2021年10月18日月曜日

第27回FESPACOワガドゥグ全アフリカ映画祭~ブルキナべたちのお祭りの楽しみかた

 


今日は、FESPACO~ワガドゥグ・アフリカ映画祭~2日目でした。
外国人のわたしたちが普通に過ごした週末は、町なかで特に大騒ぎをしている光景に出会いませんでしたが、夫の事務所の秘書の女性から、そして、ブルキナファソに長く暮らす日本人の女性から聞く一般庶民のFESPACO開催期間の楽しみかたというものがわたしの小さい頃の思い出と重なって、真相が薄らぼんやりと見えてきたように思います。

もちろん上映映画のスケジュール(上映場所、日時)は前もって新聞などで公表されると聞くし、長編映画、短編映画、アニメ映画、ドキュメンタリー映画によって入場料は異なり、当日売り出されるという入場券は1000フラン、1500フラン(日本円に換算すると約200円、300円だけど、ここではもっと高価に感じます)と聞きます。私が買った入場券は1000フランでした。どれも一般庶民にとっては購入するには少し躊躇する金額だと思われます。というのも、庶民が朝食のために町カフェでパンとコーヒーを注文して200フラン、昼食を町なかの大衆食堂で食べると水も含めて500フランでおなかいっぱい食べられるという話ですから。




せいぜい映画を鑑賞するにしても吟味して選んだ一作品、あるいはそれさえもできない庶民のほうが多いように思えます。周囲に人に訊いてみると、FESPACO開催中は庶民たちは一回は映画館に足を運ぶくらいかなということです。でも、FESPACOが終わると、映画館に行くことはないかなあと言っていました。しばらくすると、テレビで観られるからね、とも話していました。
それでも、アフリカ映画祭がワガドゥグの町で誕生して50年を超える歴史を持つ祭典だということを考えたら、そして、市内にいくつもの立派な映画館を抱えていることを考えたら、ブルキナファソ人の映画に対する思いも特別なものがあるのかもしれません。

事務所の秘書の女性は、小さいころ、映画祭開催期間中は学校が昼で終わり(普段は朝7時半から17時くらいまで授業があったのだそうです)、家族で、あるいは友人たちと映画祭会場に行くのを楽しみしていたと言うのです。
子ども向けの映画は15時から、16時からと早い時間帯に上映されていたのだそうです。
もちろん、映画を観るという楽しみもあったけれど、家族や友人たちと、映画館周辺に立ついろんな露店を見て回って、食べたり、買い物をしたり、ただ歩き回って遊ぶだけでも楽しかった、と話していました。
今も、映画祭期間中は学校が半ドンだと聞きました。

そんな話を聞いて、わたしの小さい頃のことと重なって、とても懐かしくなったのでした。 
わたしの故郷、北九州市八幡の町は、毎年11月の初めに「起業祭」というお祭りがあって、学校は(確か)土日を挟んで3日間ほど休みになりました。
小学生の頃は、そのお祭りの意味も分からず、漢字でどう書くのかも考えもしないで、キギョウサイ、きぎょうさい、とつぶやきながら胸が高鳴ったものです。
本来の意味は、八幡製鉄所の溶鉱炉の火が点火された起業の日を祝う祭り、だったのです。
その起業の祝いの一環として、鉄が作られていく大規模工場が一般に公開されて見学に行った記憶があります。そして、体育館での記念式典にも足を踏み入れたこともあります。
それはわたしにとって退屈なものでした。
そんなことよりも、工場や式典から出てきた後に、メイン会場の八幡製鉄所体育館周辺に立ち並ぶ露店を見て回って買い食いする楽しみが、わたしたち子どもにとっての(そして多分、大人たちにとっても)楽しいきぎょうさい、きぎょう祭、だったのだなあとしみじみ思い返します。起業のお祝いなのだから、家族総出でメイン会場周辺に繰り出して祝って楽しんで、というのもアリなのでしょう。小さなピンクのプラスティックのままごと道具、セルロイドのお面、ヨーヨー、綿菓子、たこ焼き。11月に入ったとたんに空がどんより曇ってあられ模様になった玄界灘に面する八幡の町に暮らすわたしたちの大きな楽しみのイベントでした。

ここの人たちも、わたしの起業祭に対するのと同じような視点~アフリカ映画作品が上映されて讃えられる映画の祭典、というより、フェスパコ祭りという視点~で、上映会場周辺に立つ露店を回って祭りを楽しむものなのかもしれません。

アフリカ映画がますます注目されるようになり、ワガドゥグというこの地で繰り広げられるであろう映画商談会のほうも盛況でありますように。

皆さんにはコロナ感染対策面もそれからテロのこともしっかり考えて行動していただけたらと思いますが、ワガドゥグでは無理なのかもな。



2021年10月17日日曜日

第27回FESPACO(ワガドゥ全アフリカ映画祭)、今日から開催





この写真は、ワガドゥグの中央を走るタンソババイパス沿道に立つ、第27回FESPACO(ワガドゥグアフリカ映画祭)の大きなポスター広告塔です。
ブルキナファソ建国の母と今も絶大な人気を持つイエネンガ姫が愛馬にまたがって戦う雄姿を描いたポスターは、アフリカ映画祭~FESPACO~の芸術的な側面を高めているように感じます。

FESPACOの正式名称は、
"le Festival panafricain du  cinema et de la television de Ouagadougou"

本来2021年2月27日から3月6日まで開催予定だった映画祭はコロナのために延期になり、今日、2021年10月16日から23日までの期間、開催されることとなり、市内の複数の映画館で出展作品が上映されるそうです。
短編から長編まで、アニメ作品も含めて1132本のフィルムの中から239の各賞が選出されて、グランプリ獲得の映画には金のイエネンガ姫戦闘の雄姿のトロフィーが授与されます。




他に監督や俳優たちへの賞もあり、銀、銅、そして木製のイエネンガ姫のトロフィーが授与されると聞きました。

1969年に1回目がワガドゥグで誕生し、以来1年おきに開催されるアフリカ映画祭。
どうしてワガドゥグで映画祭が始まったのだろうと、夫のプロジェクトで秘書をする女性に訊ねると、ブルキナファソ一帯の部族たちには長い歴史があり多くの物語が語り継がれていて、50年前のワガドゥグではそれをフィルムにするということが盛んにおこなわれていたというのです。1969年といえば、この国がオートボルタという国名で独立してから9年が経っていました。
FESPACOが始まった当初の受賞者は、監督にも俳優にもブルキナファソの人が多くいたけれど、最近ではセネガル、コートジボアール出身者が多く受賞していると、彼女はちょっと残念な表情を見せました。

この国の有力日刊紙”Sidwaya”にも、先月末辺りから2,3回、FESPACOのPR広告が大きく掲載されていました。



愛馬にまたがって戦うイエネンガ姫の姿が貼り絵モザイクのようなタッチで描かれる今回のポスター。
広告の下のほうには、FESPACO協賛企業の名前が並んでいます。

第27回FESPACOのテーマは、
” Cinema d'Afrique et de la diaspora, nouveaux talents, nouveaux defis"

日本語にしたら、"アフリカの映画、そして民族離散、新しい才能、新しい挑戦の映画”となるのでしょうか。

期間中、アフリカじゅうから映画出展関係者たちが、そして世界中からは映画の上映権獲得のために配給会社やテレビ局関係者たちが集まってくると聞きます。
また、映画は観ずとも、映画館周辺に立つ露店に集まる一般大衆もいるでしょう。

入国者に対して隔離措置を設けていない、そして、コロナワクチン接種が全く進んでいないブルキナファソに大挙して他国からの人々が入国してくることを想像すると、今夏の東京オリンピック開催後のコロナ感染拡大のことが頭をかすめます。
国家挙げての大きな祭りの浮き立つような大衆の喜びとは裏腹に、わたしは国内でのコロナ感染拡大のことが大きく危惧されるのでした。



2021年10月14日木曜日

大騒ぎの顛末~洗濯機に付けた電圧安定器から白煙吹く


 

この写真の洗濯機上に置かれた赤い箱は、電圧安定器です。トルコ製だったかな。
アフリカの国で知りうる限り、家庭内に送電されてくる電圧は220ボルトです。
日本の電圧が100ボルトというのだから、二倍以上の電圧がアフリカの一般家庭にきていることになります。
しかも、220ボルトという電圧が一定していないのです。
200ボルトを切ったり、240ボルト近くになったりするそうです。
高電圧より、低電圧のほうがモーターにはよくないとも聞きます。
そこでアフリカ生活で必要不可欠なのが、この電圧安定器です。
使用電気器具と電圧安定器はセットにして置かれます。

昨日の朝のことです。
朝目覚めて寝室から出ると、焦げ臭いにおいがします。
最初、夫が小腹を空かしてこっそりパンかウインナーかをフライパンで焦がしたのか・・・と疑いました。でも、台所は昨夜と同じ状態です。
次に点検したのが、廊下に設置している電気コントロールパネルでした。でもまったく異常ありません。
どこだろう?この焦げた臭いの発生場所は?
夫も一緒になってあちこち点検しましたが、焦げた臭いの大元はわかりません。
この臭いは、電線の焦げる臭いだと断定。
このまま二人が事務所に出てしまったら、火事になる!、という思いから必死で探しました。寝室を出たところの短い廊下部分がいちばん臭いが強いということが判明してからは、その周辺をしらみつぶしに探しました。

そして突き止めたのが、上の写真の洗濯機とセットに置いている電圧安定器の異常でした。
変圧器自体がすごい熱をもって、白煙を吹いています。
(写真でも白煙が見えます。)
記憶をたどると、この2日間ほど、停電と断水が頻繁に起こっていました。
停電の合間は、電圧が異常にぶれます。
また、断水の間は洗濯機に水が入らず、機械が空回り?するはずです。
当然、電気安定器に負荷がかかります。
この安定器が洗濯機を護ってくれたのです。
キンシャサにいるときは、大型冷蔵庫とセットに置いていた電圧安定器が異様に発熱して白煙を吹いていたことを思い出します。

ああ、よかった。火事を起こしたら大変なことになっていた!
この電圧安定器は、もちろんお払い箱にしました。
(といっても、ごみ箱から、きっと誰かが拾って持っていくのだろうな。気をつけなさいよー。)

2021年10月8日金曜日

赤ちゃんマントがひるがえる町 ~”Porte--bebe” のこと

 2019年3月にワガドゥグの町に来て、いちばんの驚きは、道路にバイクがあふれているということでした。しかも、感心することに、道路の両端にバイク通行の列が数列できて、車の運転手たちもバイクの運転手たちも理路整然と運転しているのです。
そのうちに、ヘルメット着用の運転手を全く見かけないということに驚き、女性たちも赤ちゃんをおんぶしたり、子どもたちを後ろに載せて平然と運転していることにも驚きました。

そして、きれいな色の布マントを翻して走る女性たちの姿が目に留まり始めたのです。




背中の中央部分にアップリケや刺しゅうやフリルなどが付いて膨らんでいます。
女性たちは皆、その布を肩の片方に載せて胸のところで結び付けているようです。
そうなのです。
このマントは、赤ちゃんを保護する”Porte-bebe"と呼ばれるものでした。

写真を撮られることを嫌うアフリカの人たちの目を避けて、車の中から撮り溜めたこの美しい、愛情の象徴のようなマントたちの写真です。






 
自転車の女性だって、マントをひるがえして走行中。
クリーム色のporte-bebeの背中の真ん中にはフリルが付いています。わたしが小さいころ、少年たちに人気のあった遊び、「ちゃんばらごっこ」のさむらい?の恰好をほうふつとさせます。
このマダムのマントは白。
背中の中央には、毛糸のモチーフ編みのような四角い厚手布が付いています。これだと、赤ちゃんの体は衝撃に対してもしっかり保護されるでしょう。


このマダムの羽織るピンクのporte-bebeには背中の広範囲にフリルが付いておしゃれです。

porte-bebeは出産のお祝いにもらうのだそうです。
女の赤ちゃんが生まれたら、ピンク色やワイン色が選ばれ、男の赤ちゃんであれば、淡い青色やミントグリーン色が選ばれると言います。
布地サイズは、長方形でだいたい1.5メートルくらい。
ほとんどのporte-bebeの素材は、化学繊維入りのものだそうです。単純な理由で、綿100%のもののほうが赤ちゃんには良いのだろうけど、値段が張るからだということです。
赤ちゃん用品店で2500フランセーファー。綿100%だと1万フランセーファーもするからなかなか買えないと聞きました。


出産祝いでもらえるporte-bebeを、ワガドゥグの母親はだいたい5,6枚は持っていると聞きました。
中央アフリカ共和国のバンギでもコンゴのキンシャサでも、こういうおしゃれなporte-bebeは決して見かけませんでした。
ただ、アフリカンプリントの2ヤード(1.8メートル)で、赤ん坊の頭だけを出して、それ以外をくるりんと包んだ負ぶい方をするだけでした。
ワガドゥグでも、今でもそういった負ぶい方をする母親を見かけます。
こんな負ぶい方です。



もちろん、今もporte-bebeの下の赤ちゃんは、アフリカンプリントの布地で、頭だけ出して両足は母親の左右脇に固定されてしっかり包まれた状態で、保護マントで被っているそうです。

この赤ちゃん保護用のマントは、日差しが強いうえに乾季の埃舞うブルキナファソでは昔から存在したということです。
⓵赤ん坊を太陽の日差しから守る。
②風から守る(ここの人たちは風はいろいろなものを運んでくるといって忌み嫌います)。
③乾季には町中に埃が舞い(サハラ砂漠からの砂混じりの空気で町じゅうがかすんで見えるほど!)その汚れから守る。
さらには、布の下で、赤ん坊は子宮の中にいるような安らかな気持ちになる、ということも聞きました。
最初は、アフリカンプリントの布地を使ってマントのようにまとって赤ちゃんを保護していた布地だったが、だんだん、進化して母親たちがおしゃれを楽しむようになったと夫のプロジェクトの女性事務員は説明してくれました。
今では、その布地が改良されて、きれいな色の無地布に刺しゅうやアップリケやフリルなど工夫を凝らして楽しむようになり、赤ちゃん誕生祝いの人気のプレゼントとなっているのでしょう。
わたしには、このporte-bebeは、赤ん坊を持つ母親の「幸せの象徴」のように思えるのでした。


2021年9月28日火曜日

ワガドゥグのスナック菓子

  ブルキナファソは、ゴマ生産が盛んな国と言われます。
また、バオバブの実は(葉っぱもですが)食用として(手を変え、品を変えて現れて)ここの人たちの食生活になくてはならないものだし、カリテ(シアバター)の実は食用だけでなく肌の保護クリームとしても有名だし、モリンガの葉、ケンケリバの葉、シトロネール(レモングラス)の葉、ハイビスカスの花びらなどのお茶も豊富です。
喉に良い生姜も蜂蜜もふんだんに使われます。
地元の市場に行くと、豆類などの乾物の店がよく目につき、乾燥食材が豊富だなあと思います。

そんなことに思いを巡らせていたら、現地の子どもたちの普段のスナック菓子としてとてもポピュラーな「バオバブ落雁菓子」が食べたくなりました。
夫の事務所員にバオバブの粉を固めたスナックが食べたいなあ~というと、早速見つけてきてくれました。



この写真がそれです。
生姜入りのものと、ナチュラルなものがそれぞれに詰められた250g入りの袋2つです。
(バオバブの果実は酸っぱいので、どちらも加糖です。)
”La menagere africaine"
”The African housewife”
とロゴマーク入りでフランス語と英語で表示されて、ワガドゥグの住所と電話番号も記載されていました。
賞味期限も2022年3月まで、と書かれています。
社名を見て、ああ~この工場が女性だけで運営されて女性の地位向上を目標にした団体であったらなあ、そうしたら、わたしはお得意さんになるんだけどなあ、と想像力が掻き立てられました。本当のところは知りませんが、パッケージもしっかりして清潔だし、もちろん、味も上品な甘さで次回もここの商品を買いたいと思うくらいです。

このメーカーのもので、表面にゴマびっしりの薄いビスケットナチュラルと普通のゴマの砂糖味ビスケットも美味しかったです。特に、ゴマ薄ビスケットは絶品です。
(下の写真)

どれも一袋1500FCでした。
日本円に換算すると一袋約300円だから、こちらの人にしてはちょっと割高です。
でも、バオバブ落雁菓子は一袋に30本は入っているから1本10円。
わたしの子どものころは、♪10円あったらチロルチョコ~♪というCMがありました(昔は3個つながりで10円でしたっけ。)が、ここの子どもたちも小銭をもらって駄菓子屋にバオバブ粉菓子を買いに走る日常だ、と聞いたことがあるからまさにぴったり重なるような・・。
でもやっぱり、包装もしっかりしている分、高めの売値設定だとは思います。

しっかり知りたくて、事務員さんに訊いてみました。
子どもたちが駄菓子屋でばら売りのバオバブ粉菓子を買うと、だいたい25FC(約5円)だそうです。でも、村の子どもたちはバオバブの大きな種を買ってむしゃぶりついて(!)食べるから、種1個を100FC(約20円)で買うのだそうです。もちろん、自分で種を木からもぎ取るんだったらタダよ!、と笑いました。
このバオバブ粉菓子は昔々から本当にブルキナファソの子どもたちには大人気のスナック菓子であり続けているんだなぁと感じます。

地元のスナック菓子でおやつタイムを楽しめるのもうれしいことです。
現地所員に紹介してもらってよかった!



2021年9月22日水曜日

ワガドゥグ事務所で大きくなっているわたしのバオバブたち

 


こんなに大きくなった鉢植えのバオバブたち。
一番大きなバオバブの木は、2019年11月16日に芽を出したから、もう1年10か月です。私の身長の目の高さくらいになって、幹もわたしの片手では周らないほどしっかり太くなりました。


事務員のジナボさんが、植木鉢を成長に合わせて大きいのに替えていってくれて、毎朝水をやってくれて、おかげさまで4本とも大きくなりました。

葉っぱをよくよく見ると。



ああ、たしかにバオバブの葉っぱは、五つ手様でした。
ワガドゥグ育ちの我がバオバブたちの葉っぱはしっかりと五つ手様に育っています。

あれ?
でもわたしが同じ種から東京で育てたバオバブたちの葉っぱは、普通の葉っぱが一枚ずつ付いていたような・・。
ジナボさんに訊いてみました。
わたしの東京のバオバブの葉っぱと、ワガドゥグ育ちのバオバブの葉っぱと形が違うよ。

そうしたら、かのじょは笑って、ベランダのバオバブのところに行きました。
ほら見てごらん。
小さい木のほうのまだ幼いものの葉っぱは、一枚ずつ付いてるでしょ。
木が成長すると葉っぱは5枚一組になって、バオバブの葉っぱらしくなるのよ。

そうだったんだ。
育つ場所が違うと、姿形も違ってくるのか!、とびっくりしたけど。
一件落着!
東京の我が家に残してきたバオバブの木たち。
大きいほうは、2020年7月17日生まれ。
小さいほうは、種をまいて1年以上たって忘れたころに芽吹いて、まだ生後3か月といったところでしょうか。
わたしが東京に戻った時には、こちらもバオバブらしい葉っぱを茂らせているのかな。




2021年9月20日月曜日

2021年9月20日4時半過ぎ西の空にかかる満月


 2021年9月20日、午前4時半過ぎ、トイレに立った時に外の明るさについ窓辺に寄って見上げてしまった西の空。
まん丸い満月(おそらく!)が高度を下げながら、まだ眠りの中にいるワガドゥグの人々の上を煌々と照らしていました。
住んでいるのはアパートの4階だし、外はほとんど真っ暗闇だし、神々しい美しい満月でした。

そうだったなあ、満月は、太陽が沈むと同時に東の空から上り始めて、そろそろ太陽が東の方角から上るころだなあという明け方に満月は西の空に沈んでいくのだったなあ。
満月の夜行便に乗ると、サハラ砂漠は紫色に照らされて、砂漠の上に目を凝らすと、星の王子様と不時着したパイロットが話し込む可愛いらしい姿が見えるようだったなあ。
色々なことを思い出した明け方でした。

日本人のわたしには、やっぱり満月の中に見えるのは餅つきをするうさぎです。
日本では、中秋の名月として、すすきにお団子や秋の収穫物がお供えされて、お月見を楽しんだのでしょう。

1時間後の5時半過ぎには満月は西の地平線に沈んでいって、少しずつ白み始めたワガドゥグでした。

2021年9月13日月曜日

2021年9月10日にワガドゥグ到着!

 1年半ぶりのワガドゥグから投稿します。


2021年9月10日、ついにブルキナファソの首都、ワガドゥグに帰ってきました!

昨年3月末に、コロナ禍で突然の国境封鎖となり、その翌日に飛んだエアフランス特別便で単身で日本に帰国。以来、わたしは東京の自宅で過ごしていました。
夫も一時期、帰国して東京からのリモートワークでしたが、ほどなくワガドゥグに戻りました。
わたしもいつかきっと、ワガドゥグへ戻る、と念じ続けていましたが、念願かなって9月9日22:55羽田発エアフランス便で出国。パリでの9時間ほどの乗り換えの待ち時間の後、ついにアクラ経由ワガドゥグ行きの便に乗り込んだときは、いよいよワガドゥグに戻るのだというときめきが体じゅうに充満しました。

21時過ぎにほぼ予定通りにワガドゥグ国際空港に到着し、出迎えたくれた空港も1年半前とまったく変わりなく、車で走った夜のワガドゥグ市内も暗闇に中に沈んでよくは見えなかったけど、目を凝らしてみると、まったく変わっていないのでした。わたしがここを留守にした1年半の間、時計がすっかり止まっていたかのように感じられて、不思議な気持ちになったのでした。


備忘録として。
パリの空港カウンターでビジネス席に変更できたので、ワガドゥグ国際空港に着陸して機内から下りるときはビジネス客が優先で下ろされ(ワガドゥグまでのビジネス客はなんと3人ぽっきり!エコノミー席はほぼ満席だったはず)、手続きも荷物受け取りもがらがらの中でいちばんに終了しました。
空港係員はほとんどがマスク着用はしていませんでした。
もちろん、入国時にはビザの確認、コロナワクチン2回接種の証明書とPCR検査陰性証明書はじっくり見られましたが、入国前の再度のPCR検査はないし、入国後の2週間隔離もなく自宅アパートに直行したのでした。


ようこそ!
おかえりなさいー!

はい、ありがとう!
帰ってきたよ、ワガドゥグー!
よろしくねー!



自宅アパート近くにそびえたつワガタワーも健在でした。



2021年2月28日日曜日

ワガドゥグの苺の季節到来

今日も東京から更新します。

ワガドゥグの夫から、苺の画像が送られてきました。
イタリア料理レストランの土曜BIOマルシェで買ってきた苺だぞと自慢げに。
これです。



山盛り1パック。これで約600円だということです。
画像でみる限り、苺に傷みもあまりないようです。

ワガドゥグでは1月から3月まで、路上で苺を売る人を多く見かけます。
山盛りで頭に載せて炎天下を売り歩くうちに、苺はくったりしてきます。
大きなパラソルの下でも、苺たちは金だらいに山盛り積み上げて売られているから、重みと暑さでやっぱりくったりしています。これでは、商品価値は下がります。
どうにか新鮮な苺のまま、お客さんの手に渡る方法はないかなあ、と思います。
ワガドゥグの苺はやや小ぶりだけど、美味しいのですがね。

そうこうするうちに電話で苺を注文して産地直送で届けてもらえることを知りました。
苺を郊外で作る青年が、夕方に畑仕事を終えてからバイクで30分かけて我が家まで運んできてくれていました。昨年の話です。
青年に、苺を重ねて運ぶと苺が傷んでしまうから、苺を重ねないこと、スポンジなどのクッションで苺を保護することを青年に提案したものです。
昨年3月末にわたしが日本に帰国してから、わたしは日本のスーパーに並ぶパッケージに入った苺の写真を青年に送ったりもしたのですが、かれは今どうしているでしょう。

一生懸命にイチゴ栽培をするブルキナファソの人たちの苦労が報われるといいのにな。
かれらの苺をどうにか輸出できたらいいのになあと思ったりします。
ジャムにするか、苺ジュースにして輸出するしか方法はないのでしょうか。
やっぱり、ブルキナファソから日本は遠すぎますね。

2021年2月26日金曜日

土曜日のイタリアレストラン庭のビオマルシェ

 今日も、東京からです。

わたしたちの住むアパートのあった地区は、ワガ2000という新興住宅地で、各国の大使館、大使公邸が集まる場所です。まだちょっと空き地は目立ちますが、レストランもジムも、タイマッサージのサロンまであります。

そこの中心あたりに庭も広い、イタリア料理のレストラン”Rosa Del Venti"があり、毎週金曜の夜でしたか、静かに奏でられる生バンドの演奏を聴きながら、プールサイドでキャンドルと月の光の中で美味しい料理を楽しむこともできました。
そして、毎週土曜日の朝は、その庭に自然の食料品が並ぶ市が立ち、わたしはアパートから5分ほど歩いて自然食品市~Bio marché、ビオマルシェ~に行くのを楽しみにしていました。
無農薬栽培のみずみずしい野菜、ケンケリバ、モリンガやシトロネールなどの茶葉、ハイビスカスの花、ミントの葉などの乾物、そして、バオバブのオイル、石鹸が並びます。
フランス人のムッシュが作るチーズも並んでいて、その横には、ブルキナファソの街を写したかれの立派な写真集の本も置かれています。
客は、それぞれにブルキナファソ名産のパニエpanierを手にして品定めをしておしゃべりを楽しんでいます。

ビオマルシェの紙袋もオシャレです。



一通り見て回ったあとの楽しみは、パイヨットでそよそよと吹く風も心地よく、レストラン手作りのできたてクロワッサン、パン・オ・ショコラ、パン・オ・レザンと共にカフェ・オ・レで一服することでした。
パンはどれもふかふか。そして小ぶりなところもうれしいのです。
惜しいことにカフェのミルクはブルキナファソの人たちが好むミルクパウダーですが、それもまた、美味しいふかふかパンと一緒なら許せるのでした。


わたしがワガ2000のアパートを去ってからちょうど11か月です。
今も、あのビオマルシェは続いているのかな。
目をつぶると、鮮やかにあの時の光景、空気がよみがえってきます。
懐かしいな。
そう思っていたら、先月、ワガ2000の自宅に戻った友人から、写真と共に"ビオマルシェ、ケンザイ”の便りが届きました。





この写真たちは、友人から送られてきたものです。
このマルシェにも絶対また行かなくちゃ。