2022年1月17日月曜日

夫の新型コロナ感染から1週間経過

 夫が先週の土曜日の昼前に発熱してから、1週間が経ちました。


自宅と同じ地区にある病院に行ったのは土曜日の午後でしたが、診療を受けることができたものの、夫の受けた検査はデング熱とマラリアの検査のみ。解熱剤と抗生剤、副腎皮質ホルモン剤(?)、そしてビタミン剤の処方せんをもらって、薬を買って夫は帰ってきました。
デング熱とマラリアの検査で陰性だと判定されたのは夜になってからのことでした。

わたしはこの国の医療事情を憂え、不安になってしまいました。
この国の医師たちの頭にさえも、一般庶民と同じように、"covid-19",新型コロナというウィルス疾患が存在していないのか、と絶望したのです。
そして、翌日、PCR検査を受けられる施設へ行って、新型コロナに罹患したということを確実にするべきだと思いました。もちろん、土曜日の高熱発症後に、自宅で行ったコロナ抗原簡易検査(鼻の粘液採取の型)ではっきり陽性と出ていたのですが。
夫が受けたPCR検査でもやはり新型コロナ陽性でした。(コロナ抗原簡易検査のほうが正確な結果を得られると言われているそうです。)

ブルキナファソの病院の入院施設は衛生面で信用度が低いと考えて、自宅療養にしようと決めました。
幸いにも、同居者はわたしだけで、完全隔離できるトイレ、シャワー付きの部屋がもう一部屋あったのです。

シンガポールに赴任中の息子から、シンガポールでは新型コロナウィルス罹患者は自宅療養で過ごすのが当たり前だという言葉が背中を押しました。そしてすぐに、息子が自宅療養時の家族の過ごし方、というファイルを送ってくれました。
それからすぐ、他国に駐在するわたしたち夫婦の友人の医師にメイルで問い合わせました。
友人の医師の提案ですぐにワッツアップで繋がり、画面を通してアドバイスをもらえたのはものすごい安心感をもらえました。


新型コロナは、治療薬が確定していないと考えて、発熱したら解熱剤をのむこと。同じ解熱剤をのむこと。
水分を十分すぎるくらい取ること。ポカリスウェットのようなものが良い。
肺のレントゲン、CT撮影を行える病院を探すこと。
緊急時に備えて、酸素吸入の設備のある病院は必須。
緊急輸送時にスムーズにいくために、夫の加入する保険会社に直接電話して、逐一状況を知らせておくこと。保険会社のほうで現地の信頼のおける病院を探してくれるはずだとも友人の医師から言われました。

熱は日曜日、月曜日と解熱剤を処方通りにのんでいたら、36℃台に落ち着きました。でも、解熱剤を止めるとすぐに38℃台に上昇しました。さらに火曜日夜に指で測る酸素飽和度が93%になっていました。その数値を友人の医師の伝えるとすぐに病院に行くようにと指示されました。(酸素飽和度の正常値は96%以上。右手人差しに挟んで30秒ほど待ち、一番良い数値を記録する。一般的に94%以下になると酸素投与が必要だとのことです。)
その間、もたもたしていたわたしは病院探しも保険会社に連絡することもしていませんでした。


こちらの日本人の友人に尋ねると、CMI病院が良いのではないかと電話番号を教えてくれ、友人の連絡で病院に行くことができました。夫の運転手も夜にもかかわらず、バイクを飛ばして我が家まで来てくれました。病院では医師がロビーまで出てきてくれてスムーズに診察室に通され、問診を受けました。
夫は疲れ切っていました。医師はてきぱきと処置をし、診察室は明るく衛生的で、機械も新しいものが入っています。カルテも電子カルテのシステムなっていました。病院では体温38℃、酸素飽和度96%。
病室は満床だけどICU室にベッドを入れたから、一晩、点滴を受けるようにと言われ、明朝8時に夫を迎えに来るようにと言われて、わたしだけ帰宅したのがもう夜中になっていました。
それから、友人の医師、こちらの友人に報告し就寝。翌朝、8時に病院に着いたのですが、夫は2本目の点滴に入っていました。
昨夜とは違う医師が夫の容態を説明してくれて、数値的には問題ないが、CT撮影で肺の様子を見ておきましょうということで病院の救急車に乗せられて(CMI病院内にはレントゲン、CT撮影の機械は置いてなく、別の場所に撮影室があった。)、点滴を受けながら移動。わたしも同乗するように言われて車で7,8分の撮影室まで運ばれました。救急車もしっかりして、とても衛生的で安心しました。
夫の入院は24時間続いて、最後の点滴が終わって帰宅したのは、入院翌日の夜になっていました。

その間、わたしは病院の待合室で夫を待っている間に頭痛が激しくなって自宅に戻って少しベッドで休養を取ったのですが、わたしまで発熱して、低体温症のわたしが数年ぶりに38℃を超えていました。ためらわずに病院に電話したら、すぐに来院するようにと言われたのです。病室では体温37.8℃。酸素飽和度97%。わたしもすぐに検査室でデング熱、マラリア、コロナ抗原簡易検査の3種類の検査を受けました。ああこの病院では、コロナと言う病気の存在を認めてくれている!、と大げさでなく、心から安心したのでした。
2,3時間で結果が出て、すべて陰性と言われたときは拍子抜けでした。
発熱したときは、やっぱりわたしも新型コロナウィルスに感染していたのだと覚悟したのですが・・・。

入院2日目の夕方には夫のCTスキャンの結果が出ていてデータを画像とCDでもらえました。医師の説明では。肺に10パーセントのダメージはあるが問題はないという説明でした。2日後にまた二人で診察に来るようにと医師に言われ、点滴を終えた夫と共に夜遅くに帰宅が許されました。

帰宅したときはお互いにくたくたで、そのまま朝まで熟睡。不思議なことに、翌日はわたしは平熱に戻っていたのです。あの発熱はいったい何だったのでしょう。
帰宅途中に車内から見えたクルバ地区の大きな電灯クリスマスツリーのイルミネーションがわたしの心をほぐしてくれました。病院で緊張しまくっていたのでした。




夫は、点滴を受けたことで、体力がかなり戻っていて、寝室にテーブルを持ち込んでパソコンを置いて、早速仕事を始めていました。プロジェクトの工期も終了間近で仕事山積なのはわかりますが、発熱すると解熱剤をのんで寝て、熱が下がるとまたパソコンに向かう、の繰り返しだったように思います。

そんなどたばたした夫の発症から5日間が過ぎ、14日、金曜日に再度CMI病院へ。
診察した医師は毎回違っていましたが、パソコンに保存されたカルテでわたしたちの状態はしっかり把握されていて、それにも安心しました。二人とも、体温、酸素飽和度、血圧を測り、胸の音を確認し、問診のあと、その日も二人でコロナ抗原検査を受けました。
わたしは陰性。夫は、相変わらず陽性でした。
この日の医師の説明がいちばんていねいで、夫のCTスキャンの画像ではダメージは10%未満(!)と思われ、問題は全くなし。胸の音もきれいだ、とのこと。発熱したら解熱剤を服用すること。また、異状を感じたらすぐに病院の緊急コールに連絡して来院のこと、ここは24時間、医師が対応しているという指示をもらって安心しました。
次の来院は18日(火曜日)と言うことで帰宅したのでした。
夫の発症から10日間は病状の急変に気を付けること、わたしの感染も十分に考慮して注意して過ごすことを、友人の日本人医師からもアドバイスを受けました。

CMI病院に変えてよかった点は、
・電子カルテになっているから情報がスムーズに他の医師に伝わる。
・発熱して、即座にマラリア、デング熱、一般検査の血液検査、そして、鼻の粘膜を採取してコロナ抗原検査をしてくれ、一般血液検査以外は2時間ほどですぐに結果が分かる。
・24時間対応で医師が常駐している。
・酸素ボンベがたくさん保管されて、呼吸器設備がある。
・レントゲン撮影、CIスキャンの設備がある。(検査必要と判断されれば、病院の設備の整った救急車で搬送してくれる。)

建物は、普通の大きな立派な家屋といった造りで、病室が2階に5室しかなく、受け入れ入院患者数は7人だと院内の病院案内に書かれていました。(小規模の入院設備だから、病床が満室だというのは理解できますが、実際にコロナ患者が多いという話でした。)
門扉を入ったところからとても清潔で、医師や看護師、検査技師はもちろん、受付会計の人たちもとても親切でした。
夫が入院した24時間で出された食事も美味しかったそうです。

2年前、わたしが参加していたワガドゥグ国際女性の会(CLIF)で、暮らしに必要な市内案内ツアーがあったとき、ここの病院を見学したことを思い出します。説明はよく聞き取れなかったけど、この病院はもともとフランス大使館付属の医療施設だったのが始まりで、今は一般にも開放していると言っていたような・・・です。
だから、フランス人らしい人を多く見かけました。また、アフリカの人でも富裕層でないとこの病院を利用できないのだろうと思いました。わたしたち外国人は海外障害保険に加入していれば安心ですが、ここに庶民の抱える医療事情を感じてしまいました。


アフリカなどで、十分な医療が期待できない国に滞在していて病気にかかったとき、まずは安心して診療を任せられる医療機関を見つけておくことと、信頼置ける友人関係を築いておくこと、できたら、日本人医師と繋がっておくこと、そして、海外医療傷害保険に加入しておくこと。また、体温計、酸素飽和度測定器の準備も必要なだあと痛感しました。
これらのことはとても大切なことだと思います。
実際に、この隔離期間中、必要不可欠な酸素飽和度の測定器を貸していただいたり(わたしたちは持ってきていなかった)、差し入れをいただいたり、多くのことで友人たちに助けられました。
そして、夫の運転手には夜遅くに自宅に来てもらったり、帰宅が夜中になったり、いやな顔一つせずに緊急時にはいつでも電話してくれと言ってくれました。


そして、現地の一般の医療機関にかかる場合は、それぞれの国民性、文化の違いも考えてしっかり自己管理で判断するべきだと感じます。
一般庶民がかかる病院では、発熱したことで受ける検査は、多分、マラリアとデング熱だけだと思われます。実際に、その二つの検査をして二つとも陰性が確認されれば、単なる風邪として処方箋が出されたと聞きました。幸いにも病状が回復して熱が下がれば、もう自由に動き回れるということです。濃厚接触者という概念も持ち合わせていないと思います。
コロナの症状が軽症で済んでも、ウィルスを持ったまま移動すれば、コロナウイルスは拡散していきます。

ここの人たちは町なかで未だにマスクをしている人は皆無です。
(もちろん、夫たちのプロジェクトの事務所内ではマスク着用を義務付けています。)
この国の多くの人々は、コロナはもう終わった、この国にコロナは存在しないと考えているように感じます。
コロナ、コロナとなぜそんなに騒ぐんだ?単なるインフルエンザや風邪と同じではないか、と豪語するブルキナファソの男性もいました。
これから、ブルキナファソは乾季がさらに進んで、サハラ砂漠からの風が吹き荒れて砂漠の粉塵が町じゅうを覆ってきます。
わたしが最初に過ごした3月の1か月間、喉をやられ、ぜんそくのような咳が止まらずに全身が筋肉痛になってしまったことを思い出します。
喉や気管支をやられる気候に移っていきます。


コロナの存在を否定するブルキナファソの人たちは、援助で入ってきたコロナワクチンなのに、ほとんどの庶民が未接種だということです。
アフリカ全体が同じような状況にあるとは断定できません。

でも、わたしは、これからのアフリカのコロナ感染状況を憂えてしまうのでした。

2022年1月11日火曜日

夫が新型コロナに感染しました

  先週土曜日(1月8日)、夫婦二人で早朝ゴルフのハーフを終えた午前9時過ぎ、休憩していると、夫は寒いと言うのです。見ると鳥肌が立っていました。たしかに、ワガドゥグは乾季の真っ最中で朝は16,7℃くらいまで気温が下がり、その日のプレイ中、長袖のアンダーウエアを着ていたわたしでさえもちょっと肌寒く感じるほどでした。

夫は、2日ほど前から喉の違和感と鼻水の症状を訴え、風邪の漢方薬をのんでいました。
ゴルフのハーフを終えたところで夫は体調が良くないというので、途中でさっと買い物をして帰宅。その時点で体温を測ると38℃を超えていました。体が異常にだるいと言います。
そして、夫はコロナ抗原簡易検査キットで鼻の粘液を取って調べると、CとTのところにそれぞれ1本ずつのラインが2本出ました。


その日のうちに、夫は、以前に日本人が入院していたワガ2000の病院に行って医師に症状を伝えました。検査した項目はマラリアとデング熱と、そして一般の炎症を見るための血液検査をしただけで、PCR検査はしなかったということでした。夫は病院からの帰宅途中で、もらった処方箋を持って薬局に行き、5種類の薬のうち4種類を入手できたと言って帰ってきました。

土曜日の夕方のうちに血液検査の結果が出て、マラリア、デング熱は陰性となり、疑いは消されました。

わたしはこちらの病院の(コロナ罹患のことをまったく考えていないという)医師の対応が腑に落ちなくて、知人の医師に連絡してコロナ抗原簡易キットの結果を伝えると、夫は間違いなく新型コロナだと言われ、とにかく解熱剤を飲んで安静にしているようにと指示をもらいました。
その日は39℃近くまで熱が上がったので、処方された解熱剤だけを服用しました。
友人が血中酸素測定器を貸してくれたので、測ると98%。正常値でした。息苦しさはないというので、わたしも別室で就寝しました。
コロナ患者を自宅療養するときの注意事項、というのを息子や知人に検索してもらって知識として頭に入れられたことと、今は他国に赴任する知人の医師と繋がれたことで大きな安心感を得られました。


翌朝、日曜日には、夫の体温は37.6℃まで下がっていました。
夫はすぐにPCR検査のできる施設に行って検査を受けて帰ってきました。
わたしも、コロナ抗原簡易検査キットで鼻の粘液を採取して調べました。
わたしの結果が陰性と判明して安心しました。

知人の医師のアドバイスの中で、換気をよくすることがいちばんに挙げられていたので、今日、月曜日は一日中、部屋の窓を全開にして換気しました。
こんなに涼しい風がそよぐ季節だったのか、と恥ずかしながら初めて気が付きました。


普段は、朝7時半には夫と一緒に事務所に向かい、夕方までエアコン3台の付く事務所で過ごすので、ワガドゥグがこんな心地よい季節になっていたとは気づきませんでした。
携帯電話の情報では、ワガドゥグの今の気温は26℃。
朝は16℃まで冷え込むのだそうです。

ここの人たちは、朝、厚手のコートを着て、帽子をかぶってマスクをして(すべて防寒のため)バイクにまたがって通勤しています。



今朝、ひんやりした風が入ってくる台所の勝手口から撮った写真です。北方向です。
気持ちの良い一日でした。

今、夫のPCR検査の結果がメイルで送られてきました。月曜日の20時、発症して二日半が経っていました。
やはり、夫は新型コロナ陽性でした。

この国の医師たちは、発熱しても新型コロナのコの字も疑わないのでしょうか。こちらの友人で家族が発熱してのどの痛みや咳の症状が出ているのに、マラリアとデング熱の検査だけをして陰性となり、風邪だという診断で薬が処方されたと聞きます。かれらは、新型コロナを疑いもしていませんでした。
新型コロナの存在が全く頭に無いのか、あるいは、新型コロナを単なる一つの”風邪”の範疇に入れているのか、それはわかりません。
もしかしたら、本当に新型コロナは普通の風邪の一つなのかもしれませんし。

今日、夫の事務所の2人のスタッフと運転手も新型コロナの検査を受けて、全員が陰性だったそうです。安心しました。
夫の症状が快復に向かっていると信じます。

ワガドゥグのガレット・デ・ロワ焼き菓子とフェーヴ


 "Galette des rois"~王さまの菓子、と言われる公現祭のときに食べられる焼き菓子です。

ワガドゥグでも絶対に見つけるぞと思っていたので、わたしたちが暮らすワガ2000近辺のケーキ屋さんでガレット・デ・ロワを見つけたときは大喜びでした。
1月6日の公現祭(東方の三博士が誕生したばかりのイエス様を祝福し礼拝するために馬小屋を訪れたことを祝福する日)を祝う焼き菓子です。

フランスでは1月いっぱいはケーキ屋さんで売られていると聞きます。
この焼き菓子の中に入っている陶器製(ふつうは・・)のフェーヴと言われる小さな”オマケ”が入っていて、取り分けられた自分の一片にフェーヴが入っていたら、その日一日中、その人(子)が王さまや王女様になれるというお楽しみもあって、にぎやかに行われる行事だと聞きます。
わたしは、娘がフランスに嫁いだことで知ったお祭りだったように思います。
娘たち一家は、このフェーヴをたくさん集めて楽しんでいます。

わたしも、キンシャサで2軒のケーキ屋さんのガレット・デ・ロワを買って、陶器製のフェーヴを持っています。アフリカ風のフェーヴだったらどんなにかうれしかったでしょう!
でも、違っていて残念。それでも、キンシャサの思い出のものです。

さあ、ワガドゥグでもフェーヴを集めるぞ、と思っていましたが、見つけたのは、一軒のケーキ屋さんだけでした。
喜び勇んで買ったのですが、アーモンドクリームもパイ生地もちょっとパサついて味はいまいち。でも、そのケーキ屋で働く友人が安くしてくれたのでシメシメ~。

さっそく、店内で紅茶を頼んで友人と四分の一を分け合いっこしていただきました。
もし友人のところにフェーヴが入っていたらわたしにちょうだい、と厚かましく言ったのでした。
でも、二人のケーキの中には入ってなくて、しょんぼり。
帰宅して、残りを四分の一ずつにして3パック冷凍庫に入れました。

そして、昨日1月9日に、そのうちの1パックを解凍していただくと・・・。
見つけました!




ちょうど、ナイフを入れた割れ目に入っていました。
やったー!
もしや、ワガドゥグのはフェーヴなしのガレット・デ・ロワかも、という疑惑も浮上していたところだったので、白い小さなものが見えたときは飛び上がらんばかりでした。
が。
なんと薄っぺらい、プラスティック製の王冠だった・・・とさ。

陶器じゃないとつまんなーい!
と駄々をこねましたが、お友だちが値引きしてくれたし、このお菓子についていた紙の王冠を運転手さんに、あなたのお子さんたちにどうぞと渡すと、彼はとっても喜んでくれたし!子どもたちが大喜びするでしょうと、運転手さん自身も有頂天でしたもん。

そんなすべてが、ワガドゥグのガレット・デ・ロワの思い出としてわたしの心にしまい込まれました。
(ガレット・デ・ロワの丸いまんまの写真を撮ることすら忘れた1月6日だったのでした。)

2022年1月6日木曜日

ワガドゥグの朝焼け、夕焼け

今、ワガドゥグで借りている我が家のアパートの部屋は、日本式の4階です。
高い建物の少ないワガドゥグなので、我が家の台所の窓からはきれいな朝日が、そして、リビングの大きな窓からはきれいな夕日が見られます。

まずは、2021年12月2日に撮った夕焼け空です。


肉眼で観る夕日はでっかいのに、カメラでとらえるとなんでこんなに小さいのでしょう。
冬至の前だったから、夕方5時半ちょっと前に撮った写真です。

そして、2022年1月2日の台所からの朝日です。朝、6時20分くらいの撮影でしたが、その直後に朝日が顔を出しました。


もう少し、北寄りにカメラを向けると、朝焼けがとってもきれいで、夫婦で感動しました。




わたしの携帯電話のカメラだから、画像があまり良くなくて残念です。

冬至も過ぎて、これから太陽が顔を出している時間がどんどん長くなります。

でも、これからの季節、ブルキナファソでは、サハラ砂漠から風が吹いてサハラ砂漠の砂埃が運ばれてきて、空はどんよりかすんでいきます。
そうすると、こんなきれいな朝日、夕日を拝むことはしばらくお預けです。

ワガドゥグの人たちに言わせると、サハラ砂漠からの土を運ぶ風~ハルマッタン~はもう始まっているのだそうです。
たかだか1か月で、雄大ではっきりした燃えるような夕日はもう観られなくなりました。
今朝は朝から、空は土埃が舞っているようにかすんでいました。

サハラ砂漠の南、北緯12度20分に位置するワガドゥグの季節も確実に過ぎていきます。

2022年1月5日水曜日

ワガドゥグ中心地に立つクリスマスツリー・イルミネーションの夜景

 


2022年も5日目となりました。
日本では、クリスマスが終わったとたんにクリスマスの飾りは取り外されてお正月飾りに変わってしまいますが、アフリカでは欧米と同じように1月いっぱい、町なかでも家庭内でもクリスマス飾りはそのままのようです。(もちろん、お店や路上でのクリスマス用品の販売は影を潜めますが)イエス様が生まれて1か月間はお祝い気分は続くのでしょう。

上の写真の大きなクリスマスツリーは、毎年クリスマスが近づくとワガドゥグの中心地クルバ地区の大きなロータリーに立つのですが、わたしは一度もイルミネーションが灯った夜景を見たことがありませんでした。
中心地から離れた住宅街のワガ2000地区に住んでいるわたしたちには、夜にクルバの方面に出かけることはまずありませんし、2019年にこちらに来たときは、何度か起こったISテロの事件の影を引きずって、夜8時以降の外出を禁止されていました。

昨年12月に夫の事務所の秘書の女性と買い出しに出かけたときに見かけたこのクリスマスツリーは暑い太陽の下でこんな様子でした。
遠景です。



その電飾クリスマスツリーに近づくと、ツリーの中に鳥を掲げ持つ少女の立像を見つけました。平和の象徴の白鳩でしょう。

傍まで寄って見つけたこの少女像には感動しましたが、遠景での昼間のクリスマスツリーは味気ないものでした。その時に事務所の女性が、夕方ライトアップされるときれいなのだと説明してくれました。夜景の写真を撮って送るわね、と約束してくれたのです。
そして、年末年始の休暇が終わった昨日、冒頭の点灯されたツリーの写真をかのじょが送ってきてくれたのです。
ブルー一色に輝く写真も撮って送ってくれました。



わたし自身の目では、このイルミネーションを観ることはできなかったけど、事務員の女性の温かい配慮に感謝したのでした。
このイルミネーションツリーは1月いっぱいは観られるということです。

明日1月6日は、ベツレヘムを訪れた東方の三賢人たちがイエス様を神の申し子として見い出したとされる広現祭です。
キリスト教の国では、”ガレット・デ・ロワ”というパイ生地の丸いお菓子に陶器製の小さなフェーブをしのばせて切り分けて、そのフェーブが自分の切り分けられた小片に入っていたら、その日1日中、王冠をかぶって王様や女王様になれるという楽しいパーティーが行われます。
娘一家はそのフェーブを集めていて、それがとてもかわいいのです。
わたしも真似をして収集するようになりました。この行事は1月いっぱい続くと聞きますが、ワガドゥグにある2軒だけのケーキ屋さんにも果たして、”ガレット・デ・ロワ”を見つけることができるでしょうか。

2022年1月4日火曜日

お正月気分になる重箱

 


これは、わたしがお嫁に行くときに母が持たせてくれた重箱です。
プラスティック製だから、普段使いで自由に使いなさいと母から言われたことを思い出しながら、普段使いに自由に使って本当に重宝しました。


そして、アフリカでもお客さんの時にこの重箱を使おうと思って、キンシャサ、ワガドゥグと持って回ってずいぶん活躍してもらいました。
お客さんの席で、重箱に炊き込みご飯を入れたり、おむすびにして詰めたり。それだけで、和の食卓になります。また、蓋があるので、テーブル脇に置いて、メインの料理になるとすぐに食卓に載せることができます。
もちろん、お正月のおせち料理は十分に用意できなくても、重箱に詰めるだけで雰囲気を出すことができました。

今年は、大日本土木のかたから、なんと真空パックのおせち料理セット、というのをいただきました。もう、天にも昇る気分になりました。
1月2日、早朝ゴルフのあと、おせち料理を重箱に詰めて三段重ねにして、酢の物と雑煮を準備して、日本酒も用意しました。
2年以上日本に帰っていないという友人を招いて、三人で新年の食卓をいただいたのでした。友人が持ってきてくれたスパークリングワインも美味しかったこと!新年の食卓が華やぎました。

この重箱は、ブルキナファソの日本の友人一家に置いて行こうと思っています。
この重箱さん、まさかブルキナファソで暮らすことになるとは思ってもいなかったことでしょう。わたしの母にしても、あの世でびっくりしているかもしれません。
でも、この重箱一つで日本の食文化を創り出せるのですから、ブルキナファソに長く暮らす友人に置いて帰ります。
40年近くもの間、わたしのそばで活躍してくれて、重箱さん、ありがとうございました。

年が明けて、わたしたちのワガドゥグでの暮らしもあと1か月と少しとなりました。


2022年1月2日日曜日

2022年、おめでとう!

新年あけましておめでとうございます。

ワガドゥグで迎えた新しい年。2022年。
寒い!、の”サ”の字もないから、ピンときません。
ブルキナファソでは、1月1日だけが新年の祭日で、1月3日は何かの祭日だそうです。今年は2日がたまたま日曜日なので、3連休ということになります。
日本のようにお正月の飾りがあるわけでもないし、特別の料理があるわけでもなさそうだし。でも、夫の事務所の女性の話では、新年に一家が集まって食べる料理として、ホロホロ鳥の詰め物料理を作ると話していましたっけ。

乾季で、朝夜はひんやり気温が下がります。とはいえ、最低気温17℃止まりでしょうか。
最高気温は変わらず38℃くらいまで上がるので、日中はすごく暑いのですが、乾季なので汗をかいてもすぅーっと汗が乾いてしまうので、水分補給をしっかりしていないと脱水症になります。
朝は乾いて涼しいから、日本の秋のように、青空にはいわし雲が広がって、”天高く馬肥ゆる秋”~の気分です。



この通り!

朝の涼しい空気の中で、我が家のベランダには最近、鳩があそびにきます。
サンカラ元大統領がブルキナファソの国の布とした、赤白黒の格子柄の中にメッセージを口にくわえた白鳩の布柄を思います。ここの鳩は嘴が鋭く、ちょっと小ぶりで色が薄いような気がします。品格漂う鳩だなあと思うのはわたしだけかなあ。




ワガドゥグのこの時季のバオバブの木は葉を全部落としてしまうから、特徴ある太い幹と裸の木の様子から、すぐにバオバブの木だとわかります。


これはまだ若いバオバブの木だと思われます。
バオバブと言えば、星の王子さまに出てくる、小さな星に根を張る図太い幹の木、というイメージがあります。たしかに観光用写真で見かけるマダガスカルの樹齢何百年というバオバブの木の幹は不思議なほど太いですね。でも、ワガドゥグで見かけるバオバブの木は不釣り合いなほど太い、という印象は受けません。


ちょっと見づらいですが、この写真の手前の裸になった枝のほうがバオバブの木です。名残のようにバオバブの実がぶら下がっています。


そんな、年末年始のワガドゥグの景色を見ながら、まったく大晦日だなんて思えないよねえ、と言っていたら、大日本土木のかたから、紅白歌合戦をリアルタイムで観ましょうとお誘いの声がかかり、宿舎まで夫と行ってきました。特別な衛星放送に加入しているのでNHKの放送がブルキナファソでも観られるということでした。
さださんが今年も出演した紅白歌合戦をゆっくり観ることができました。
今年は、わたしの大好きな一曲、「道化師のソネット」で聴き入ってしまいました。



日本時間で19時半から始まった紅白歌合戦。
ブルキナファソ時間では、なんと朝10時半始まりです。
”ゆく年くる年”を観て、年始の”生さださん”を最後まで観ても夕方17時半。
日本料理が抜群においしいカメルーン出身の女性コックさんが作ってくれた天ぷら年越しそばを皆でおいしくいただきながら、日本ではもう2022年1月1日になったんだなあ、でも、ブルキナファソはまだ2021年だぞ~と頭が少々混乱しながら、来年もまたよろしくお願いします、良い年を迎えましょう、の挨拶が飛び交う中、宿舎を後にして帰宅したのでした。

今年も良い年になりますよ、きっと。

2021年12月27日月曜日

28年前のワガドゥグのサンタクロース

 わたしがワガドゥグ大聖堂横で売られるイエス様の降誕小屋の写真を知人に送ったら、懐かしいなあと言って、こんな話をメイルで送ってくれました。


”緑のサヘル”という団体に所属するSさんが、ワガドゥグで暮らしていた時のこと。
大聖堂の近くに海外配送会社があったので、たまに大聖堂に行っていたのだそうです。
そして、1993年に大聖堂の近くで、サンタクロースに会ったそうです。
証拠写真です、と送ってくれた写真です。Sさんの了解を得てここに転載します。
(1993年12月21日の日付が入っています。)

このサンタさんはブルキナファソの人で、かれ自身、そんなに裕福な感じではなかったとのこと。そのサンタさんが、通りを歩きながら子どもたちにプレゼントを渡していたのだそうです。彼が身に着けているコスチュームも自前のようだった、と。


不思議に思ったSさん。サンタさんに話しかけたのだそうです。
すると、かれは、ワガドゥグ在住の普通の一般庶民だったそうです。
ただ子どもたちを喜ばせたいという思いから、一年間お金を貯めて、クリスマスのころになるとサンタさんになって町を行く子どもたちにプレゼントを配って歩いているのだと話してくれたというのです。
Sさんからのメイルは、こう締めくくられていました。
”これぞ本当のサンタクロースだ、と大いに感激しました。ブルキナファソは本当に素敵な国です。”

夫の事務所の人たちに聞くと、今は外を歩いてプレゼントを配っていると、子どもたちに囲まれてしまうだろうね、と。でも、教会の敷地内でクリスマスの頃、サンタクロースに扮してプレゼントを配っている人は確かにいるということでした。
そして、熱心なクリスチャンの運転手さんは、このサンタクロースも毎年お金を貯めて子どもたちにプレゼントし続けることで、幸せをもらっていたのだろうなあと言いました。
プレゼントをもらった子どもたちは、このサンタクロースのことを大人になった今でも思い出すのでしょうね、とも話していました。

ワガドゥグ大聖堂は、地面の土の色と一体化するような建物で荘厳な雰囲気を辺りに放っているようです。わたしは、学生時代を過ごした長崎の浦上天主堂と重ねて見てしまうのでした。

このちょっと心温まる話は、わたしを幸せにしてくれたのでした。だから、わたしも皆さんにおすそ分けです。

2021年12月25日土曜日

Joyeux Noel ! ~ ワガドゥグから世界の平和を祈って

 


Joyeux Noel !
世界じゅうの皆が幸せな12月24日を過ごせていますように。

以前にも書いたかもしれませんが、ブルキナファソの人たちはそれぞれの持つ宗教にとても寛大だなあと感じます。
イスラム教のお祭りの時は、イスラム教徒の家に集まってお祝いをし、クリスマスの時は、キリスト教徒の家に集まってお祝いをすると聞いたときは、感動しました。世界で神は一人だけ。神に近づこうとする方法が異なるだけであって、皆が祈る神様は一つ、同じなんだよ、と夫の事務所の女性から聞いたとき、涙が出そうになりました。
なんで、こんな簡単なことを世界に一部の人たちは気が付かないのだろう!

わたしはキリスト教徒ではないけれど、かれらが示す、寛大な気持ちで世界平和について祈る日にしようと思います。

2年前に行ったワガドゥグ大聖堂横のイエス降誕小屋を売る露店が立ち並ぶ光景を、わたしはやっぱりもう一度見たくなって、事務所の女性と敬虔なキリスト教徒の運転手に同行してもらってクリスマスの3日前に行ってきました。



石膏で作った降誕小屋や人形たち、そして、イエス様やマリア様の柄のアフリカンプリントの布地やツリーも並んでいて、やっぱり圧巻でした。
お客さんは少なかったです。同行してくれた女性が、コロナ禍で外国人が本国に帰国してしまってこの国の経済が滞ってクリスマス用品を買う余裕がないということと、外国人のお客さんがいなくなったから、というのが理由だというのでした。

わたしは、駐車場から車を降りるときにポケットに2500フランと携帯電話だけをもって露店の中に入っていきました。大きな降誕小屋は買えないけど、小ぶりのマリア様や赤ちゃんイエス様、ヨセフ様の人形を選びたかったのです。
ワガドゥグ大聖堂横の露店でみかけた人形は、何年も前に訪ねた南仏で土をこねて作った素朴なサントン人形のようだったはず、と2年前を思い出して行ったのですが、わたしの想像していたものとはちょっと違っていました。
こちらは、石膏を固めたもので、色を塗った人形はなんとも粗末なものでした。
冒頭の写真のように一部だけを色塗りした人形もあったのだけど、ちょっと大きめだし・・・。
最後に迷いに迷って、顔かたちの良いマリア様、赤ちゃんイエス様、ヨセフ様、羊の4体を選んだら、クリスマスネクタイのムッシュは8000フラン!、と言ってきました。
えー、高い!わたしは2000フランにしてと頼んだのですが、話にならないという顔をされたのでした。わたしは、素直に、ポケットに手を突っ込んで、ごめん、わたし今日2500フランしか持ってきてないのよ。
ムッシュから、アンタはブルキナベみたいだ、と言われて大笑いされたあと、あっさりいいよ、持っていきな、と言ってくれたのでした。傍で見守っていた秘書のお姉さんも運転手も笑っています。現地の人は果たしていくらで買うのでしょう。
事務所のお姉さんはイスラム教徒だから買ったことないからわからない、というし、運転手は、お姉さんが作ってくれるからやっぱり買ったことがないのだそうです。
写真撮っていいかと許可をもらってバシャバシャ撮影して、ついでに、ムッシュと記念撮影に応じてもらって、大満足したのでした。

降誕小屋の露店ムッシュと。


ムッシュが手に持っているビニル袋の中身が私が入手した4体の人形たち。
帰宅して早速部屋に飾り、クリスマスを迎える用意をしたのでした。



ワガドゥグの大切な思い出になるでしょう。

2021年12月20日月曜日

クリスマス間近のワガドゥグの町から

 


今日は12月20日です。
ワガドゥグの人たちは、日常生活の中でキリスト教徒もイスラム教徒も一緒になってクリスマスを楽しみに待っているようです。
今年も建ちました。町の中心部の交差点のロータリーに大きな電気のクリスマスツリーがお目見えです。夜に一度も通りかかったことがないので、どんな美しいイルミネーションなのか想像するだけです。

そして、ワガドゥグの大聖堂そばでは、今年もイエス様の降誕小屋がうず高く積まれて売られています。


降誕小屋の思い出はたくさんあります。中央アフリカのバンギでは素朴な藁小屋で子どもたちも小さかったから町で一つ選んで家に飾ってクリスマスを祝ったし、キンシャサではとても繊細で美しい木工細工のものをシスターたちが営むお御堂の敷地内のカトリック教徒たちの小物を売るブティックで選んで家に飾りました。夫婦二人の暮らしにぴったりのイエス様降誕の木工品で、ささやかにクリスマスを祝いました。
ワガドゥグは土粘土で固めた降誕小屋と人形たちです。がっしりしているのでもう買うことはありません。そうそう、南仏で買った泥人形と雰囲気が似ています。今年は、人形だけでも買いに行きたいな。

ぴったり2年前、2019.12.20.にやはりワガドゥグ大聖堂近くで撮った写真です。人形は、南仏の泥人形と同じ雰囲気です。



そして、町の道路端ではクリスマスツリーも売られていました。
本物のもみの木ではないのがちょっと残念です。



車の中からの撮影で見づらいですが、こんな感じです。

わたしが友人とよくお茶に行くカフェ前には大きなビニル製のサンタクロース人形が置かれて風に揺れています。
さらにもうちょっと先に行くとワガ2000のイスラム大寺院があるのですが、その大寺院の斜め前の道路端にもクリスマスツリーが売られているという不思議な光景が見られました。


写真の右端に高くそびえる塔がイスラム大寺院に立つ3本のうちの左端の一本です。

ワガ2000近くの行きつけのショコラティエ、”Chez chef Andre”の店内も降誕小屋風の飾りつけの中にクリスマスギフト用のラッピングのチョコレートたちが並び、お客さんたちを楽しませてくれます。
キンシャサにいたときのように商業用の目立った飾り付けが町なかに見つけることはありませんが、ワガドゥグの人たちのクリスマスを待ちわびるささやかな楽しみがほんのり広がる光景です。