙の雨季~実際に雨量が一番多い8月です。)となったことでしょう。

私の周りのブルキナべは皆、モシ族の人たちのせいか、この2人の王様の死のことをよく知っていて、かれらがいかに尊敬を集めた偉大な存在であったかを熱心に話してくれました。彼らが言うには、モシ族の人たちだけでなく他部族の人たちも同様に悲しんでいるということです。
私の周りの人たちの話を聞いていると、この国の部族間には壁も闘争心もなくて共存して暮らしているというイメージを持ちます。我が家のコックは、この国には部族間の争いは全くなく、平和だと言い切りました。本当に穏やかな国民性を感じます。

わたしは、この”部族”というカテゴリーのくくり方がイマイチ理解できません。
ファダ・ングルマの人たちのことをGulmantie(Gourmantche:グルマンシェ)と言ってモシ族と区別し、モレ語(モシ族の言葉)ではなくてグルマンシェマ語(langue Gulmantchima)を話すのだと言います。
では、ファダ・ングルマの人たちはモシ族ではないのなら、上の”モシ族の王様5人”には入れられないのではないの?、と訊くと、ウェドラオゴさんまでさかのぼるとかれらもモシ族だ、というのでした。
ウェドラオゴさんは初代モシ国王で、かれの三男のディアバさんはファダ・ングルマの初代王なのだと言うのです。ちなみに、ウェドラオゴさんが初代モシ王国の王様だけど、母のイエネンガ姫や父のリアレさんはモシ族ではないというブルキナべもいます。ちょっと混乱します。
”部族”というくくり、概念が、この地域一帯ではちょっと日本人の私たちと違うのかなあ~。


王冠である帽子を被り、ファソダンファニの民族衣装姿の第31代ファダ・ングルマ王、クピエンディエリ


ともあれ、この死去記事の主人公のファダ・ングルマの王様、クピエンディエリ(Kupiendieli)さんは、1935年にファダ・ングルマで生まれ、ゾーゴ(Zorgho,ブルキナファソ国内)に続いてバマコ(マリ共和国)、フランスで勉強し、その後、国会議員に選出されて国会の議長や副大統領を歴任するなど輝かしい経歴を持ち、67歳で31代目のファダ・ングルマの王様となり、2019年8月16日の夜から17日に日付が変わるころ、84歳で亡くなったのだそうです。

”偉大なる賢人(クピエンディエリ王)の死の報を受けて、ブルキナ政府から賢人へのお悔やみの声が満場一致でいたるところから沸き起こった。伝統的なものを守護してきた、信念の人の思い出に別れを告げるためのメッセージであった。”

2019年8月。ブルキナファソのモシの2人の王様~ブスマ(Boussma/Kaya)王とファダ・ングルマ(Fada N'Grourma)王~の死去は、ブルキナファソの人々、ブルキナべにとって、大きな悲しみのニュースだったのでしょう。

今も連綿と続くMogo Naba(モレ語で、モシ族の王)の国、ブルキナファソ。

わたしには、かれらの中に、遠く、ウェドラオゴさんが、そしてイエネンガ姫が見えるように思うのでした。(イエネンガ姫かぶれより)

2019年8月26日月曜日

雨季のゴルフ場の野の花たち




雨季に入ってゴルフ場にも緑があちこちにぽっこり顔を出して、わたしたちに和みをもたらしてくれます。
こんな水色の小さな草花も見かけます。
まるで、日本のオオイヌノフグリのような花です。
ブルキナフグリ、ですね。
ちょっと小ぶりですが、こんなサヘル地帯に咲いてくれて、いとおしいです。








十字架型の葉っぱに十字架型の小さな白い花を持つ草花も見かけました。日本人だったら、この草花にどんな名前をつけるのでしょう。ホトケノザとかネジバナ、キツネノボタンやカラスノエンドウ、・・・脱帽ものの命名力ですよね。日本の草花は幸せものです。

2019年8月25日日曜日

ブルキナファソからの民藝~かごと藍染布




到着して早々のワガドゥグで、コンパオレさんというブルキナべの、大男だけど目の優しいムッシュを紹介されました。かごと藍染布を制作するアトリエを持つコンパオレさんは、いつもここの伝統服に身を包み、でかっ腹を前に突き出してにこやかに笑っています。妹さんもお兄さんに似てにこやかな大柄な女性です。

何度かかれのアトリエを訪ねましたが、あれこれ物色するのはストレス解消にもなります。

かれは、日本やアメリカなどにかれのアトリエで作られる商品を輸出しているのだそうです。だから、日本人の好みや商品に求めるものを熟知しているように感じます。
横浜で開催される第7回アフリカ開発会議TICADに合わせて、かれも来日して彼のアトリエでの制作品を販売すると話していました。

上の写真は、わたしが日常に愛用するかご。そして、リビング椅子背もたれには藍染布を掛けています。
コンパオレさんのアトリエには、赤や緑のカラフルなカゴもあります。取っ手は赤茶色の皮で包まれていて、しっかりした作りです。

先月、かれのアトリエを訪ねた時、奥の部屋に藍染布が山積みになっていました。
こちらは、日本輸出用ね、あっちはアメリカ輸出用ね・・・すごい量でした。





昨年の夏から秋にかけて開催された、岩立フォークテキスタイルミュージアムでの企画展、「アフリカの藍、日本の藍」に展示されていた、世界の藍染布地を思い出します。
この企画展の案内文の始まりは、
「力強く大胆なアフリカ、やさしく端正な日本。おそらく世界中で藍ほど多くの国で使われて、愛された染料はないだろう。・・・」
アイヌの藍の布も素晴らしかった。
それぞれの民族の中で育まれた風合いが”藍”という色に交わって日常生活に入り込んでいるのだなあと感動しました。
まさに日本の民藝運動のエスプリ、”用の美”です。
また、日本とアフリカの藍染の原料となる植物が違うということも知りました。日本の藍はタデ科植物由来。アフリカの藍はマメ科植物由来だとのこと。(「日本の藍 ジャパン・ブルー」紫紅社文庫)

キンシャサで藍染布をついぞ見なかったので、この国に来て藍の布地に出会ったときはとても感動しました。
今回の横浜TICADに合わせて開かれるアフリカ物産展で、アフリカから運ばれたものの中に日本の「民藝」に共通する匂いを感じてもらえたらなと思います。
そんなことを通しても、アフリカと日本の距離が少しでも近くなれるのではないでしょうか。


2019年8月18日日曜日

ワガドゥグの気候の移り変わり

雨季のワガドゥグは、毎日、厚く重い雲で空が覆われ、心もどんより~。
ちょっと折れてしまいそう~かな。

雨季だし太陽も隠れているし、いっちょゴルフ全コース18ホールを回ってみるか、と血迷ったことを考えた(夫にそそのかされた!)のがいけなかった・・・根性で初めて18ホールを回り終えた瞬間、目の前が真っ白になってへたり込んでしまったのでした。
8月4日、日曜日のことでした。
そのあと数日間ベッドに横たわり、頭痛と首肩の凝りと、胸やけで、半死状態でした。
水分補給と常備薬の漢方薬と、ワガドゥグにあるタイ古式マッサージのサロンで1時間みっちり受けた全身ほぐしでどうにか蘇りましたが、アフリカで根性なんぞ出すものではありません。(今も体の中に余韻を感じます・・。)
わたしの実年齢もすっかり忘れておりました。
肝に銘じましょう。

8月に入ってあまり雨が降らないのは例年とは違う天気だ、とワガの人たちはちょっと心配げ。サヘル地帯にかかるワガドゥグでは、7,8,9月としっかり雨量を稼がなきゃならない季節だというのに、私まで、一緒に心配しています。

ここで面白いグラフを見つけました。


年間気温と降雨量・ワガドゥグと東京の比較(旅行の友、Zen techより)


ワガドゥグと東京の天気の比較グラフです。
最高気温、最低気温、それに降雨量がそれぞれに記されています。
できたら、これに、湿度変化も入れてもらえると、もっとおもしろく気候の比較ができたでしょうが。(わがままはいけませんでした。)

このグラフを見ると、わたしたちがワガドゥグにやって来て引っ越し先を探し回り害虫駆除に大わらわだった3月4月が、いちばん暑くてカラカラに乾燥した時期だったことがおわかりでしょう。

ワガ到着すぐに、エライとこに来てしまった・・・緑がない・・・カラカラに乾いている・・・。
土ぼこりでもうもうとした町を見て、暗い気持ちになってしまったというのが当時の本音です。

当初は、車に乗り込むときはマスクをして飴玉を頬張り、喉をガードしていました。ホテルにいるときも、寝るときはマスクをして濡れたタオルを部屋に掛けて、加湿器を部屋に置いていました。
ああ、ここの乾燥気候に合わせて、カリテ(シアバターとも言い、木の実の油分を搾取したもの)というものができたのか・・まさに生活の知恵だ!、とか感心せずにはいられませんでした。こんなに乾燥しているのに、しわくちゃマダムが見当たらないのですから。

乾燥と埃の町ワガドゥグを象徴するかのように、町でバイクにまたがる人たちはヘルメットは被らず、マスクをしていました。”頭隠さず尻隠す”的状態でちょっと異様でした。

3月の3週間、のどの痛みとそれに続く咳込みのひどさに体全身が筋肉痛を起こして苦しみました。埃アレルギーで、ワガドゥグの気候が合わずに帰って行った人もいると聞いて、ますます暗く落ち込みました。

ところが、今では全く平気!
埃っぽさを感じないのは、雨季のせい(湿度が日本並み)でしょうか。それとも、体が環境に順応していったのでしょうか。
でも、朝、拭き掃除をしたというのに、夕方に床を拭くともう雑巾は赤土がべっとり付きます。
雨季だから湿度が高くて、埃は町中漂っていても、湿度で埃は地面に落ちてゆくのかもしれません。

日本気象協会8月18日5:00(日本時間)発表のワガドゥグの天気予報をみると、
最高気温 29℃
最低気温 23℃
平均湿度 80%
風速 1m/s
晴れ一時雨

この先1週間の天気予報は、
最高気温 27~30℃
最低気温 23℃
湿度 77~86%
風速 1~2m/s
おおむね、雨の予報

はるか遠いアフリカの一都市であるブルキナファソの天気予報まで提供する日本気象協会にも頭が下がります。これも、宇宙で周回する気象衛星のおかげかな。

このグラフを見ると、ワガに数年暮らす日本のかたが12月、1月は寝ていて毛布が要るくらいだと言っているのが理解できます。

ワガの空に真っ赤な夕陽が沈んでいく



イスラム寺院の塔の向こうに沈む夕日 2019.8.16.18:27頃


雨季のワガドゥグです。
今月に入ってあまり雨が降らないせいか、きれいな夕陽が観られないー、と寂しがっていたら、2日前の午後にちょこっと雨が来て雨雲が取り払われて、こんなにきれいな夕陽を拝むことができました。
夕方、ふっと気づくと西の空がオレンジ色に染まっているのに気づき、携帯電話を持って慌ててアパートの階段を駆け上って3階テラスから撮った写真です。

ワガドッグらしいのは、夕陽に映えて幾本かのイスラム寺院の高い塔のシルエットが映っていること。(スカイツリーではありませんぞー。)



すっかり太陽が沈みきったのは、18:28過ぎでした。

夏至が過ぎてそろそろ2か月になりますが、少しずつ日没時間が早くなっています。
調べると8月18日の日の出は05:52:11で、日の入りは18:27:43となっていました。
(そういえば、お恥ずかしながらワガドゥグの日の出を見たことがないことに気づいた。)
では、夏至の頃(6月21日)はというと、日の出05:39:28、日の入り18:36:16ということです。

少しずつ、昼間の時間が短くなっています。ワガドゥグは東京ほど極端ではありませんが、それでも、日が短くなるのはやっぱり寂しいです。

3月、4月の季節は乾季だから夕陽をばっちり拝めるか、というとそうではなくて、サハラ砂漠からの土埃で空全体が霞んで、西の空に太陽が傾きかけるともう薄い埃のベールに自然消滅していました。

だから、雨季の時だけのお楽しみと思って、きれいな夕陽を拝みたいです。
夕陽って何度観ても心洗われます。
感謝!

2019年8月13日火曜日

L’éléphant vert: アフリカの歴史を読む

ワガドゥグで2冊のアフリカの歴史の本に出会いました。

一冊は、我が家の博学運転手がワガドゥグの図書館で借りてきてくれた西アフリカの歴史の教科書。もう一冊は、ワガドゥグの日本大使館図書室で見つけたアフリカ史の本です。

絵本屋ブログに書いたものを、記録としてブルキナブログに転載したいと思います。



L’éléphant vert: アフリカの歴史を読む:  このワガドゥグに暮らし始めて、ブルキナファソのモシ王国の歴史を知り、マリ王国の建国物語を知り、西アフリカには王国が林立していたことを知ると、俄然、アフリカ全体の歴史を知りたく...